俺たちは子供の頃から「なろう」を読んで来たのではないか?その2 [シリーズ]
凡人が異世界でレベル低い相手に無双。
これが「なろう」のイメージだ。
でもそういう漫画、子供の頃に読んだことあったぞ?と思う。
真っ先に思い出すのが「ドラえもん」。
所有している本の中では「大長編ドラえもんVol.2のび太の宇宙開拓史」(1984年)。
重力の弱い世界で無双している。
本編の方でもそんな話があったような気がする。
それから数年経って、ドラゴンボールでは逆に超重力の世界で育った強敵という逆パターンを鳥山明が描く(1989年)。ドラえもんの影響を感じるのだけれど、ドラゴンボールでは初期の頃から超重量を使って強くなる(亀の甲羅)という基本構成があり、そこからの発想なのかもしれないとも思う。ちなみに超重量を使って強くなるジャンプ漫画は、ドラゴンボール以前に車田正美の「リングにかけろ」のパワーリストが思い出される。
伊東岳彦の「宇宙英雄物語」(1991年)には「地球の大重力で鍛えられた馬鹿力にはかなわないある」というセリフがある。それを「そんな都合のいい設定はなしにするあるーっ!!」と、メタギャグとして落としている。ドラえもんのパロディだと思うのだがどうだろう。
そういえば「なろう」以前に「ラノベ」というものがあった。やはり書き手、読み手のハードルを下げており、それが一部で嘲笑の対象になった。ただ、こーいったテイストのもの(あくまでテイスト)を、自分たちも学生の頃に読んでなかったかなと思う。「宇宙英雄物語」もそういうイメージがあるし、「ロードス島戦記」とか「サイレントメビウス」とか、大層流行ったものだが、現在あまり顧みられることは無いように思う。
なろうのイメージに、ハーレムになりがちというのがあるが、漫画でなんの努力もせずに、むしろ作者の誤った女性観が見える流れでモテモテになるパターンは挙げだしたらキリがない。赤松健の「ラブひな」やら「魔法少女ネギま!」やら、年取っても大事に読み返す人がどれだけいるというのか。だからと言って、そういう作品が無くていいわけでもない。その時にしか読めない作品はあってもいいし、究極的に行って作品の良し悪しというのはどこまでいっても主観的なものだからだ。
これが「なろう」のイメージだ。
でもそういう漫画、子供の頃に読んだことあったぞ?と思う。
真っ先に思い出すのが「ドラえもん」。
所有している本の中では「大長編ドラえもんVol.2のび太の宇宙開拓史」(1984年)。
重力の弱い世界で無双している。
本編の方でもそんな話があったような気がする。
それから数年経って、ドラゴンボールでは逆に超重力の世界で育った強敵という逆パターンを鳥山明が描く(1989年)。ドラえもんの影響を感じるのだけれど、ドラゴンボールでは初期の頃から超重量を使って強くなる(亀の甲羅)という基本構成があり、そこからの発想なのかもしれないとも思う。ちなみに超重量を使って強くなるジャンプ漫画は、ドラゴンボール以前に車田正美の「リングにかけろ」のパワーリストが思い出される。
伊東岳彦の「宇宙英雄物語」(1991年)には「地球の大重力で鍛えられた馬鹿力にはかなわないある」というセリフがある。それを「そんな都合のいい設定はなしにするあるーっ!!」と、メタギャグとして落としている。ドラえもんのパロディだと思うのだがどうだろう。
そういえば「なろう」以前に「ラノベ」というものがあった。やはり書き手、読み手のハードルを下げており、それが一部で嘲笑の対象になった。ただ、こーいったテイストのもの(あくまでテイスト)を、自分たちも学生の頃に読んでなかったかなと思う。「宇宙英雄物語」もそういうイメージがあるし、「ロードス島戦記」とか「サイレントメビウス」とか、大層流行ったものだが、現在あまり顧みられることは無いように思う。
なろうのイメージに、ハーレムになりがちというのがあるが、漫画でなんの努力もせずに、むしろ作者の誤った女性観が見える流れでモテモテになるパターンは挙げだしたらキリがない。赤松健の「ラブひな」やら「魔法少女ネギま!」やら、年取っても大事に読み返す人がどれだけいるというのか。だからと言って、そういう作品が無くていいわけでもない。その時にしか読めない作品はあってもいいし、究極的に行って作品の良し悪しというのはどこまでいっても主観的なものだからだ。
大長編ドラえもん (Vol.2) のび太の宇宙開拓史(てんとう虫コミックス)
- 作者: 藤子・F・不二雄
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1984/03/01
- メディア: コミック
ロードス島戦記 文庫セット (角川文庫―スニーカー文庫) [マーケットプレイスセット]
- 作者: 水野 良
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1988/04/01
- メディア: 文庫
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