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映画「空母いぶき」、佐藤浩市の掘り起こされた過去の発言に思う、小林よしのり「卑怯者の島」 [時事ネタ]

佐藤浩市のニュースが花盛りだ。

原作者のかわぐちかいじは「ネットを見ないのでわからない。ノーコメントで。」というコメントを出したそうだ。「訴状が届いてないのでコメントできない」みたいな新手の切り返しだ。

ビッグコミックの例の企画記事にもコメントを寄せているが、「主演の二人が原作以上の存在感を出している」というほかは映画の内容について触れてない。大人の態度という感じか。

佐藤浩市の過去の発言も掘り起こされている。
2016年にファッション雑誌「ゲーテ」での発言が印象に残った。

>「ナショナリズムに訴えかけるようなドラマしか、もう残された道はないんだろうか。冗談ですが、そんなことを口にしたくなるほど、テレビドラマの現状は方向性を見失っていると思う」
ゲーテ1.png

なんだそうだ。
要するにメディアは右傾化してるというのだ。
左の人は右傾化してると言い、右の人は左傾化してると言う。
まあそうやって世の中というのはバランスをとっているのかもしれない。
灰色の魔術師カーラの仕業なのか。

で、このナショナリズムという部分なんですけど、ナショナリストでなければ日本は守れないと最近誰かが言っていた。小林よしのりだったかな。確かにそうだ。グローバルフラットな視点で効率的な物の考え方をしていたら日本なんか別に守る必要はないという結論になる。

以前取り上げた小林氏の著作「卑怯者の島」を思い出す。
この漫画は特殊で、戦争論の後に描き上げられたにも関わらず、それまでの小林氏のイデオロギーを余り感じない不思議な作風がウリだ。本当にあの時代に戦場に生きていたらどんな思考を巡らすのか。そのことに重点を置いて作劇されている。

その「卑怯者の島」に脇役のこんなセリフがある。
>「俺は『お国のために』などという愛国心は信じてない。だが戦争で死ぬ理屈はわかる。」「神平、意地しかないんだよ。意地を捨てるヤツがいたら戦争には勝てん!合理的に負けるとわかったとたんに白旗あげる兵隊ばかりだったらその国は亡ぶ!だから意地で玉砕するんだ!」
卑怯者3.png

 
ちなみに小林氏は佐藤浩市の問題の改変を賛美している。アシスタントの時浦が、以前やはり安倍晋三の潰瘍性大腸炎をゲリピーと連呼して炎上する出来事があったが、普段から職場でそういう会話が乱れ飛んでいるのかもしれない。喘息持ちを揶揄されたら嫌だろうに、なんとも残念なことだ。

潰瘍性大腸炎ですぐにトイレに駆け込む人をゲリピーとあだ名したら誰もがひどいと思うはず。そういう小学生もいるだろう。トイレで頻繁に大をする小学生がどんなイジメにあうか。

それなのに今回の場合、それが総理大臣だから許されると本気で言っている大人が死ぬほどいるのである。狂ってるとしか言いようがない。こういうのが政治批判の質を落とし、世間の無関心へとつながっていくのである。

 
ただ、一つ言えるのが、「空母いぶき」の総理大臣は間違いなくカッコ良く演出されているはずである。安倍晋三のイメージを取り入れることで、さらに人気が出ることは十分に考えられる。だからこそ、佐藤浩市や映画会社広報や小学館は、今回のインタビューで炎上するとは思っていなかった。

左翼気質な人や小林氏は今回の出来事を擁護しているが、そこまで考えが及んでいないのではなかろうか。

佐藤浩市の演技に対する姿勢は素晴らしい。
ただし映画としてはクソだ!ゲリピーだ!
…そんな感じの感想を言い出すのではなかろうか。
 

…と、ここまで書いてちょっと衝撃の情報が。
映画の結末は、中国軍に助けられて終わるというものらしい。


すげえ原作レイプとしか言いようがないんですけど。。。
そりゃ、左系の人が褒めてるわけだよ。
町山さん本人から「貶さない」的なリプもらうし。

清水節って映画評論家も褒めてたからおかしいと思ったよ。よく知らない人だけど、そこそこ名の通った映画評論家が普通こういう映画褒めないよ。

こんな改変は「八神くんの家庭の事情」以来なんではなかろうか。
これに許可出してるんだから、かわぐちかいじすげえなあああああ。
佐藤浩市演じる総理大臣も、最後は失態を晒して終わるのかね。
敵と内通していたとか。

[まとめ買い] 空母いぶき

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卑怯者の島 戦後70年特別企画

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  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2015/07/20
  • メディア: Kindle版


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映画「空母いぶき」が航海前に炎上沈没?佐藤浩市のインタビューを読むべく400円払って実際に雑誌を読んでみた [時事ネタ]

航海直前の映画「空母いぶき」が炎上、沈没しようとしている。
脇役の佐藤浩市が自らの発案で、難病持ちの実在の人物を揶揄する様なアレンジを加えたことが雑誌インタビューで明らかになったからだ。

そもそもこの企画は、まず安っぽい改変が目についた。
本田翼演じる、映画オリジナルの女性キャラクターがそれである。どうでもいいんだけど、こういう改変で映画の格というものがそんなに高くないことは伝わってしまう。

佐藤浩市の話のついでに驚愕の改変が明らかになった。
原作は、中国の侵略から日本を守るという非常に攻めた漫画なのだが、なんとそれが映画では正体不明の謎の軍事組織の侵略から日本を守るという、非常に守りに入ったアレンジが加えられたというのだ。総理大臣はからかうけども、中国さんは怒らせたらシャレにならんから自粛。そんな構図になっていて、非常に脱力してしまう。

映画会社も慌てて火消しに走った。
割と素早い対応に驚いた。

たかがネットと侮り、爆死していった先立のことがついに教訓になったのだろうか。映画はフィクションであり、安倍総理の潰瘍性大腸炎とは一切関係がないのだという。まあ、そんなわけねーだろと思うが、そう言うしかない。

そもそも1役者の言いなりになって脚本を変えてしまう監督ってなんなのよ。
脚本に口出す役者は基本ロクでもない、と言うのを昔何かの本で読んだ気がする。
ジェームズキャメロンはターミネーター1作目のラストを改変しようとする上層部に拳銃を突きつけて抵抗したそうだ。

三谷幸喜の「ラジオの時間」という、ベテランのご機嫌とりで脚本がコロコロ変わってしまうラジオドラマの生放送の悲劇を描いた映画もある。まあ折り合いをつけて仕事をするのはそれはそれで尊いかもしれないのだが、いったい1役者に脚本変えさせてしまう空母いぶきの監督ってどんな奴なのよ?とウィキペディアを読んでみた。

>テレパックのテレビドラマのAD・演出補などを経て、1986年に共同テレビ入社。共同テレビジョン役員待遇エグゼグティブディレクターなどを歴任し、現在はフリー。

だそうだ。
よく分からんけども役員待遇エグゼドエグゼスとか、なんかすごそうだ。
もう70歳のおじいちゃんだそうである!
それでも佐藤浩市には勝てないのか?
三國連太郎の息子だからか?

2000年に織田裕二主演のアクション映画「ホワイトアウト」の監督をしているが、このオーディオコメンタリーを聞いたことがある。監督をお付きの二人が褒めちぎる、そんな印象だった様な記憶がうっすらある。間違いだったらごめんなさいだが、実家の蔵書の中からホワイトアウトのDVDを探す気力がない。パッケージ捨てたし。

もう一つ今回の戦犯がいる。
問題のインタビューを掲載した雑誌編集者と、削除を求めなかった映画会社の広報だ。後者は今頃火あぶりにされているかもしれない。。。雑誌編集者の方は何を思ってインタビューを載せたのか。お腹が痛い総理に改変して、原作ファンが「なるほど!面白そうだ!」と思うと思ったのだろうか。無残に改ざんされまくってしまったことへの抗議だったのだろうか。

で、「切り取りだ!雑誌を読めば問題ない発言であることが分かる!」という人もいるので、実際に雑誌を買って読んでみた。コンビニで買った。400円は結構高いなと思ってしまう。普段あまり雑誌を買わず、ジャンプ200円ぐらいの時代の感覚でいるからだ。雑誌にはクリアファイルが付録でついていて、それが落ちない様に厳重にテープで止められているので立ち読みはできなかった。電子書籍も販売されていない。

梱包用のテープは綺麗に剥がすことができた。
クリアファイルは出演者である本田翼の寝顔が印刷されており、思わず「わあかわいい!」と思ってしまう出来だ。
胃腸炎1.JPG
インタビューをチェックする前に、パラパラと雑誌を読んでみる。
どんな連載陣か全く知らないけども意外と打率が高い。「ひねもすのたり日記」「劉邦」「正直不動産」は単行本を買ってるし、「海帝」「ブルージャイアント」も気になってる。「気まぐれコンセプト」の企画もあるし、他に永井豪、細野不二彦、さだやす圭、原秀則、小山ゆう、黒鉄ヒロシ、石原まこちんなどが描いている。ビッグな作家が描いているからビッグコミックなのだそうだ。きわめつけはゴルゴ13だ。

空母いぶきがどこで連載しているのか知らなかったが、ビッグコミックなのだろうか。
この号は本編が載っておらず、映画の宣伝のための特別編が掲載されている。映画版のコミカライズともいうべき内容で、かわぐちかいじが描く斉藤由貴、小倉久寛が面白い。中井貴一は全然似てないのだが、今はこんな顔してるのだろうか。本田翼はどこか似てるのだが、ちょっと顎の骨格が良すぎてニューハーフっぽい。
胃腸炎4.JPG
(画像はもちろん斉藤由貴である)

で、問題のインタビューを読んだが、安倍総理になり切ることで、その重圧がよくわかったという風に読めないこともなかった。

インタビューが「やりたくなかった。体制側の人間を演じることに抵抗がある」(左翼思考)→「アレンジしました」(1役者の都合で原作を改変したと読める)→「ストレスでお腹を下す設定にした」という流れなので、ここまで読めば全く擁護はできない。

わずか1P半分に満たないインタビューなのだが、原作から引用したコマが「明日、私が下す命令で人が死ぬ。」と、「下す」ことを強調している様にも見える。深読みすれば、原作ではこのコマの後吐いているので、こう改変されたんですよと訴えている様にも見える。
胃腸炎2.JPG
が、佐藤浩市のインタビューはその後、「総理になると責任で人格が変わる」という発言があるので、自らの考えの及ばない高い意識の領域に安倍総理がいるという風にも読める。専守防衛とは何かを考える映画になっていると結んでいるので読後感はあまり悪くない。

ちなみにその前の4Pの解説記事でも「ストレスに弱くお腹を下す」改変があることに触れており、映画にとっては重ねて伝えたいほどに重要なPRになる改変だと関係者が考えていることは間違いない。
胃腸炎3.JPG

空母いぶきの映画公開は5月24日だそうだ。
果たして興行はどうなるのか注目してしまう。

そもそも映画は失敗して当たり前のものだと俺は思っている。町山智浩はクソミソに貶すのだろうなあというのは以前から思っていた。

炎上商法というのはあるが、この映画の場合はあまり良い方向に行かないと思う。これでヒットする様なら、炎上がなければもっとヒットしただろう。戦艦映画としてはこの後に「アルキメデスの大戦」が控えている。今から広報担当者はピリピリしていることだと思う。

とりあえず俺はどちらもあまり見る気がしてない。
そういえば映画のPRのために、空母いぶき単行本3冊をセットで600円で販売してるのが驚いた。


 

[まとめ買い] 空母いぶき

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左寄りの町山智浩はなぜ右寄りの「進撃の巨人」の脚本を担当したのか? [時事ネタ]


赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD (4) (ビッグコミックス)

赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD (4) (ビッグコミックス)

  • 作者: 山本 おさむ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: コミック


山本おさむの「赤狩り」4巻の帯町山智浩だったのはインパクトがあった。
左寄りの人というイメージがあったので、それをさらに強くする出来事だった。
左寄り2.png

 
町山氏のツイートに最近こんなのがあった。


『「ネトウヨ」は、誰かを差別するから「ネトウヨ」と呼ばれているのです。』と町山氏はいう。

いや、それは嘘だと思った。
だったら「差別者」でいいじゃん。やはりそこは「右翼」というフレーズを入れたいし、外せない。

差別反対を錦の御旗にして右翼的な考えを一掃するのが悲願なのだと思う。そしてそれをうしろめたいと感じている。

町山氏の解釈は、こないだブログに書いた外国住まいのオバさんと同じもの。ネトウヨは差別に当たるのではという議論は度々起こっている様で、切り返しのテンプレ的なものになっている様だ。町山氏のこの発言も今回が初めてではない。

ネトウヨという言葉にはずっと興味があった。
いろんな解釈がある様だが、最もニュアンスが近い言葉はネオナチだと思う。一般人が使うのは構わないが、政治的中立であるべきマスコミまで堂々と使ってしまうのは違和感がある。プロ市民と言ってるのと同じだ。
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町山氏は最近、小林よしのりをネトウヨを生み出した張本人だとしてツイッターで謝罪を求めた。俺はこれにも違和感があった。町山氏の著作は何冊も読んでいるが、右寄りな考えがアメリカで商売になっていることを何度も紹介したのが町山氏という印象があったからだ。

もちろん町山氏は批判のために紹介したのだが、俺はこう思っていた。

なるほど、そもそも「俺が生まれた土地大好き!」という素朴な考えの人が多くて当然である。マスコミはいわゆるリベラルでないと食っていけないというイメージがあったが、十分に食えるほどの需要があって当然だ。と。

 
そんな町山智浩だが、2015年に実写版「進撃の巨人」の脚本を担当したというのもずっと疑問だった。

平和すぎ軍隊の有り難みを失う日々の中、突如戦争となり、国家に忠誠を捧げて戦うという漫画である。これが右寄りでなくてなんなのか。
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「心臓を捧げよ!」というフレーズはネットでもてはやされているのをよく見た。俺は進撃の巨人を最初に読んだ時、四半世紀前の漫画「加治隆介の議」で散々やってきた憲法改正運動の流れにある漫画だなと思ったものである。面白いかどうかはともかく、こんな漫画が社会現象になってしまうなんてスゲエなと思ったものだ。

その漫画の映画化で、脚本家でもない町山氏が共同脚本で参加。
小林よしのりをネトウヨの開祖として批判したのに、心臓を捧げる漫画には映画ライター生命を捧げたわけである。どういうことだ???

金のかかった超大作に、実績のない町山氏に声がかかるというありえないオファーである。映画好きの町山氏にとって、これまでの名誉を失うリスクがあると分かっていても映画作りに関わりたかったというのはわかる。わかるのだが、主義信条に背いてまで。。。というのがイマイチ分からない。

もちろん実績のない町山氏に優れた脚本が描けるわけもなく、興行は大爆死する。。。アマゾンプライムで見たのだが、批評する気さえもしなかったというのが正直な感想である。

ポール・バーホーベンが「スターシップトゥルーパーズ」でやった様に、超右翼社会を描いて逆に批判するということがやりたかったのか?そもそも原作者がどういった意図で原作を描いているのか。近年は筋が二転三転してよく分からないことになっているのだが。。。

町山さんは今後どうなっていくのか。今や立派な権威者である。高まる名声とは反比例に、俺個人としては近年の著作はあまり面白くない。昔はもっと人間の業や原罪などのありのままを紹介してくれている様で好きだったのだが。最近はdマガジンでも読まないぐらいだ。文春だったっけ?

 
ガンダムがTVで放送されるたび毎度思う素朴な疑問なんだけど、左翼系の人ってなんでガンダムを放送中止に追い込まないのかね。平和ボケになっていく一方でも、事実上の軍隊が日本に存在し続けることができるのは、ガンダムで戦争を描いていることが大きいと俺個人は思うのだけれども。実物大ガンダムがお台場に建った時、軍靴の音が聞こえると言った人はいるのかいないのか。

暴力描写は年々表現の幅が狭まっている印象だけども、戦争は描いても問題ない。むかし残酷描写が規制されたので戦争漫画を描きましたってホラー漫画家もいた。不思議だ。とりあえずガンダムや進撃の様な戦争漫画やアニメがある限り、日本は「武器がなくなれば平和に!」「降伏しちゃえば攻められない!」みたいな変な思考が占拠することはないかなあと思った。

 




赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD (5) (ビッグコミックス)

赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD (5) (ビッグコミックス)

  • 作者: 山本 おさむ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/05/30
  • メディア: コミック


タグ:町山智浩
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ATMがお金を飲み込むことはありまぁーす!銀行員が漏らした尊大なATM安全神話 [時事ネタ]

9de1.png

ATMで50万円入金したところ、31万しか計上されず、19万円を機械に飲み込まれてしまったと言うツイートが話題になっているらしい。


これに対して、
>ネットの情報は100%信じないと決めているのであえて書かせて頂きます。 あくまでも一個人の意見ですが、こういう内容を本当に信じて良いものかどうかも一考した方が良いかと思います。 そして、取引履歴と実際のお金を調べればわかる事です。 銀行さんは1円合わないだけでも大問題ですので。

と言う意見があるけども、これね、俺も被害にあったことあったんですよ!
ブログに書こうかなと思ってたんですけども、どう考えても漫画の話に結び付けられないので、まあそのうち日記として書こうかなと思ってたんですけど。ついにきっかけが来たか!って感じです。

でも、今から一年ちょっと前の話なんで、肝心なデティールをちょっと忘れてしまっています。

 
ある日、銀行に入金にいったときのことです。
棒金(硬貨50枚を棒状にラッピングしたもの)が余っていたので、入金の時に使ったわけです。「入金」→「紙幣と硬貨」と入力しますわな。先に硬貨を投入。そのあと紙幣を投入する流れです。

硬貨を入金した際、見たこともないような画面が出ました。
下から返却されたお金をお取りください、みたいな画面です。

「下?」と下を覗き込むと、釣銭返却口みたいなのがある。
長年銀行を利用していますが、そんなのがあるのはその時に初めて知りました。
硬貨がうまく読み取れないときは投入口が再度開いて返金するはずですから。

下の小窓に入っていたお金はなんか中途半端な枚数。
紙幣も、その小銭もまた投入して入金を終えてみれば数百円合わない!

こんなこともあるんだと思ってましたが、後で訴えて調べてもらえばお金が余分にあることはすぐにわかるので、その場で自分の財布から数百円負担して、入金を終えました。

その後にすぐ受付に話をしました。
電話番号を渡して、余剰金があったら返して欲しいと伝えて帰りました。

その1時間か2時間後でしょうか。
銀行から電話がありましたが、業者に連絡して調べてみてもらったところ、計算は一致しており、余剰金は無いとのことでした。

しかも、俺が見た「下の小窓から返却金を受け取ってください」という画面は、本来入金の使用では出てこない画面だということを伝えられ、愕然としました。

自分の入金しようとした額はきちんと計上されているので、別の画面で操作していたということはあり得ません。別の画面で操作していたとしたら、棒金分が不足になるはずです。

防犯カメラを確認すれば、俺の驚いた顔と、しゃがみこんだ姿が映っているはずです。そこに返却口があることも知りませんでしたので幻覚ではありません。ログを調べれば、どういう処理がなされたのかも、明らかになるはずです。

ただ忙しかったのと、たかが数百円の話です。
ATM内の余剰金がないという報告に絶句してしまい、出てきた言葉が「ああそうですか。なら仕方ないですね。」です。

すると電話口の銀行員のオッサンは安心したのか、余計なことを喋りました。
「いやー、<ATM業者>の奴らもね、いつもうちの機械は正確って言って、絶対に非を認めようとしないんですよー!(笑)」

だいたいどういう業界の構造なのかが感じ取れました。

ATMの安全性は神話ぐらいの域にまでなっているのではないでしょうか。
仕事柄、人から預かったお金をよく何十万も入金しに行くんですけど、その辺は信頼関係で自分で確認する訳ではありません。もし不足があれば責任問題になって、どこで間違いがあったのか調べはするのでしょうけども、もしATMが間違えたら?ということは毎度考えます。

1:お金を計算した人
2:入金にいった人
3:ATM

会社が責任を追及するのは2までなんじゃないでしょうか。
まあ本当なら入金に行く人が行く前に確認しとけって話なんですけど、まだ問題になったことがなく、そこの確認を会社がコストとして捉えていませんので、社内ではおそらく誰もやっている人がいません。ATMをマネーカウンターがわりに使っています。勤め先は結構有名な会社ですが、所詮中小企業のゆるさでしょうか。

 
話がズレましたが、所詮は機械です。
100%正確などということは有り得ないのに、結構無理くりにATM安全神話が作られ、社会が成り立っているという気もします。

冒頭のツイートの反応には、一度無下にされたが後から出てきたと連絡あったとか、時間はかかるが窓口でやってもらったほうがいいとか、逆に多く出てきたなんていうものもあります。

俺の場合の銀行側の態度を見るに、そんなはずはないという尊大な態度を取られるというのがおそらく銀行の一般的な対応だと思います。余剰金がないと言われればそれまでですが、俺の場合はログとカメラを調べれば、おそらく機械の異常があったことぐらいは認めさせることができたはずです。

 
19万円も飲み込まれた話が本当に真実なのかというのはツイートからでは残念ながら判断できません。いくらなんでも、余剰金を調べてその結果を誤魔化す可能性は少ないと思う。。。というのは銀行を過信しすぎでしょうか。自分も数百円飲み込まれているのに。

どちらが客観的な証拠を示せるかという話になると、この件については銀行の方に分があると思います。

ただ、ATMがお金を飲み込むことはあります。
ありまぁーす!

 

[まとめ買い] 9で割れ!!―昭和銀行田園支店

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「ルパン三世」「アニメ三銃士」のモンキーパンチ亡くなる。この謎の漫画家に詳しい吉本浩二「ルーザーズ」を紹介 [時事ネタ]

モンキーパンチが亡くなった。
漫画を一冊も持っていないけども、子供の頃はアニメ「ルパン三世」の再放送をTVにかじりつくようにして見ていた。

同時期、親戚の家に遊びに行ったら「ルパン小僧」の単行本があったのでワクワクしながら読んだのだけど、なんか根本的に期待していたものと違うのである。もっとイメージ通りのルパン三世が漫画で読めたらなあー、と思っていたら、作画がモンキーパンチでないルパン三世の漫画が始まって、「やったぜ!」と思ったものだけれど、それすらも俺はお気に召さなかったのである。

アニメ第三弾が始まった時も、「なんか違う!」と思って受け付けなかった。それ以後、TVスペシャルも映画もロクに見なくなった。「カリオストロの城」ですら、長年受け付けなかったのである。この記事を書くにあたって自分が熱狂したルパンは何期だったのか調べて見たが、第二期、ジャケットの赤いルパンだったみたいだ。

別にルパンはこうだ!という熱論をふるいたい訳ではない。見返したこともないし、見返して検証するつもりも特にない。U-NEXTの会員特典で見られるようだが。現在広く浸透しているルパンのイメージは二期が作ったとする説がある。原作はもっとアダルトで、大人になった今では作者の狙いがよくわかるが、3期以降全てに拒否反応を起こすぐらい、マイルドな2期が理想のルパン三世像として刷り込まれてしまったのだ。すごく作者が遠いところにいるような気がする。

そもそもモンキーパンチという名前が謎だ。
週刊漫画アクションの創刊時のエピソードを漫画にした吉本浩二の「ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~」という作品があるが、その辺に詳しく載っている。漫画アクションはモンキーパンチを柱に創刊した漫画誌で、その命名も編集長がほぼ強制的に行ったのだという。
モンキーパンチ1.png
海外の風刺漫画に影響されたというモンキーパンチの作風は当時新鮮だったらしく、名前もそれっぽくした方が良いという判断だったらしい。いわば、一人の漫画家のデビューをプロデュースした訳である。バロン吉元ケン月影も同じ編集長の命名だという。
モンキーパンチ2.png
土田世紀の「編集王」にマンボ好塚とかプラム佐和子とか、変な名前の漫画家がいっぱい出てくるが、この辺に影響を受けているのかなと思うと腑に落ちる。そんなアントニオ猪木的な芸名をつける慣習ないだろとか、長らく謎だったが。。。

ルーザーズに描かれている文学くずれが漫画編集者になるというのも編集王であったネタ。カラオケボックスが無いので歌声喫茶でトロイカを熱唱するサラリーマン。ルパン三世創成期はそんな時代だったのだ。。。
モンキーパンチ3.png

あまりモンキーパンチに憧れている作家というのも聞いたことがない。
ネームバリューがあるので神輿にされてる人というイメージがある。
亡くなられた直後に書くのも不遜だが、
一度自分の中の正直なモンキーパンチ観を整理したかったので書いて見た。
ルーザーズも期待しているので、一度紹介したかった。

 
子供の頃、友達の家に遊びに行くと、ルパンのおもちゃが置いてあることが多かった。中に針金が仕込まれており、アニメのようなプロポーションで、アニメのようなコミカルなポーズをとらせることができる優れものだ。ネットで写真を探して見て見たが、今見てもとてもよく出来ていると思うのである。

翻案としてクレジットされてる「アニメ三銃士」も好きだったよ。

酒井法子は主題歌を歌って大人気になったが、パンプキン(そんな名前だったんだ)の歌うエンディングテーマも好きだった。音源が欲しい!

 


 
ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~(1) (アクションコミックス)

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  • 作者: 吉本 浩二
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2018/04/28
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ルーザーズ~日本初の週刊青年誌の誕生~(2) (アクションコミックス)

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  • 作者: 吉本 浩二
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2018/12/28
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ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~ (3) (アクションコミックス)

ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~ (3) (アクションコミックス)

  • 作者: 吉本 浩二
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: コミック


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楠本まきのジェンダーバイアス問題最終回。結論はマスターキートン4巻「喜びの壁」を読んで出直せ [時事ネタ]

楠本まきさんはジェンダーバイアスという言葉について根本的な誤解をしている。

インタビューをしたサイトが、ジェンダーバイアスの定義を以下のように書いている。
>性別によって社会的・文化的役割の固定概念を持つこと。社会における女性に対する評価や扱いが差別的であることや、「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。

彼女にとってジェンダーバイアスは太字の「社会における女性に対する評価や扱いが差別的であること」としてしか捉えられておらず、「「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。」「(男性)」の部分については何も考えが及んでいないのである。

だからまさか自分が、滅びればいいというジェンダーバイアスのかかった漫画家だという可能性など露ほどにも思わず、呑気にしているのである。

こう書くと、こう反論するかもしれない。
「男は社会的弱者ではないからバイアスをかけられていても問題ない。」
よくある偽フェミニストの逆ギレだ。

それについてはこう答えたい。
ジェンダーバイアスに「よいジェンダーバイアス」とか「許容範囲のジェンダーバイアス」なんてないんじゃなかったのかよ!?(ドヤ顔で)

 
ひとたび異性について語れば、バイアスがかかっていると異性から難癖つけられても完全に否定する方法はない。これは男も女も同じである。

その難癖だって100%の同意が同性から得られるわけではない。

「ユカをよぶ海」や楠本さんの漫画によって新たな女性像が確立されたその影で、古風なつまらない女にされてしまって苦しむ人も多勢いるだろう。

実際問題、婚活や女子力アップに頑張る女性をジェンダーバイアスに囚われているとする楠本さんの見識は差別的だと思う。素敵なパートナーと出会いたいのは誰もが持っている本能だし、だからと言って男のためだけに身綺麗にしているわけでもないはずだ。

楠本さんの場合はバイアスがかかっているというよりも、単純に知識不足。想像力に欠けているという方が近いと思う。


引退したイチローが、おにぎり2800個も作って現役時代を支えてくれた奥さんに感謝のコメントをしたところ、モラハラだと難癖つける人がいて話題になった。死ぬほどアホかと思う。二人の信頼関係あってのことなのに、それに割り込もうとする。現実社会でそれやったらアウトもアウト。アウトだ馬鹿野郎。ここまで行くときちがいである。
バイアス.png
中国嫁日記で「私だったら嫌だから、奥さんをネタにするのはやめるべきだ」みたいな狂ったコメントをつけている人を思い出した。

他、ツイッターでたまたま見たのだが、


年の差婚は年取っている側が若い側を深くは愛していないのだそうだ。
そう決まっているらしい。

ただのトロフィーで、他人に自慢できるから価値があると思っているだけなのだそうだ。
そう決まっているらしい。

結局は自己愛だから、年の差婚する男の殆どがモラハラ男になるのだそうだ。
そう決まっているらしい。

若い子と付き合ったら俺はこんなこと言われて生きていかなきゃいかんわけだ。
こういう風に思う人がいるから彼女ができ辛さにもつながってくるわけだ。
差別だなあ、寂しいなあ。いやまあ、これが世間の現実なんだけどもさ。

…しかしよくもまあこんなこと大っぴらに書けるなと思う。
悪人の自白ってこういうことか。
バイアス2.png

本人でもないのにその人の気持ちを分かったつもりで明後日な代弁しようとする人多すぎィ!
これもまたバイアスの為せる技である。

そういう人にはマスターキートン4巻、喜びの壁をお勧めしたい。

愛する妻を亡くして苦しみ、さらにその苦しみが日々癒えていくことに苦しみ、本当に自分は妻を愛していたのかと悩み苦しむまでになった男に、ライアン神父はこう説く。
バイアス3.png
「なぜ悩むんだね、人間は一生、他人の心などわかるはずもないし、人の死を本当に悲しむこともできはしない。
あなたが奥さんを愛していたのは本当のことだ。それは、あなたの中にあるからだ。
でも、奥さんがあなたを愛していたかは、あなたの思い込みだけで、本当にはわからない…。ましてや、解りあっていたなんて幻想にすぎない。
「人間は一生、自分という宇宙から出られはしない。」
「自分の中に描いた他人と共に暮らし、ドラマを作り、泣き、悲しみ、死んでゆく…」
「いや、これは人間だけではない。鳥や獣もそうかもしれない。」

 
恋人、夫婦、家族、親友の間柄でもバイアスは避けられない。
全くの他人ならもっと避けられない。
バイアスはあって当然なのだ。

差別は人間の本能だからなくならない。
差別心が無いと言い切れる人は、人間でないということと同意。
バイアスがない人間などいない。
バイアスがないと思い込んでいる人は間違いなく邪悪だ。

最近、別件で「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」という本を読んでいる。
なかなか良いタイトルである。
そういうオチになる本なのか、まだ分からないが、つまりはそういうことだ。

自分に原罪が無いとする人間は良心の呵責がないからどこまでも暴走して、やがてとんでもない虐殺を引き起こす。そう俺のバイアスが断言させるのである。

ちなみにライアン神父の言葉は、
「あるいは私の言ったことの方が幻想で、人間の心は本当には、通じ合っているのかもしれないよ。」
「セントフランチェスコのように奇跡を見るしかないな。」
と続く。

その奇跡とはなんだったのかは漫画を読んでほしい。

 

MASTER KEATON完全版 4―MASTERキートン (ビッグコミックススペシャル)

MASTER KEATON完全版 4―MASTERキートン (ビッグコミックススペシャル)

  • 作者: 浦沢 直樹
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: コミック


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マンガ文化を衰退させる親のお仕着せ、「自主規制」。楠本まきのジェンダーバイアス論の先に明確に見える落とし穴 [時事ネタ]

楠本まきさんはインタビューの中でこう語っている。

>少女漫画が、ただ不作為にジェンダーバイアスを容認するのをやめて、それを覆すような、肯定感や勇気を与える場となれば、自ずと少女漫画を読む人もまた増えるんじゃないかと私は思うんですけど。私の希望的観測かもしれません。

少女漫画家時代のちばてつやは「ユカをよぶ海」で現実に見合ったリアリティある新たなヒロイン像を確立して賞賛を得た。そういうことが漫画では繰り返し行われてきたし、楠本さんもしてきたはずである。それを今、マニュアルによって自主規制化することによって読者が増えると楠本さんはおっしゃっているが、俺はとんでもない間違いだと思う。

漫画はそもそも衰退する構造を抱えている。
それが親のお仕着せだ。
楠本さんが読者を取り戻せると追加で無邪気に行おうとしている自主規制は、そもそもマンガを衰退させる避けられない業界構造のひとつなのである。

 
ブログに書く機会を失ってしまっているが、毒親系の漫画を一時期たくさん読んだ。

その時に思ったのは、親は良かれと思って子供に失敗させまいとする。

だが、子供は失敗してでも自分の道は自分で選択したいのだ。

そして、そんな親を子供は嫌い、時には殺そうとまで思う。…ということだ。

 
チキンレースというのがある。
例えば断崖絶壁に向かって走りだし、恐怖して止まった方が負け。死ぬかもしれないギリギリのところを競う遊びだ。マッチに火をつけてみたり、河原で拾ったエロ本を読んだり。親に隠れて悪さをする子供の心理はこれに近いと思う。

拠り所となる親の存在は認めつつも、そこは無菌室である。親の言ってたことも単なる建前だったんだと失望することも多い。いじめは大人になってもある。外見もお金も大事。職業に貴賎はないのも嘘だし、男女平等と言いつつも世の中には男も女も異性をバカにする人で溢れている。

いつか社会に出た時に、危険なこと、もの、から避けるセンサーである「世間知」を身につけるため、子供達は本能からか危険なことに挑み、リアルに生きる術を学んでいくのではないか。

 
島本和彦の漫画「ワンダービット」に、悪書を追放するのではなく、親が良書と思った本をバンバン買い与えれば良い、という話がある。
お仕着せ3.png
なかなか好きなエピソードなのだが、まず子供は読まないだろうと思う。親の与える本から危険な香りがしてこないからだ。

手塚治虫の「ぼくはマンガ家」にはこうある。
>時には、親や先生や評論家が口を揃えて、「これはまことに良い漫画だ。すすんで子供に読ませたい」という漫画が出た。だが、結果はさんざんだった。子供はそっぽを向き、返本の山で、出版社は二度とそんなものに手を出さなくなった。
>この矛盾ーーそして、漫画はとり上げられても焼かれても、子供がどこからかひっぱり出してきては、こっそりかくれて読む現実ー。

世に溢れる様々なものを、子供が勝手にとって危険な成分をうまく取り除けずに消化不良を起こすことを親は心配する。魚の小骨を取り除いて食べさせようとする。子供からすれば信頼してよという話である。たとえ失敗して喉に小骨が刺さったとしてもそれはかけがえのない学びとなるのである。

 
漫画が大衆娯楽として認知され、様々な規制を要求されるというのはまあわかる。しかし漫画は確実につまらなく、ぬるく、安全になっていったはずである。業界が親に成り代わってのお仕着せをやろうというのだ。子供が読まなくなって当たり前である。楠本まきさんの話に戻るが、楠本さんは漫画の小骨を取ろうとしている。文字通り今よりさらに骨抜きにしようとしているだけだ。安全になるのよ?何が悪いの?と言う態度である。

光原伸の「アウターゾーン」の87話「禁書」という有名なエピソードがある。
有害図書によって重罪にまでなってしまう近未来を描いたフィクションだ。
鳥山犯罪2.png
裁判にかけられた西崎は最後に言う。
「子供は我々が考えているよりずっと大人なんだ。あんた達も昔は子供だったのに何故それがわからない…!!」
お仕着せ1.png

 
もっと言えばジェンダーバイアスという言葉は括りとして便利で、大雑把すぎる。そもそもジェンダーバイアスが無い人間などいるわけがないのだ。いるとしたらそれは一見して相手が男か女かわからない、初期のドラゴンボールの孫悟空みたいな人間だろう。
お仕着せ2.png

ジェンダーバイアスとは、もっと突き詰めていくと他人バイアスなのかもしれない。人のことを分かったような気になる。他人は自分ができることを同じように出来る。同じように考える。

次回はその辺のことを書くかもしれない。

 
ワンダービット コミック 全3巻完結セット (MF文庫 )

ワンダービット コミック 全3巻完結セット (MF文庫 )

  • 作者: 島本 和彦
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2007/10/01
  • メディア: 文庫



アウターゾーン 全15巻完結 (ジャンプコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]

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  • 作者: 光原 伸
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1994
  • メディア: コミック



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伝説の「嫌いな漫画を終わらせる権利を持った漫画家」がついに誕生するのか?どうなるジェンダーバイアス論 [時事ネタ]

小畑健&大場つぐみの「バクマン。」のライバルキャラクター新妻エイジ。
その初登場シーンには震えた。
「もし僕がジャンプで一番人気の作家になったら、僕が嫌いなマンガをひとつ終わらせる権限をください」
ジェンダー.png
ゾクゾクした。
このセリフは結局「見栄切り」の用途で使われたということになるが、読んでいるうちにいつ伏線になるかという緊張感も与えていたと思う。

 
さて前回の続き。
楠本まきさんはジェンダーバイアスのかかった作品は滅べばいいと思っていて、そのガイドラインを作ろうという。

根本的な疑問なのだが、ルールを作ったはいいが、それが拡大解釈されて過剰な自主規制に繋がらないとでも思ってるんだろうか。あまり漫画家で、自ら出版コード的なものを作ろうという話は自分が不勉強なのかあまり聞いたことがない。
ジェンダー2.png
(画像は「ゴーマニズム宣言」

楠本さんは、タバコの描写で書き直しを命じられた経験を持っているそうだ。
未成年はもちろん、かっこいい大人がタバコを吸うシーンはダメで、カッコ悪いのはOKなのだそうだ。そんな業界のルールを信頼している人なのである。
聖人か。

しかも本人はこれまで生きてきて、何らジェンダーの被害を受けたことがないというのだ。大きな枠組みの中ではあったとも言っているが。ニュースで女子の医者のを見て、初めて問題意識を持ったそうだ。黒人でもなんでもない日本人の家族から始まった黒人差別反対運動が、過剰な自主規制に発展していったのと似ている気がする。
ゴーマ3.png
(画像は「ゴーマニズム宣言」

だから問題として出てくるのが「おたまを持ったお母さん」だったり、「婚活アップ女子」だったり。そこなの?と思ってしまう。潜在的な差別心を助長するという理屈はわからんでもないが、単純に言ってそれを発禁にできるだろうか。それに潜在的とかいいだしたらなんでもアリだ。リアリティを追求するのをサボっているというのはそうかもしれないが、記号的に描かなきゃいかん場合もある。そもそも漫画というのは記号の集合体で、省略もテクニックの一つじゃあないか。

こういうルールが適用されると昔の漫画が発禁になる恐れもあるな。
ドクタースランプ完全版なんて、完全版と言いつつも読むに耐えないものになっているが。
スランプ3.png

前回紹介した、ちばてつやの「ユカをよぶ海」のように面白い漫画を描いてジェンダーバイアスが取り除かれれば一番良いと思うし、作家として健全だと思う。理想論かもしれないが。楠本まきさんは作家なのに何故ガイドライン作りに頼ってそれを目指さないのか。描いてるらしいけど、残念ながらこっちまで届いてきていない。

ふと気づいたけど、俺はこの人の描いた非ジェンダーバイアス漫画を読もうという気が全く起きなかった。掲載されていた1コマから、ニーチェ先生とか、クロエの流儀みたいな「うまいこと言ってやったぜ」的なのが鼻につく論破漫画の匂いを感じたからだろうか。「滅びればいい」とまで言っているということは、自分の作品には一切ジェンダーバイアスは無いと盲信しているのだろう。そんな人間は間違いなく邪悪である。

 
長年漫画を読んできて、漫画とはこういうものだという固定概念が崩壊することが度々ある。「こういうものだ」が書き換えられてアップデートされるたびに、自分の小ささを実感し、漫画ってのは自由ですごいものだなあと思い直すのだ。

だから老害化してしまった作家を見るとゾクゾクする。
誤解されるかもしれないが、正直嬉しいと思ってしまう。
スプラッタ描写に爆笑するようなホラー映画ファンの心理といおうか。
(自分はホラー映画が苦手だけれども)

手塚治虫を邪道と評した島田啓三。
プライベートな場所で発言したことが後世に伝えられてしまったのは気の毒ではある。
手塚3.png

自分が漫画のガイドラインだと錯覚した寺田ヒロオ。
テラさん2.jpg

作家では無いけども、アトムやライダーを暴力反対の槍玉に挙げた人たち。
イントレ1.png

 
寺田島田に関して、このまま漫画が自由にアップデートを繰り返して言ったら自分は淘汰されてしまうという危機感があったのではという説を最近聞いて、なるほどなあと思った。だから良識という言葉を盾に邪魔者の排除を図って、「自分に居心地の良い古き良き時代」を守ろうとした?楠本まきさんもそうだとは言わないけども、近いところはあると思う。漫画で敵わないから、良識を持ち出して政治で漫画表現を変えようとする。芸人でいえば「ヨゴレ」というヤツだろうか。
 

まあ彼女の意見については自分が誤読して部分もあるかもしれない。
でも自分のお眼鏡にかなわない作品は滅びろとまで言っているのだから、誤解はそんなに無いのでは無いかと思う。

さらに続く。

 

赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

  • 作者: 楠本 まき
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: コミック



A国生活 (フィールコミックス)

A国生活 (フィールコミックス)

  • 作者: 楠本 まき
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2014/08/08
  • メディア: コミック


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ジェンダーバイアスのかかった漫画はなぜ滅ぼされなくてはならないのか?令和のテラさんここにあり [時事ネタ]

今度はジェンダーバイアスだそうだ。


楠本まきさんという漫画家が「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」と語って注目を集めているらしい。そのインタビュー記事を頑張って好意的に読んでみたつもりだが、どうにも共感できないものだった。

そもそもジェンダーバイアスって何って話だ。
意味のことではない。
それを出版コード化してしまおうという姿勢に疑問を感じてしまう。

ちなみにインタビュー記事ではジェンダーバイアスを以下のように定義している。

>ジェンダーバイアス…性別によって社会的・文化的役割の固定概念を持つこと。社会における女性に対する評価や扱いが差別的であることや、「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。

インタビューのまずこの部分を読んで、首を傾げてしまった。
>その作品では、女の子が可愛いと思う女の子を描きたい、というのがまず第一にありました。その頃主流の少女漫画は学園モノで、特に取り柄もないしパッとしない主人公が、何かと男の子に尽くして、その優しさ(?)にほだされた彼の心を射止めてハッピーエンドというような話が多かったんです。私は、こういう主人公は嫌だなあと思っていて。「KISSxxxx」に出てくる“かめのちゃん”というキャラクターは、自分の容姿にうじうじ悩むこともないし、ややトロくても全く卑下しない。誰にも尽くさないし、男の子がいてもいなくても楽しくやっていけます。もちろん女子力アップも目指しません。それで、今も本当にたくさんの、当時少女だった読者の方たちが「私はかめのちゃんになりたかった」と言ってくれるんです。それがとてもうれしい。ちゃんと受け取ってもらえてよかったな、って。

連想したのはちばてつやの漫画、「ユカをよぶ海」だ。ちばてつやといえば「あしたのジョー」や「のたり松太郎」の人だが、「ユカをよぶ海」は少女漫画として描かれている。読んだことはないが、ちばてつやの自伝を二冊読んだその中でどちらにも取り上げられていて印象に残っている。最初に読んだ本は所有してないので記憶に頼るのだが、主人公の女の子がつまづいて「いけね」と舌をペロリ(テヘペロ)と描写したところ、大反響を巻き起こしたいう。

所有する『ちばてつやが語る「ちばてつや」』にはこうある。
>主人公のユカはいわば野生児のような少女で、『ママのバイオリン』のまなみとは大きく性格が異なる。前に述べたように当時の少女漫画といえば悲しい話ばかりで、ひたすら受け身の主人公が過酷な運命に耐えていくというパターンに、私はかなりストレスを溜めていた。そんな反発もあって、連載第二作は明るくて活発で、自分を率直に表現できる主人公にしてみたかった。主人公のユカが悲運に翻弄されるのは今まで通りだったが、いじめられて泣いてばかりいる主人公から、いじめられた時には言い返し、我慢し切れなくなった時には反撃するという方向に反旗を翻した。

>ユカは男の子が相手でも噛みついたりひっぱたいたり、時には取っ組み合いのケンカさえしてしまう。私はそんなユカをとても気に入っていたが、可憐な女の子が暴挙に出たり、ギャグで笑わせたりするというのは、当時の少女漫画ではタブーだった。予想通り、ユカが男の子に反抗するシーンを見た担当編集者はびっくりして、「これはちょっとまずいよ、せっかく人気が出てきたんだから描き直して」と言ってきた。この時ばかりは私の遅筆が功を奏した。締め切りはとっくに過ぎていて、もう描き直す時間がない。「それじゃあ間に合いません」とこちらも抵抗し、編集者も仕方がないと、不安を抱えながらもその回を載せてくれたのだ。

>するとどうだろう。発売直後から、私の家に読者からの手紙がドドドッと大量に届いたのである。当時の漫画雑誌はファンレターの送り先として、作者の住所を直接載せていたのだ。うれしいことに、どの手紙にも「お転婆なユカちゃん大好き」「男の子をやっつけて胸がすっとした」「もっと活躍させて!」と、ユカへの応援メッセージが書いてある。読者が、元気でお転婆な主人公を、熱熱に支持してくれたのだ。私は心の中で快哉を叫んだ。

>それまでは他人から何をされても我慢して、健気に生きていく、どこから見てもこんなに優しい子はいないという少女が主人公と決まっていた。そして、そうした主人公を読者の女の子たちが喜ぶものと漫画家も編集部も決めつけていたが、やはりそこには人間として無理がある。

>「女の子だって僕らと同じ人間だ。いじめられたら我慢しない。うれしい時は思い切り笑っていいんだ。口を閉じて上品に『ほほほ』なんてしなくていいんだ」
>そう思うと、ずっと感じていたモヤモヤが吹っ切れたような気がした。
>それ以後、さらに喜怒哀楽を表に出すキャラクターにユカを変えていくと、人気はますます確実なものになっていく手応えを感じた。

ちばてつやの場合、固定観念に凝り固まった編集者との戦いはあったわけだが、そういった交渉に使うための武器の一つとしてジェンダーバイアスがあっても良いと思う。しかしジェンダーバイアスを楯に交渉を押し切ろうとすると話がおかしくなってくる。一番大事なのは、面白いかどうかだ。楠本さんはルールとしてまずジェンダーバイアスのかかったものを一律禁止するという姿勢なのがおかしいと思う。

「ユカをよぶ海」は一番理想的なジェンダーバイアスの打ち破り方をした作品と捉えて間違いないと思う。ステレオタイプを打ち破った少女像が、新たなステレオタイプ像になるほどの大きな需要があったのだから。ドラッカー的に言えば、潜在的な顧客を創造したということだろうか。いわゆる、漫画はこうであるというお約束を打ち破ったわけである。ジェンダーバイアス言わなくても、そう言った固定概念を覆すことが商売の成功につながっていることは漫画に限ったことではない。

楠本さんインタビューにはこうある。
>それで、今も本当にたくさんの、当時少女だった読者の方たちが「私はかめのちゃんになりたかった」と言ってくれるんです。それがとてもうれしい。ちゃんと受け取ってもらえてよかったな、って。

楠本さんも、ユカをよぶ海も、商業的に成功をおさめたから一見正しいと思える。しかし、ユカ的な活発な女の子が少女漫画のお約束になって、生き苦しくなった内向的な女の子だってたくさんいたはずなのである。誰がその非ジェンダーバイアス観が正しいと言い切れるのだろうか。

楠本さんが問題に挙げている部分も首を捻る。
>今、私は少女漫画誌というより、もう少し年齢層の高い女性漫画誌で描いているんですけど、そうすると、婚活とか、女子力がテーマみたいな作品がものすごく多いんですよね。で、どうしてこうなるのかなと考えたときに、作家自身がジェンダーバイアスに囚われていると、まあ、作品もそうなってしまうよね、と。

>でも漫画だけではないですよね。姪っ子が小学校の4年生くらいの時に「女子力アップして、彼氏をゲット」みたいなライトノベルが流行っているんだと言って読んでいて、とても衝撃を受けたんです。これは本当になんとかしなきゃと思いましたね。

自分はイケメンでありながら、もう10年以上も彼女作りを失敗し続けて一度も成功したことのない人間だ。まあこの人的に言えば、彼女作らないと幸せになれないと世間にマインドコントロールされてる哀れな人、もっと他の生き方があるはずよ!頑張って!となるのだろう。大きなお世話である。

早い話が楠本さんは江川達也や山田玲司的な漫画家さんなのだと思う。
レールに乗った生き方をしている人を見ると、自由になれ!騙されてる!俺が本当の生き方を教えてやる!という人。

このままレールに乗り続けていたら死ぬ、苦しい、という人にこういう生き方があってもいいんじゃないですかと言うのはいいと思うんだけど、社会と自我をうまく折り合いつけてやっていくからこそ世の中回っていくと言う尊さってのが眼中にない。

過労死する社畜もいれば、コーラしか飲めずに死んだ漫画家も実際にいただろうし、ホームレスになって疾走して日記を描く漫画家もいたし、55歳になって仕事がなくなりお遍路旅をする漫画家もいた。花の慶次だったか。「自由とはのたれ死にする自由でもある」ってセリフをどこかで読んだ。自由になれと言って結果お前がその責任とるんかいという話だ。

耳をすませばにも有名なセリフがある。
「よし、雫。自分の信じる通り、やってごらん。でもな、人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。誰のせいにもできないからね」

うろ覚えだが、冨樫森監督、魚住直子原作の「非・バランス」はヒロインの「学校に通うことは戦争だ!」と言うセリフから始まっていて心を撃ち抜かれた。

そういう世間と折り合いをつけていく覚悟をしている人間を、操られているかわいそうな人としか見ない楠本さん的な人間は、俺から見たら逆にバイアスがかかって見えるのだ。

もちろんジェンダーバイアスを取り払うテーマはあっていいと思う。
正しさを誰かが決めるのかというのが難しい問題だ。
それを決めるのに楠本さんはふさわしくないと、俺個人は思う。
楠本さんはただのテラさんだ。
テラさん2.jpg
ちなみにプロからも非の打ち所がないと言われながらも「でも私じゃないよね」と言われ続けた俺だからこそ分かる女性観というのもあると思う。俺に言わせればこの世の中にはバイアスのかかった女性像しかない。楠本さんにだって絶対描けないと確信しているのである。やーいやーいバイアス作家〜!

 
ユカをよぶ海 コミック 全3巻完結セット (ちばてつや全集)

ユカをよぶ海 コミック 全3巻完結セット (ちばてつや全集)

  • 作者: ちば てつや
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1997/09/01
  • メディア: コミック



赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

  • 作者: 楠本 まき
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: コミック


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新紙幣登場!一万円札は渋沢栄一!1986年時の新紙幣登場は漫画でどう描かれていたのか? [時事ネタ]

新元号に続いて新札の発行には不意を突かれた。
なんかテンション上がるね。
電子書籍のおかげか紙の本が死に始めた報告をボチボチと聞く今日この頃ですが、電子決済の世の中になって紙幣は今回が最後のモデルチェンジになったりして。

紙幣のモデルチェンジで子供心に一番記憶に残っているのは、1986年に一万円札が聖徳太子から福沢諭吉になったこと。連載当時は近未来だった199X年が舞台の北斗の拳のオープニングに矛盾ができてしまった。

北斗の拳冒頭で、追い剥ぎたちが略奪したものの中で喜ぶのは水。札束は「今じゃケツをふく紙にもなりゃしねってのによぉ!」(原文ママ)と捨てられてしまう。核戦争で無法地帯化してキャッシュレスの世の中になったことを簡潔に説明しているのだが、捨てられる札束は聖徳太子の一万円札なのである。
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こち亀42巻「はつめい博士の巻」で両さんが新紙幣を一番乗りでゲットして得意がるシーンも印象的だ。中川に「旧紙幣をとっておく方が価値が出るのでは?」と指摘され、すぐにテンションが落ちている。
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もう一つ、「ハイスクール!奇面組」8巻の「変態コジキ王子の巻」も面白い。
ちょっとした冒頭の小ネタなのだが、主人公の父親がお札を眺めながら泣いているので、よっぽど家計が苦しいのかと察した主人公。高2になってもビッグワンガムを買うお金をせびっていた自分を恥じ、小遣いなんかいらないと宣言した途端ネタバラシとなる。

新札に変わるので旧紙幣を目に焼き付けておこうと思ったら、細かい模様に目が痛くなって涙していただけのウルトラ暇人だったというオチ。
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聖徳太子(旧一万円札と五千円札)と伊藤博文(旧千円札)を聖ちゃんと博りんと呼ぶのも子供心に衝撃的だった。
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ちなみに俺が子供の頃には五百円札というのもあった。
肖像は岩倉具視(いわくらともみ)。

いま一番岩倉具視が出ている漫画といえば「風雲児たち」だけども、1981年ごろの漫画で島崎譲の「青竜の神話(サーガ)」という幕末SF忍者漫画でも印象を残している。この岩倉具視はまあ「ともみ」という名前にふさわしい三國無双並みの史実無視のイケメンに描かれていて、2巻のおまけ漫画でも500円札の人物であることがネタにされている。
新札5.png
 
それにしても渋い人選だ。

渋沢栄一
津田梅子
北里柴三郎

探せばあるだろうけども、ちょっと出てくる漫画が思いつかない。。。

 

渋沢栄一 100の訓言 (日経ビジネス人文庫)

渋沢栄一 100の訓言 (日経ビジネス人文庫)

  • 作者: 渋澤 健
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2010/08/03
  • メディア: 文庫



津田梅子―六歳でアメリカに留学した女子教育のパイオニア (小学館版学習まんが人物館)

津田梅子―六歳でアメリカに留学した女子教育のパイオニア (小学館版学習まんが人物館)

  • 作者: みやぞえ 郁雄
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1997/10/01
  • メディア: 単行本



北里柴三郎 (コミック版世界の伝記)

北里柴三郎 (コミック版世界の伝記)

  • 作者: 竹林 月
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 単行本



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