楠本まきのジェンダーバイアス問題最終回。結論はマスターキートン4巻「喜びの壁」を読んで出直せ [時事ネタ]
楠本まきさんはジェンダーバイアスという言葉について根本的な誤解をしている。
インタビューをしたサイトが、ジェンダーバイアスの定義を以下のように書いている。
>性別によって社会的・文化的役割の固定概念を持つこと。社会における女性に対する評価や扱いが差別的であることや、「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。
彼女にとってジェンダーバイアスは太字の「社会における女性に対する評価や扱いが差別的であること」としてしか捉えられておらず、「「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。」の「(男性)」の部分については何も考えが及んでいないのである。
だからまさか自分が、滅びればいいというジェンダーバイアスのかかった漫画家だという可能性など露ほどにも思わず、呑気にしているのである。
こう書くと、こう反論するかもしれない。
「男は社会的弱者ではないからバイアスをかけられていても問題ない。」
よくある偽フェミニストの逆ギレだ。
それについてはこう答えたい。
ジェンダーバイアスに「よいジェンダーバイアス」とか「許容範囲のジェンダーバイアス」なんてないんじゃなかったのかよ!?(ドヤ顔で)
ひとたび異性について語れば、バイアスがかかっていると異性から難癖つけられても完全に否定する方法はない。これは男も女も同じである。
その難癖だって100%の同意が同性から得られるわけではない。
「ユカをよぶ海」や楠本さんの漫画によって新たな女性像が確立されたその影で、古風なつまらない女にされてしまって苦しむ人も多勢いるだろう。
実際問題、婚活や女子力アップに頑張る女性をジェンダーバイアスに囚われているとする楠本さんの見識は差別的だと思う。素敵なパートナーと出会いたいのは誰もが持っている本能だし、だからと言って男のためだけに身綺麗にしているわけでもないはずだ。
楠本さんの場合はバイアスがかかっているというよりも、単純に知識不足。想像力に欠けているという方が近いと思う。
引退したイチローが、おにぎり2800個も作って現役時代を支えてくれた奥さんに感謝のコメントをしたところ、モラハラだと難癖つける人がいて話題になった。死ぬほどアホかと思う。二人の信頼関係あってのことなのに、それに割り込もうとする。現実社会でそれやったらアウトもアウト。アウトだ馬鹿野郎。ここまで行くときちがいである。
中国嫁日記で「私だったら嫌だから、奥さんをネタにするのはやめるべきだ」みたいな狂ったコメントをつけている人を思い出した。
他、ツイッターでたまたま見たのだが、
年の差婚は年取っている側が若い側を深くは愛していないのだそうだ。
そう決まっているらしい。
ただのトロフィーで、他人に自慢できるから価値があると思っているだけなのだそうだ。
そう決まっているらしい。
結局は自己愛だから、年の差婚する男の殆どがモラハラ男になるのだそうだ。
そう決まっているらしい。
若い子と付き合ったら俺はこんなこと言われて生きていかなきゃいかんわけだ。
こういう風に思う人がいるから彼女ができ辛さにもつながってくるわけだ。
差別だなあ、寂しいなあ。いやまあ、これが世間の現実なんだけどもさ。
…しかしよくもまあこんなこと大っぴらに書けるなと思う。
悪人の自白ってこういうことか。
本人でもないのにその人の気持ちを分かったつもりで明後日な代弁しようとする人多すぎィ!
これもまたバイアスの為せる技である。
そういう人にはマスターキートン4巻、喜びの壁をお勧めしたい。
愛する妻を亡くして苦しみ、さらにその苦しみが日々癒えていくことに苦しみ、本当に自分は妻を愛していたのかと悩み苦しむまでになった男に、ライアン神父はこう説く。
「なぜ悩むんだね、人間は一生、他人の心などわかるはずもないし、人の死を本当に悲しむこともできはしない。」
「あなたが奥さんを愛していたのは本当のことだ。それは、あなたの中にあるからだ。」
「でも、奥さんがあなたを愛していたかは、あなたの思い込みだけで、本当にはわからない…。ましてや、解りあっていたなんて幻想にすぎない。」
「人間は一生、自分という宇宙から出られはしない。」
「自分の中に描いた他人と共に暮らし、ドラマを作り、泣き、悲しみ、死んでゆく…」
「いや、これは人間だけではない。鳥や獣もそうかもしれない。」
恋人、夫婦、家族、親友の間柄でもバイアスは避けられない。
全くの他人ならもっと避けられない。
バイアスはあって当然なのだ。
差別は人間の本能だからなくならない。
差別心が無いと言い切れる人は、人間でないということと同意。
バイアスがない人間などいない。
バイアスがないと思い込んでいる人は間違いなく邪悪だ。
最近、別件で「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」という本を読んでいる。
なかなか良いタイトルである。
そういうオチになる本なのか、まだ分からないが、つまりはそういうことだ。
自分に原罪が無いとする人間は良心の呵責がないからどこまでも暴走して、やがてとんでもない虐殺を引き起こす。そう俺のバイアスが断言させるのである。
ちなみにライアン神父の言葉は、
「あるいは私の言ったことの方が幻想で、人間の心は本当には、通じ合っているのかもしれないよ。」
「セントフランチェスコのように奇跡を見るしかないな。」
と続く。
その奇跡とはなんだったのかは漫画を読んでほしい。
インタビューをしたサイトが、ジェンダーバイアスの定義を以下のように書いている。
>性別によって社会的・文化的役割の固定概念を持つこと。社会における女性に対する評価や扱いが差別的であることや、「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。
彼女にとってジェンダーバイアスは太字の「社会における女性に対する評価や扱いが差別的であること」としてしか捉えられておらず、「「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。」の「(男性)」の部分については何も考えが及んでいないのである。
だからまさか自分が、滅びればいいというジェンダーバイアスのかかった漫画家だという可能性など露ほどにも思わず、呑気にしているのである。
こう書くと、こう反論するかもしれない。
「男は社会的弱者ではないからバイアスをかけられていても問題ない。」
よくある偽フェミニストの逆ギレだ。
それについてはこう答えたい。
ジェンダーバイアスに「よいジェンダーバイアス」とか「許容範囲のジェンダーバイアス」なんてないんじゃなかったのかよ!?(ドヤ顔で)
ひとたび異性について語れば、バイアスがかかっていると異性から難癖つけられても完全に否定する方法はない。これは男も女も同じである。
その難癖だって100%の同意が同性から得られるわけではない。
「ユカをよぶ海」や楠本さんの漫画によって新たな女性像が確立されたその影で、古風なつまらない女にされてしまって苦しむ人も多勢いるだろう。
実際問題、婚活や女子力アップに頑張る女性をジェンダーバイアスに囚われているとする楠本さんの見識は差別的だと思う。素敵なパートナーと出会いたいのは誰もが持っている本能だし、だからと言って男のためだけに身綺麗にしているわけでもないはずだ。
楠本さんの場合はバイアスがかかっているというよりも、単純に知識不足。想像力に欠けているという方が近いと思う。
引退したイチローが、おにぎり2800個も作って現役時代を支えてくれた奥さんに感謝のコメントをしたところ、モラハラだと難癖つける人がいて話題になった。死ぬほどアホかと思う。二人の信頼関係あってのことなのに、それに割り込もうとする。現実社会でそれやったらアウトもアウト。アウトだ馬鹿野郎。ここまで行くときちがいである。
中国嫁日記で「私だったら嫌だから、奥さんをネタにするのはやめるべきだ」みたいな狂ったコメントをつけている人を思い出した。
他、ツイッターでたまたま見たのだが、
年の差婚は年取っている側が若い側を深くは愛していないと思う。ただのトロフィーで、他人に自慢できるから価値があると思っているだけじゃないの?結局は自己愛だから、年の差婚する男の殆どがモラハラ男になるのでは?
— ann (@a_n_tokyo) 2019年4月6日
年の差婚は年取っている側が若い側を深くは愛していないのだそうだ。
そう決まっているらしい。
ただのトロフィーで、他人に自慢できるから価値があると思っているだけなのだそうだ。
そう決まっているらしい。
結局は自己愛だから、年の差婚する男の殆どがモラハラ男になるのだそうだ。
そう決まっているらしい。
若い子と付き合ったら俺はこんなこと言われて生きていかなきゃいかんわけだ。
こういう風に思う人がいるから彼女ができ辛さにもつながってくるわけだ。
差別だなあ、寂しいなあ。いやまあ、これが世間の現実なんだけどもさ。
…しかしよくもまあこんなこと大っぴらに書けるなと思う。
悪人の自白ってこういうことか。
本人でもないのにその人の気持ちを分かったつもりで明後日な代弁しようとする人多すぎィ!
これもまたバイアスの為せる技である。
そういう人にはマスターキートン4巻、喜びの壁をお勧めしたい。
愛する妻を亡くして苦しみ、さらにその苦しみが日々癒えていくことに苦しみ、本当に自分は妻を愛していたのかと悩み苦しむまでになった男に、ライアン神父はこう説く。
「なぜ悩むんだね、人間は一生、他人の心などわかるはずもないし、人の死を本当に悲しむこともできはしない。」
「あなたが奥さんを愛していたのは本当のことだ。それは、あなたの中にあるからだ。」
「でも、奥さんがあなたを愛していたかは、あなたの思い込みだけで、本当にはわからない…。ましてや、解りあっていたなんて幻想にすぎない。」
「人間は一生、自分という宇宙から出られはしない。」
「自分の中に描いた他人と共に暮らし、ドラマを作り、泣き、悲しみ、死んでゆく…」
「いや、これは人間だけではない。鳥や獣もそうかもしれない。」
恋人、夫婦、家族、親友の間柄でもバイアスは避けられない。
全くの他人ならもっと避けられない。
バイアスはあって当然なのだ。
差別は人間の本能だからなくならない。
差別心が無いと言い切れる人は、人間でないということと同意。
バイアスがない人間などいない。
バイアスがないと思い込んでいる人は間違いなく邪悪だ。
最近、別件で「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」という本を読んでいる。
なかなか良いタイトルである。
そういうオチになる本なのか、まだ分からないが、つまりはそういうことだ。
自分に原罪が無いとする人間は良心の呵責がないからどこまでも暴走して、やがてとんでもない虐殺を引き起こす。そう俺のバイアスが断言させるのである。
ちなみにライアン神父の言葉は、
「あるいは私の言ったことの方が幻想で、人間の心は本当には、通じ合っているのかもしれないよ。」
「セントフランチェスコのように奇跡を見るしかないな。」
と続く。
その奇跡とはなんだったのかは漫画を読んでほしい。
MASTER KEATON完全版 4―MASTERキートン (ビッグコミックススペシャル)
- 作者: 浦沢 直樹
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2011/10/28
- メディア: コミック
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