ペンは剣よりも強し!だけど最後に頼るのはギャルゲーだ!さわやか「ゲーム雑誌ガイドブック」 [ゲーム]
また職場変わって引っ越し。
美容院も変えた。
出される雑誌は大抵「Number」「GetNavi」「LEON」です。
「ゲーム雑誌ガイドブック」というムックを読んだ。
いわゆるファミ通やファミマガ、バックアップ活用テクニックやコンプティークやテクノポリスなどの昔のゲーム雑誌をまとめて紹介した本である。
一通り読み終わった感想。
疲れた。
最初は読んでいて楽しかったのだが、だんだん飽きてくる。
なかなか雑誌ごとのカラーの違いを数ページで紹介するのは難しいし、ものすごく大雑把な言い方をすれば各紙それほど違いのあるものでもない。終わりに至る道のりも、ゲーム機が乱立し世代交代が早くなり、インターネットの発達で需要が減り、自然と休刊、または誌名変更かリニューアル。ギャルゲーに特化しようとして消えていく。そんなんばっかり繰り返し読まされるハメになる。
どこまでジャーナリスト出来るのかという一つの重大なテーマにおいても、ほとんどがゲームメーカーの圧力に屈服するか、あるいは需要がなくて商売にならず淘汰されていくという虚しい結末のオンパレードだ。
何が楽しくて雑誌なんて作ってるんだろ?と段々鬱になってくる。まあでも当時楽しく読んでた大切な思い出を作ってくれてたんだけどね。それが読んでわかるように一冊にまとめられたというのは素晴らしいことなのかもしれない。
特に印象に残ったのは各紙編集長の愚痴みたいなところ。
PCエンジンFAN創刊の際にソフトの本数が少ないと編集後記で書いてみたり、角川お家騒動で生まれた電撃系の雑誌では100字では語りつくせない創刊の苦労があったと書いてみたり、スクエニのゲームをぶった切ったらサンプル貸してもらえなくなったり。。。
あと、あらためて佐々木晃(東京省 TONG KING SHOW)の表紙は本当にいいなあと思った。
タイトーのゲームでおなじみの人だった。今何してるのかな。今ごろ画集出すとかありませんかね。
美容院も変えた。
出される雑誌は大抵「Number」「GetNavi」「LEON」です。
「ゲーム雑誌ガイドブック」というムックを読んだ。
いわゆるファミ通やファミマガ、バックアップ活用テクニックやコンプティークやテクノポリスなどの昔のゲーム雑誌をまとめて紹介した本である。
一通り読み終わった感想。
疲れた。
最初は読んでいて楽しかったのだが、だんだん飽きてくる。
なかなか雑誌ごとのカラーの違いを数ページで紹介するのは難しいし、ものすごく大雑把な言い方をすれば各紙それほど違いのあるものでもない。終わりに至る道のりも、ゲーム機が乱立し世代交代が早くなり、インターネットの発達で需要が減り、自然と休刊、または誌名変更かリニューアル。ギャルゲーに特化しようとして消えていく。そんなんばっかり繰り返し読まされるハメになる。
どこまでジャーナリスト出来るのかという一つの重大なテーマにおいても、ほとんどがゲームメーカーの圧力に屈服するか、あるいは需要がなくて商売にならず淘汰されていくという虚しい結末のオンパレードだ。
何が楽しくて雑誌なんて作ってるんだろ?と段々鬱になってくる。まあでも当時楽しく読んでた大切な思い出を作ってくれてたんだけどね。それが読んでわかるように一冊にまとめられたというのは素晴らしいことなのかもしれない。
特に印象に残ったのは各紙編集長の愚痴みたいなところ。
PCエンジンFAN創刊の際にソフトの本数が少ないと編集後記で書いてみたり、角川お家騒動で生まれた電撃系の雑誌では100字では語りつくせない創刊の苦労があったと書いてみたり、スクエニのゲームをぶった切ったらサンプル貸してもらえなくなったり。。。
あと、あらためて佐々木晃(東京省 TONG KING SHOW)の表紙は本当にいいなあと思った。
タイトーのゲームでおなじみの人だった。今何してるのかな。今ごろ画集出すとかありませんかね。
あの広告漫画は、あの若くして亡くなった天才漫画家が描いていた!内田名人「超ファミ漫」 [ゲーム]
内田名人の「超ファミ漫」という本を買った。
ファミコンブームの頃に、児童誌やゲーム雑誌に掲載されたコミカライズ作品の数々を紹介した本だ。「天龍源一郎 酒羅の如く」の原作者の岡戸隆一さんと同一人物らしい?どういうペンネームの由来なのかね。
「超ファミ漫」は結構な数の漫画を紹介しているのだが、まだ完全ではないという。
というか、すのうちさとると石垣環のウィザードリィが無いね。
ファミ通は「しあわせのかたち」「べーしっ君」「大トロ倶楽部」「禁断の秘技子ちゃん」「電子妖精アバタモ☆エクボ」まであるのに、「あんたっちゃぶる」や「アニマード」が無いのはなんでなのか。
とはいえ、濃いことには間違いない一冊です。
その中で一つ、びっくりした情報が。
ファミコン後期にアイジーエスという会社から発売された「アルマジロ」というゲームがある。
時に丸まったりしてゴールを目指す横スクロールのジャンプアクションゲームだ。検索するとアマゾンのレビューがトップに出てきて、「ソニックのパクリ」みたいに書かれていたが、発売は同時期である。
その広告が結構印象的だったのだが、あれを書いているのが「少女ネム」の木崎ひろすけだということを「超ファミ漫」で知った。
手元にあるデータ化された1991年のファミ通のアルマジロの広告を確認すると、クレジットがあった。
「木崎浩」名義だ。1996年の少女ネム以降の画風しか知らないので確信はできないが、まあ本人なのだろう。
週刊少年チャンピオンで17週にわたって連載もされていたらしい。本を読んでも今ひとつ分からないのだが、漫画の内容は見開き2Pで広告用に作られたものの流用っぽいそうだ。連載作品のふりした広告だったのだろうか。
木崎ひろすけはアルマジロの広告から10年後、2001年に36歳で亡くなっている。
アイジーエスも、今はもうない。
何年まで存続していたのだろうか。
ゲームはいっぱい出していたけど、代表作はと聞かれても思い出すのが困難な会社だ。
アルマジロのファミ通クロスレビューは以下の通り。
水野6、スタパ5、森下7、上野4。
開発力のなさは如何ともしがたいが、このゲームはTVCMも打っていたそうで、かなり営業に力を入れた感のあるタイトル。その辺をちと忖度したようなレビューに見える。
ファミコンブームの頃に、児童誌やゲーム雑誌に掲載されたコミカライズ作品の数々を紹介した本だ。「天龍源一郎 酒羅の如く」の原作者の岡戸隆一さんと同一人物らしい?どういうペンネームの由来なのかね。
「超ファミ漫」は結構な数の漫画を紹介しているのだが、まだ完全ではないという。
というか、すのうちさとると石垣環のウィザードリィが無いね。
ファミ通は「しあわせのかたち」「べーしっ君」「大トロ倶楽部」「禁断の秘技子ちゃん」「電子妖精アバタモ☆エクボ」まであるのに、「あんたっちゃぶる」や「アニマード」が無いのはなんでなのか。
とはいえ、濃いことには間違いない一冊です。
その中で一つ、びっくりした情報が。
ファミコン後期にアイジーエスという会社から発売された「アルマジロ」というゲームがある。
時に丸まったりしてゴールを目指す横スクロールのジャンプアクションゲームだ。検索するとアマゾンのレビューがトップに出てきて、「ソニックのパクリ」みたいに書かれていたが、発売は同時期である。
その広告が結構印象的だったのだが、あれを書いているのが「少女ネム」の木崎ひろすけだということを「超ファミ漫」で知った。
手元にあるデータ化された1991年のファミ通のアルマジロの広告を確認すると、クレジットがあった。
「木崎浩」名義だ。1996年の少女ネム以降の画風しか知らないので確信はできないが、まあ本人なのだろう。
週刊少年チャンピオンで17週にわたって連載もされていたらしい。本を読んでも今ひとつ分からないのだが、漫画の内容は見開き2Pで広告用に作られたものの流用っぽいそうだ。連載作品のふりした広告だったのだろうか。
木崎ひろすけはアルマジロの広告から10年後、2001年に36歳で亡くなっている。
アイジーエスも、今はもうない。
何年まで存続していたのだろうか。
ゲームはいっぱい出していたけど、代表作はと聞かれても思い出すのが困難な会社だ。
アルマジロのファミ通クロスレビューは以下の通り。
水野6、スタパ5、森下7、上野4。
開発力のなさは如何ともしがたいが、このゲームはTVCMも打っていたそうで、かなり営業に力を入れた感のあるタイトル。その辺をちと忖度したようなレビューに見える。
タグ:木崎ひろすけ
ゲーセンに入り浸っておっぱい鑑賞をしていた健全な中学時代を振り返る。「アーケード脱衣麻雀美少女コレクション」 [ゲーム]
「アーケード脱衣麻雀美少女コレクション」なるムックを購入。
かつてゲーセンに必ずあった脱衣麻雀の名作をまとめた本だ。
今年の2月に出たばかりだが、もうプレミアがついている。
脱衣麻雀とは、麻雀で勝つと女の子の裸の画像が見られるゲーム。
今やゲーセンといえばプリクラがその一角を占め、プリクラコーナーは男子禁制になってたりする(のを見かけたのが何年か前だ)が、当時は女子禁制でも18禁コーナーになるでもなく、脱衣麻雀は万人に開放されていたのである。
自分もドキドキしながら貴重な100円を投入した。
中学生の頃であろうか。
そんな子供にこんなゲームやらせて大丈夫かと悲鳴をあげる大人もいるかと思う。
今考えると、おっぱいへの興味は幼稚園の頃からあったが、それと性への目覚めは全然別の話だ。振り返ってみれば、自分は他の子供よりもずっと遅れていたと思う。脱衣麻雀も様々だが、自分の記憶に残っているゲームのほとんどは、素朴なエロだったと思う。
金のないおバカな連中とゲームをするでもなくゲーセンに入り浸っていた。たまに蛮勇を奮って脱衣麻雀にコインを投入すると、周りは「おっ、やるのか」という空気だ。そこで勝てばヒーローである。
しかし当時ゲーセンは悪の巣窟と呼ばれ、学校でも禁止されている場所である。時々親に見つかり無理やり引き摺り出され、面目を失うこともあった。
全て今となっては良き思い出である。いたって健全だという他ない。こういうところは押切蓮介の「ピコピコ少年」が漫画で描いている。
「アーケード脱衣麻雀美少女コレクション」で紹介されているゲームは、やったことのあるものは少ないが、知っているゲームが多い。ファミコン専門誌の中でもファミコン通信(現ファミ通)などはたまに脱衣麻雀を載せていたからだ。連載していた鈴木みその「あんたっちゃぶる」では第二回から日本物産ことニチブツを取材していた。
ファミ通に首位を奪われるファミマガには掲載が無かったと思う。クロスレビューだけではなく、こういう大人の顔色を伺う編集方針で差がついていたのだと思う。
やはりコンプライアンス無視の無茶苦茶なゲームが多い。
著作権無視で、アイコラもあり。
あまりにもフリーダムで笑うしかない。
よっぽど儲かるのか、カプコンですらファイナルファイトの頃まで別会社名義で作っていたという。
こういう本は掲載されているゲームの取捨選択に必ず異論が出るだろうが、自分としてはそこそこ楽しんで読むことができた。
かつてゲーセンに必ずあった脱衣麻雀の名作をまとめた本だ。
今年の2月に出たばかりだが、もうプレミアがついている。
脱衣麻雀とは、麻雀で勝つと女の子の裸の画像が見られるゲーム。
今やゲーセンといえばプリクラがその一角を占め、プリクラコーナーは男子禁制になってたりする(のを見かけたのが何年か前だ)が、当時は女子禁制でも18禁コーナーになるでもなく、脱衣麻雀は万人に開放されていたのである。
自分もドキドキしながら貴重な100円を投入した。
中学生の頃であろうか。
そんな子供にこんなゲームやらせて大丈夫かと悲鳴をあげる大人もいるかと思う。
今考えると、おっぱいへの興味は幼稚園の頃からあったが、それと性への目覚めは全然別の話だ。振り返ってみれば、自分は他の子供よりもずっと遅れていたと思う。脱衣麻雀も様々だが、自分の記憶に残っているゲームのほとんどは、素朴なエロだったと思う。
金のないおバカな連中とゲームをするでもなくゲーセンに入り浸っていた。たまに蛮勇を奮って脱衣麻雀にコインを投入すると、周りは「おっ、やるのか」という空気だ。そこで勝てばヒーローである。
しかし当時ゲーセンは悪の巣窟と呼ばれ、学校でも禁止されている場所である。時々親に見つかり無理やり引き摺り出され、面目を失うこともあった。
全て今となっては良き思い出である。いたって健全だという他ない。こういうところは押切蓮介の「ピコピコ少年」が漫画で描いている。
「アーケード脱衣麻雀美少女コレクション」で紹介されているゲームは、やったことのあるものは少ないが、知っているゲームが多い。ファミコン専門誌の中でもファミコン通信(現ファミ通)などはたまに脱衣麻雀を載せていたからだ。連載していた鈴木みその「あんたっちゃぶる」では第二回から日本物産ことニチブツを取材していた。
ファミ通に首位を奪われるファミマガには掲載が無かったと思う。クロスレビューだけではなく、こういう大人の顔色を伺う編集方針で差がついていたのだと思う。
やはりコンプライアンス無視の無茶苦茶なゲームが多い。
著作権無視で、アイコラもあり。
あまりにもフリーダムで笑うしかない。
よっぽど儲かるのか、カプコンですらファイナルファイトの頃まで別会社名義で作っていたという。
こういう本は掲載されているゲームの取捨選択に必ず異論が出るだろうが、自分としてはそこそこ楽しんで読むことができた。
重装騎兵「レイノス」「ヴァルケン」について好き勝手に語る [ゲーム]
こないだロボットゲームについて書いた際、ナムコの「ファイトネスアワー」の動画を見て、「重装騎兵レイノス」に似ていることに気が付いた。
1989年10月発売のファミコン通信のアーケードゲーム通信にて、ファイトネスアワーが紹介されているが、同じ号の新作カレンダーに翌90年2月発売のゲームとして「重装騎兵レイノス」の名前がある。
上中下に角度をつけて弾を撃つとこや、爆炎の広がり方などそっくりだ。
レイノスにはファイトネスアワーの影響があるのか?
両者の開きには約四ヶ月の期間がある。昔のゲームは「半年で一人で作った」みたいな話がよくあるが、その時代からあまり経ってないとはいえ、幾ら何でもそんな僅かな期間で模倣した、というのはリアリティがない。ましてやファイトネスアワーはヒット作でもない。一方、レイノスはフォロワー作品を近年も生み出す名作ロボゲーの礎として一部のマニアに知られている。
是非、そう言ったとこまで言及したメイキング記事が読みたいとこなのだが、自分が所有している関連資料はアスキーが1992年に発行した続編ゲームの攻略本、「重装騎兵ヴァルケン公式ガイドブック」のみである。巻末にインタビュー記事があり、それほど深い内容が無い事は記憶しているのだが、改めて読み返してみた。
ちなみにヴァルケンはレイノスの続編で、横スクロールアクションロボットゲームにおいて、未だ超えるもののない最高峰中の最高峰。ロボゲーの「萌え」を全て完璧に演出しきった上にゲームとしてのバランスも取れている。それまでのメサイア(開発元)の文脈からは絶対出てこないようなクオリティで驚いたものだった。はっきり言って、レイノスとも全然違うゲームだと思う。
のちに大宮ソフトを立ち上げ、カルドセプトでヒットを飛ばしたメインディレクターの鈴木英夫という人が優秀だったのだろう。レイノスのスタッフロールにプログラマーとして「H.SUZUKI」とある。ちなみに同じくプログラマーとしてレイノスにクレジットされてる「T.OHYA」は、ヴァルケンのプログラムを担当した大矢哲也氏のことなのではないか。
話が逸れた。インタビューの内容に戻るが、ヴァルケンの企画がスタートしたのが1991年の初めなんだそう。レイノス発売から一年と間隔が空いており、会社からは「なんでもいいからスーパーファミコンで1本作れ」という注文だったというから、レイノスの社内の評価がそれほど高くない事がわかる。
で、6ページあるインタビューなのだが、レイノスのことがうかがい知れる情報はこれぐらいなのだった。。。ヴァルケンの攻略本は他に「重装機兵ヴァルケンのすべて」があるのを今回初めて知ったが、中古で6000円もするので、ちょっと内容がわからないことには手がでない。。。
ところでこのヴァルケンの攻略本、何か仕事っぷりが豪華だ。編集者ですらそれほどの敬意を抱くゲームだったということだろうか。鎗田準次はファミ通編集者だからわかるが、玉木美孝までイラストを描いているのだ。
さらにヴァルケンとライバルメカも立体化してグラビアを乗っけている。
そもそも、これぐらいの時期って、引き抜きを防ぐためにスタッフの顔出しインタビューはご法度のような気もするし、その辺を押し切って編集者の熱意でインタビューを実現してしまったのだろうか。そしてこの攻略本を読んだスクエアの引き抜き班が暗躍、ガンハザードに繋げたとか妄想してしまう。。。
その後の重装騎兵ブランドは迷走する。
レイノス2が1997年。ヴァルケン2が1999年。しかし独立したメインスタッフが1996年に「ガンハザード」を作ってしまったあとのことである。うまくいくはずがなかった。
2004年、プレステ2にヴァルケンが移植されて話題になった。「ヴァルケン公式ガイドブック」のインタビューでも語られていた雨の没ステージが収録されるなど興味をひいたが、発売されると移植技術の低さで炎上して、逆にさらなる話題になってしまった。
2007年、シンプルシリーズから発売されたフォロワー的作品、「装甲機兵ガングラウンド」を遊んだ。途中で飽きちゃったけど。
今回色々調べていたら見つけた、海外のヴァルケンフォロワー作品「Metal Warriors」。
よくできているが銃の音が軽すぎる。。。
「機装猟兵ガンハウンド」なんてのもあるそうだ。面白そうだな。
2015年、ガンハウンドを作った会社がレイノスをリメイクしている。体験版で遊んでまあいいやぐらいでスルーしちゃったけど。PS4持ってないし。
ゲームセンターCXは「重装騎兵レイノス」を課長にやらせるべきだと思う。
面白いけど忍耐のいるマゾゲーだと思うので、挑戦にぴったりだと思う。
ちなみに自分は実はクリアしたことないのであった。
1回だけマグレで最終面までいったのみ。
連打しにくい初期のメガドラパッドで大魔界村ノーコンテニューで2周するぐらいの腕前はあるんだけど。。。
脚本家の岐部さんはセガマニアを公言しているのに、なぜレイノスをやらないのか疑問。
1989年10月発売のファミコン通信のアーケードゲーム通信にて、ファイトネスアワーが紹介されているが、同じ号の新作カレンダーに翌90年2月発売のゲームとして「重装騎兵レイノス」の名前がある。
上中下に角度をつけて弾を撃つとこや、爆炎の広がり方などそっくりだ。
レイノスにはファイトネスアワーの影響があるのか?
両者の開きには約四ヶ月の期間がある。昔のゲームは「半年で一人で作った」みたいな話がよくあるが、その時代からあまり経ってないとはいえ、幾ら何でもそんな僅かな期間で模倣した、というのはリアリティがない。ましてやファイトネスアワーはヒット作でもない。一方、レイノスはフォロワー作品を近年も生み出す名作ロボゲーの礎として一部のマニアに知られている。
是非、そう言ったとこまで言及したメイキング記事が読みたいとこなのだが、自分が所有している関連資料はアスキーが1992年に発行した続編ゲームの攻略本、「重装騎兵ヴァルケン公式ガイドブック」のみである。巻末にインタビュー記事があり、それほど深い内容が無い事は記憶しているのだが、改めて読み返してみた。
ちなみにヴァルケンはレイノスの続編で、横スクロールアクションロボットゲームにおいて、未だ超えるもののない最高峰中の最高峰。ロボゲーの「萌え」を全て完璧に演出しきった上にゲームとしてのバランスも取れている。それまでのメサイア(開発元)の文脈からは絶対出てこないようなクオリティで驚いたものだった。はっきり言って、レイノスとも全然違うゲームだと思う。
のちに大宮ソフトを立ち上げ、カルドセプトでヒットを飛ばしたメインディレクターの鈴木英夫という人が優秀だったのだろう。レイノスのスタッフロールにプログラマーとして「H.SUZUKI」とある。ちなみに同じくプログラマーとしてレイノスにクレジットされてる「T.OHYA」は、ヴァルケンのプログラムを担当した大矢哲也氏のことなのではないか。
話が逸れた。インタビューの内容に戻るが、ヴァルケンの企画がスタートしたのが1991年の初めなんだそう。レイノス発売から一年と間隔が空いており、会社からは「なんでもいいからスーパーファミコンで1本作れ」という注文だったというから、レイノスの社内の評価がそれほど高くない事がわかる。
で、6ページあるインタビューなのだが、レイノスのことがうかがい知れる情報はこれぐらいなのだった。。。ヴァルケンの攻略本は他に「重装機兵ヴァルケンのすべて」があるのを今回初めて知ったが、中古で6000円もするので、ちょっと内容がわからないことには手がでない。。。
ところでこのヴァルケンの攻略本、何か仕事っぷりが豪華だ。編集者ですらそれほどの敬意を抱くゲームだったということだろうか。鎗田準次はファミ通編集者だからわかるが、玉木美孝までイラストを描いているのだ。
さらにヴァルケンとライバルメカも立体化してグラビアを乗っけている。
そもそも、これぐらいの時期って、引き抜きを防ぐためにスタッフの顔出しインタビューはご法度のような気もするし、その辺を押し切って編集者の熱意でインタビューを実現してしまったのだろうか。そしてこの攻略本を読んだスクエアの引き抜き班が暗躍、ガンハザードに繋げたとか妄想してしまう。。。
その後の重装騎兵ブランドは迷走する。
レイノス2が1997年。ヴァルケン2が1999年。しかし独立したメインスタッフが1996年に「ガンハザード」を作ってしまったあとのことである。うまくいくはずがなかった。
2004年、プレステ2にヴァルケンが移植されて話題になった。「ヴァルケン公式ガイドブック」のインタビューでも語られていた雨の没ステージが収録されるなど興味をひいたが、発売されると移植技術の低さで炎上して、逆にさらなる話題になってしまった。
2007年、シンプルシリーズから発売されたフォロワー的作品、「装甲機兵ガングラウンド」を遊んだ。途中で飽きちゃったけど。
今回色々調べていたら見つけた、海外のヴァルケンフォロワー作品「Metal Warriors」。
よくできているが銃の音が軽すぎる。。。
「機装猟兵ガンハウンド」なんてのもあるそうだ。面白そうだな。
2015年、ガンハウンドを作った会社がレイノスをリメイクしている。体験版で遊んでまあいいやぐらいでスルーしちゃったけど。PS4持ってないし。
ゲームセンターCXは「重装騎兵レイノス」を課長にやらせるべきだと思う。
面白いけど忍耐のいるマゾゲーだと思うので、挑戦にぴったりだと思う。
ちなみに自分は実はクリアしたことないのであった。
1回だけマグレで最終面までいったのみ。
連打しにくい初期のメガドラパッドで大魔界村ノーコンテニューで2周するぐらいの腕前はあるんだけど。。。
脚本家の岐部さんはセガマニアを公言しているのに、なぜレイノスをやらないのか疑問。
【追記あり】こんなゲームは見たことない!情報求むジャレコの「ボッシュ」 [ゲーム]
ロボットゲームについて調べていたら、変なゲームを見つけた。
ファミコン通信、1992年11月13・20日合併号の企画、「ポリゴン伝説」より。
業界を変えた新技術、ポリゴンを使用したゲームの特集記事だ。
ジャレコの「ボッシュ」。
何とバトルテックが1プレイ1000円の時代に、1プレイ100円だという。
これは流行る!
だが、こんなゲームは見たことも聞いたこともない。
ざっとネットを検索しても出てこない。
このファミ通の特集も覚えているが、ボッシュはまるで記憶にない。
おそらく、これ以外にファミ通で紹介されたこともないであろう。
バトルテックが出た時、銀河漂流バイファムのシミュレーションのような体験ができる日がついに来たと思った。しかし1プレイ千円。おそらく東京まで出向かないとプレイできない。敷居が高い。しかしそれでこそ長年の夢、とも思わせられた。それがボッシュは1プレイ100円である。そんなことを、ファミ通はしれっと十把一絡げに紹介している。いつ稼働したのかも定かでない。
記事を読むと、海外製とある。
雑誌で紹介された画面は、いかにも海外。PCゲーっぽい。
ロボットを操縦するゲームなのにも関わらず、パイロットの背中が見えるサードパーソンシューティングというのは面白い。「2本のレバーを操り」と書いてあるのでバーチャロン的な感じか。
このゲーム、検索しても全然情報が出てこないが、本当に稼働していたのだろうか。どこかでひっそりロケテストして、それで終わってしまったとか、そんなのなのだろうか。情報求む。
ピコピコ少年における「霊界導士」のように、「そんなゲームねえよ!嘘つくな!」とか迫害されている経験を持つ人もいるのではなかろうか。
【追記】
Twitterであっさり回答をもらえた。
タイトルがそもそも間違いで、「B.O.T.S.S. Battle Of The Solar System」という1991年の Microprose Gamesという会社が作ったのだそうだ。
ファミコン通信、1992年11月13・20日合併号の企画、「ポリゴン伝説」より。
業界を変えた新技術、ポリゴンを使用したゲームの特集記事だ。
ジャレコの「ボッシュ」。
何とバトルテックが1プレイ1000円の時代に、1プレイ100円だという。
これは流行る!
だが、こんなゲームは見たことも聞いたこともない。
ざっとネットを検索しても出てこない。
このファミ通の特集も覚えているが、ボッシュはまるで記憶にない。
おそらく、これ以外にファミ通で紹介されたこともないであろう。
バトルテックが出た時、銀河漂流バイファムのシミュレーションのような体験ができる日がついに来たと思った。しかし1プレイ千円。おそらく東京まで出向かないとプレイできない。敷居が高い。しかしそれでこそ長年の夢、とも思わせられた。それがボッシュは1プレイ100円である。そんなことを、ファミ通はしれっと十把一絡げに紹介している。いつ稼働したのかも定かでない。
記事を読むと、海外製とある。
雑誌で紹介された画面は、いかにも海外。PCゲーっぽい。
ロボットを操縦するゲームなのにも関わらず、パイロットの背中が見えるサードパーソンシューティングというのは面白い。「2本のレバーを操り」と書いてあるのでバーチャロン的な感じか。
このゲーム、検索しても全然情報が出てこないが、本当に稼働していたのだろうか。どこかでひっそりロケテストして、それで終わってしまったとか、そんなのなのだろうか。情報求む。
ピコピコ少年における「霊界導士」のように、「そんなゲームねえよ!嘘つくな!」とか迫害されている経験を持つ人もいるのではなかろうか。
【追記】
Twitterであっさり回答をもらえた。
タイトルがそもそも間違いで、「B.O.T.S.S. Battle Of The Solar System」という1991年の Microprose Gamesという会社が作ったのだそうだ。
「ロボットゲームは必ず失敗する」業界にトラウマを与え重役を老害化させたロボゲー戦犯は何なのか? [ゲーム]
田中圭一の「若ゲのいたり〜ゲームクリエイターの青春〜」のバーチャロンの回を読んでいて気になったことがある。
「電脳戦機バーチャロン」は、1995年にセガがリリースしたヒットゲームだが、企画では「ロボットゲームは売れない」と、常務の猛反発を食らったという。
「(企画書を)見なくてもわかる。オレはもう業界で30年やってるんだ」
「ロボットが主役のゲームは絶対にヒットしない!」
「社長!オレはこのゲーム、ダメな方にクビをかけます!」
似たような話を「ギャラクシアン創世記」でも読んだ。
1996年の戦車ゲーム、「トーキョーウォーズ」制作秘話である。
---------------------
澤野 当時は通信のゲームってドライブばかりだったからか、みんなドライブゲームの企画ばっかり出してきてねぇ。ドライブ以外で通信ゲームを作れ!って言ったんですよ。そしたらロボットの対戦ゲームを考えて企画を進めていたんで「やめろ」って言ったんです。
ー それは何でロボットはダメだったんですか?
澤野 ロボットなんて初めて遊ぶのにどうやって操作したらいいか分からないじゃないですか。誰も乗った人が居ないのに。そんなしちめんどくさいものをテーマにするんじゃないよ!って怒って。戦車なら良くわかるだろ?って。
ー 一般の人が戦車に乗ったことあるのか、というツッコミはさておき戦車がテーマであるならナムコ作品の系譜ですし、分かり易いかもしれませんね。
---------------------
トーキョーウォーズはゲーム画面のクレジットが1995年とあることから、電脳戦機バーチャロンとほぼ同じ時期の開発、稼働開始と考えて間違いない。同じアーケードの通信対戦ポリゴンゲームである。どちらに軍配があがるかと言えば、知名度的に言えば成功したのは圧倒的にバーチャロンだろう。
大成功するバーチャロンを見て、ナムコの製作陣はどう思ったのだろうか。澤野氏も間違いなく、その時に何か気まずい思いをしたと思うのだが忘れてるのだろうか。。。ちなみにインタビューは2017年のもの。澤野氏の退社したナムコはバンダイと合併。バーチャロン的なガンダムゲームがロングランヒットしているのを見て、何も思わないのだろうか。
インタビュアーはそのことについて突っ込んでいない。澤野氏も「トーキョーウォーズには凄い思入れがある」、「後からその判断で間違いないということを理解してもらえたからよかった(笑)」と気にする風でもない。
そもそもトーキョーウォーズもバーチャロンも、ポリゴンという業界の大革命である新技術で何ができるのかという企画である。この新技術は、多くの少年の夢である「巨大ロボを操縦したい」という願望に最も相性が良かったことは、「戦場の絆」「鉄騎」「アーマードコア」「ガングリフォン」「機動戦士ガンダム vs.シリーズ」「アナザーセンチュリーズエピソード」など、名作が多く生まれたことからもわかると思う。
「若ゲのいたり」で、セガの社長がこう言ったとある。
「確かにロボットのゲームが成功したなんて話、私も聞いたことがない」
「なのに若い奴らからは毎年のようにロボットの企画が出てくる」
若手のクリエイターはロボットゲームを渇望していたのである。
そして需要もあった。
なのにポリゴンゲームの先陣を切ったナムコのリリースは、1993年の「サイバースレッド」、95年の「トーキョーウォーズ」だった。当時「わかってねえなあ」と思ったのを強く覚えている。トーキョーウォーズの市街戦というコンセプトは良いと思う。プラモ狂四郎を思い出した。
これがロボットだったらなと思う。
あと、トーキョーウォーズはゆうきまさみの「パトレイバー」の序盤に出てくる体感ゲーム「パトレイバー」も思い出す。
この漫画に出てくるゲームにも、当時胸をときめかせたものだ。そういう人も多かったのではなかろうか。パトレイバーが1988年から94年の作品らしい。なぜ誰も真似しなかったのか。
よくよく考えてみれば、体感ゲームでは間違いなくリーディングカンパニーであったセガから、体感のロボットゲームは一作もない気がする。それほどまでに、ゲーム会社の重役たちがロボットゲームを避ける原因になった戦犯とは何なのだろうか。これはよく分からない。
ナムコといえば1989年の「ファイトネスアワー」がある。
まあヒットしなかったとカテゴライズしても間違いないゲームだろう。雑誌で見たときはロボットを操れると興奮したが、昔ジャスコで一度プレイしたっきりだ。面白いかつまらないか、どう感じたか覚えていないが、あまりピンとこなかった。
ファイトネスアワーが稼働した89年のナムコゲームに「ウィニングラン」がある。まさにポリゴン時代の先陣を切ったのがこのゲームで、この企画の系譜にトーキョーウォーズも存在する。ナムコの澤野氏は、ロボットの企画が上がってきた時にファイトネスアワーを連想したのではないだろうか。ナムコ発の「バーチャロン」を逃すにはちょっとボンヤリした理由だけども。
業界にトラウマを蔓延させるまでに至るロボットゲームの失敗作。
ちょっと思いつかない。
誰かわかる方はいないだろうか。
「電脳戦機バーチャロン」は、1995年にセガがリリースしたヒットゲームだが、企画では「ロボットゲームは売れない」と、常務の猛反発を食らったという。
「(企画書を)見なくてもわかる。オレはもう業界で30年やってるんだ」
「ロボットが主役のゲームは絶対にヒットしない!」
「社長!オレはこのゲーム、ダメな方にクビをかけます!」
似たような話を「ギャラクシアン創世記」でも読んだ。
1996年の戦車ゲーム、「トーキョーウォーズ」制作秘話である。
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澤野 当時は通信のゲームってドライブばかりだったからか、みんなドライブゲームの企画ばっかり出してきてねぇ。ドライブ以外で通信ゲームを作れ!って言ったんですよ。そしたらロボットの対戦ゲームを考えて企画を進めていたんで「やめろ」って言ったんです。
ー それは何でロボットはダメだったんですか?
澤野 ロボットなんて初めて遊ぶのにどうやって操作したらいいか分からないじゃないですか。誰も乗った人が居ないのに。そんなしちめんどくさいものをテーマにするんじゃないよ!って怒って。戦車なら良くわかるだろ?って。
ー 一般の人が戦車に乗ったことあるのか、というツッコミはさておき戦車がテーマであるならナムコ作品の系譜ですし、分かり易いかもしれませんね。
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トーキョーウォーズはゲーム画面のクレジットが1995年とあることから、電脳戦機バーチャロンとほぼ同じ時期の開発、稼働開始と考えて間違いない。同じアーケードの通信対戦ポリゴンゲームである。どちらに軍配があがるかと言えば、知名度的に言えば成功したのは圧倒的にバーチャロンだろう。
大成功するバーチャロンを見て、ナムコの製作陣はどう思ったのだろうか。澤野氏も間違いなく、その時に何か気まずい思いをしたと思うのだが忘れてるのだろうか。。。ちなみにインタビューは2017年のもの。澤野氏の退社したナムコはバンダイと合併。バーチャロン的なガンダムゲームがロングランヒットしているのを見て、何も思わないのだろうか。
インタビュアーはそのことについて突っ込んでいない。澤野氏も「トーキョーウォーズには凄い思入れがある」、「後からその判断で間違いないということを理解してもらえたからよかった(笑)」と気にする風でもない。
そもそもトーキョーウォーズもバーチャロンも、ポリゴンという業界の大革命である新技術で何ができるのかという企画である。この新技術は、多くの少年の夢である「巨大ロボを操縦したい」という願望に最も相性が良かったことは、「戦場の絆」「鉄騎」「アーマードコア」「ガングリフォン」「機動戦士ガンダム vs.シリーズ」「アナザーセンチュリーズエピソード」など、名作が多く生まれたことからもわかると思う。
「若ゲのいたり」で、セガの社長がこう言ったとある。
「確かにロボットのゲームが成功したなんて話、私も聞いたことがない」
「なのに若い奴らからは毎年のようにロボットの企画が出てくる」
若手のクリエイターはロボットゲームを渇望していたのである。
そして需要もあった。
なのにポリゴンゲームの先陣を切ったナムコのリリースは、1993年の「サイバースレッド」、95年の「トーキョーウォーズ」だった。当時「わかってねえなあ」と思ったのを強く覚えている。トーキョーウォーズの市街戦というコンセプトは良いと思う。プラモ狂四郎を思い出した。
これがロボットだったらなと思う。
あと、トーキョーウォーズはゆうきまさみの「パトレイバー」の序盤に出てくる体感ゲーム「パトレイバー」も思い出す。
この漫画に出てくるゲームにも、当時胸をときめかせたものだ。そういう人も多かったのではなかろうか。パトレイバーが1988年から94年の作品らしい。なぜ誰も真似しなかったのか。
よくよく考えてみれば、体感ゲームでは間違いなくリーディングカンパニーであったセガから、体感のロボットゲームは一作もない気がする。それほどまでに、ゲーム会社の重役たちがロボットゲームを避ける原因になった戦犯とは何なのだろうか。これはよく分からない。
ナムコといえば1989年の「ファイトネスアワー」がある。
まあヒットしなかったとカテゴライズしても間違いないゲームだろう。雑誌で見たときはロボットを操れると興奮したが、昔ジャスコで一度プレイしたっきりだ。面白いかつまらないか、どう感じたか覚えていないが、あまりピンとこなかった。
ファイトネスアワーが稼働した89年のナムコゲームに「ウィニングラン」がある。まさにポリゴン時代の先陣を切ったのがこのゲームで、この企画の系譜にトーキョーウォーズも存在する。ナムコの澤野氏は、ロボットの企画が上がってきた時にファイトネスアワーを連想したのではないだろうか。ナムコ発の「バーチャロン」を逃すにはちょっとボンヤリした理由だけども。
業界にトラウマを蔓延させるまでに至るロボットゲームの失敗作。
ちょっと思いつかない。
誰かわかる方はいないだろうか。
電脳戦機バーチャロン×とある魔術の禁書目録 とある魔術の電脳戦機 -PSVita
- 出版社/メーカー: セガゲームス
- メディア: Video Game
幸福なコミカライズ、島本和彦の隠れた名作!「サムライスピリッツ」 [ゲーム]
来年、サムライスピリッツの新作が出るという。
オリジナルはスト2ブームの頃、ついに出たという感じの武器格闘ゲームだったが、まあ出来もよろしくて人気ゲームとなった。アニメ化もされた。ゲームを作っていたSNKの社運をかけたゲーム機、ネオジオ64のローンチタイトルにも選ばれたのはよかったのか悪かったのか。ポリゴンブームの波に飲み込まれ、SNKが育てた人気タイトルは一夜にして海の底に沈むアトランティス大陸となった。もはや神話となってしまった、遠い昔の話である。
で、その人気全盛の頃、コミックボンボンのコミカライズでなんと島本和彦が描いているのである!島本和彦は量産体制の漫画家で当たり外れがある上に児童誌である。どんな適当なもんが出来上がってくるか嫌な予感がしてしまうのだが、これがまあ見事に嫌な予感が大外れで、島本作品の中でもかなりの傑作な部類なのではなかろうかと思う。
タイアップ的なコミカライズが失敗してしまうのは、作家に与えられる情報が混沌としている発売前に仕事を進めなくてはいけない都合上、モチベーションは上がらないわ、作品をリスペクトする暇もないわで、もはや必然とも言える。
島本版のコミカライズが成功したのは発注時期が要因だと思われる。ゲームは1993年に発売されているが、漫画の連載は94年の6月号から。ゲームをスタッフらとかなりやりこんだのだろう。作画に原作愛がかなり感じられる。ゲームをやったことがある人ならわかる攻防、間の取り方など、そのまんま違和感なく作品に取り入れているのだ。
キャラクターも捨てキャラなく、原作のイメージを逸脱せず、その上に島本和彦の解釈をのせ発展させているが失敗していないと思うのである。殺伐とせずどこか牧歌的で心地よい世界観だ。
特に不知火幻庵が良い。
2巻はナコルルの2Pカラーが登場し、良いコンビになっている。
最後まで空回りを貫き通して、他キャラと全く噛み合わないガルフォードも良い。
2巻で終わっているのは惜しいと思うぐらいキャラクターがよく出来ている。まあ良いとこで終わってるということかも知れない。
ちなみに同じ時期に内藤泰弘がファミリーコンピュータマガジンでコミカライズを連載している。こちらはオリジナル要素満載で、狙ったのかどうなのか打ち切りっぽい終わり方をしている。
その翌年、内藤氏は「トライガン」の連載を始め、大ヒットさせてしまうのである。内藤版サムスピは苦手なのだが、自分はトライガンも肌に合わないので、好きな人には面白いのかも知れない。
オリジナルはスト2ブームの頃、ついに出たという感じの武器格闘ゲームだったが、まあ出来もよろしくて人気ゲームとなった。アニメ化もされた。ゲームを作っていたSNKの社運をかけたゲーム機、ネオジオ64のローンチタイトルにも選ばれたのはよかったのか悪かったのか。ポリゴンブームの波に飲み込まれ、SNKが育てた人気タイトルは一夜にして海の底に沈むアトランティス大陸となった。もはや神話となってしまった、遠い昔の話である。
で、その人気全盛の頃、コミックボンボンのコミカライズでなんと島本和彦が描いているのである!島本和彦は量産体制の漫画家で当たり外れがある上に児童誌である。どんな適当なもんが出来上がってくるか嫌な予感がしてしまうのだが、これがまあ見事に嫌な予感が大外れで、島本作品の中でもかなりの傑作な部類なのではなかろうかと思う。
タイアップ的なコミカライズが失敗してしまうのは、作家に与えられる情報が混沌としている発売前に仕事を進めなくてはいけない都合上、モチベーションは上がらないわ、作品をリスペクトする暇もないわで、もはや必然とも言える。
島本版のコミカライズが成功したのは発注時期が要因だと思われる。ゲームは1993年に発売されているが、漫画の連載は94年の6月号から。ゲームをスタッフらとかなりやりこんだのだろう。作画に原作愛がかなり感じられる。ゲームをやったことがある人ならわかる攻防、間の取り方など、そのまんま違和感なく作品に取り入れているのだ。
キャラクターも捨てキャラなく、原作のイメージを逸脱せず、その上に島本和彦の解釈をのせ発展させているが失敗していないと思うのである。殺伐とせずどこか牧歌的で心地よい世界観だ。
特に不知火幻庵が良い。
2巻はナコルルの2Pカラーが登場し、良いコンビになっている。
最後まで空回りを貫き通して、他キャラと全く噛み合わないガルフォードも良い。
2巻で終わっているのは惜しいと思うぐらいキャラクターがよく出来ている。まあ良いとこで終わってるということかも知れない。
ちなみに同じ時期に内藤泰弘がファミリーコンピュータマガジンでコミカライズを連載している。こちらはオリジナル要素満載で、狙ったのかどうなのか打ち切りっぽい終わり方をしている。
その翌年、内藤氏は「トライガン」の連載を始め、大ヒットさせてしまうのである。内藤版サムスピは苦手なのだが、自分はトライガンも肌に合わないので、好きな人には面白いのかも知れない。
NEOGEO mini【Amazon.co.jp限定】「TWINKLE STAR SPRITES」STEAMコード 配信
- 出版社/メーカー: SNKプレイモア
- メディア: Video Game
ドラクエの堀井雄二、ビアンカかフローラか選べず、慰謝料10億円 [ゲーム]
dマガジンで週刊新潮の堀井雄二の離婚記事を読んだ。
ネットニュースで読んだ時はなんかよく分からなかったのだけれど、整理すると
・20年以上前、ドラクエ4の頃にゲームショーで知り合う。
・女25歳でゲーム業界関係者、堀井38歳。
・女はドラクエのことは知っていたが、堀井雄二のことは知らなかったそう???
・ちなみに当時の堀井雄二の納税額8000万円強。
・男女の関係になった後、女性は堀井が既婚者だと知る。
・嫌われると思ったので言い出せなかったという堀井に、彼女は開いた口が塞がらなかったという。
・堀井雄二は離婚すると約束し、親にも挨拶に行った。
・が、結局約束は果たされず、5年後に互いに弁護士を立てて破局。
・慰謝料数千万円。
・その後も彼女はドラクエのスタッフとして働く。
・愛人に仕事を回していると思われても仕方ないが、金の取れる仕事をしていた。
・2016年に長らく別居状態だった妻と堀井が離婚したので復縁。
・別居状態だった間、会ってはいたが破局から現在まで男女の関係はなし。
・信仰するカトリックの神父のアドバイスから、彼女がアプローチしたという。
・別れた妻には10億円の慰謝料。
・堀井が胃がん(完治)になったのも復縁の決め手になったと思われる。
・堀井は優柔不断なところがあると自己分析している。
そんな人間がドラクエ5を作ったのか。。。
堀井は車もブランドも興味なし。
鈴木みその「おとなのしくみ」にもあったが物欲がないらしい。
旅行は好きだが、飛行機はエコノミーなのだそうだ。
持て余したお金で、一族を援助しているという。
一族もおごり高ぶることなく、堀井あっての我々だと思っているらしい。
ちなみに堀井は風俗ルポライターをやっていた時期がある。
そこで色々やり尽くしてしまったのだろうか。
まあ歳も歳だけれども、読んでいて淡白なイメージを持ってしまった。
中学時代、卒業前に告白したが振られてしまった女の子と、高校1年生で同じクラスになるという恋愛談義が「虹色ディップスイッチ」という本に書かれている。冒頭にコラージュされているイラストの一部は同著のどいたかゆきによるもの。
虹色ディップスイッチ―ファミコン業界クエスト (Login Books)
- 作者: 堀井 雄二
- 出版社/メーカー: ビジネス・アスキー
- 発売日: 1990/04
- メディア: 単行本
ネオジオミニが予約開始!ファミコンミニ的な品切れになるのか? [ゲーム]
なんとなくさまーずの動画見ていたら、グラビア女優がアピりまくってる姿がまるでブルーマリーだなと思った。俺もよく覚えてるなと思った。
ファミコンミニのヒットにあやかって、今度はネオジオミニが出るらしい。
こっちはアップライト筐体を模しているため、モニターまでついてきている。
インテリアとしてちょっと欲しいかなと思った。
でもすぐ飽きるかなあ。
収録ゲームが40種類というのは太っ腹だ。
格ゲーやメタスラ以外で興味惹かれるのは「ティンクルスタースプライツ」ぐらいかなあ。落ちもののような対戦型シューティングという画期的なシステムで、大ヒットを狙えるのではないかという声もあったが、結局マイナーなまま終わったゲームだ。セガサターン版持ってたなあ。やらなかったけど。
ネオジオミニの予約がアマゾンでも始まった。
ファミコンミニの時みたいにあっという間に売り切れて、転売騒ぎになるのかなあ。
なんかこう、致命的な仕様ミスがありそうな感もあって躊躇してしまう。
ネオジオといえば、最初はビデオレンタル店で貸し出すというスタイルだった。まだスーパーファミコンも発売されていない時期だったので、それなりに圧倒的なスペックだったのかもしれない。100 メガショック!というキャッチはゲーム史に残る名コピーであろう。
しかしまあ初期ラインナップが貧弱で、借りる機会あるのかな?第一貸してくれる店が近所に一件もない!という状況だった。しかしやがて一般販売が始まり、格ゲーブームにこれ以上ないぐらいに上手く乗っかり、日本全国津々浦々の駄菓子屋の軒先に筐体が並ぶようになった。一台のスペースで数種類のゲームに切り替えが出来て省スペース。オーナーに請求する初期費用も勉強したのだろう。この辺は商売が上手かった。そういう上手さが携帯ゲーム事業参入や、後継機では見られなかったが。。。
「しくじり企業」でも取り上げられていて面白い。
ファミコンミニのヒットにあやかって、今度はネオジオミニが出るらしい。
こっちはアップライト筐体を模しているため、モニターまでついてきている。
インテリアとしてちょっと欲しいかなと思った。
でもすぐ飽きるかなあ。
収録ゲームが40種類というのは太っ腹だ。
格ゲーやメタスラ以外で興味惹かれるのは「ティンクルスタースプライツ」ぐらいかなあ。落ちもののような対戦型シューティングという画期的なシステムで、大ヒットを狙えるのではないかという声もあったが、結局マイナーなまま終わったゲームだ。セガサターン版持ってたなあ。やらなかったけど。
ネオジオミニの予約がアマゾンでも始まった。
ファミコンミニの時みたいにあっという間に売り切れて、転売騒ぎになるのかなあ。
なんかこう、致命的な仕様ミスがありそうな感もあって躊躇してしまう。
ネオジオといえば、最初はビデオレンタル店で貸し出すというスタイルだった。まだスーパーファミコンも発売されていない時期だったので、それなりに圧倒的なスペックだったのかもしれない。100 メガショック!というキャッチはゲーム史に残る名コピーであろう。
しかしまあ初期ラインナップが貧弱で、借りる機会あるのかな?第一貸してくれる店が近所に一件もない!という状況だった。しかしやがて一般販売が始まり、格ゲーブームにこれ以上ないぐらいに上手く乗っかり、日本全国津々浦々の駄菓子屋の軒先に筐体が並ぶようになった。一台のスペースで数種類のゲームに切り替えが出来て省スペース。オーナーに請求する初期費用も勉強したのだろう。この辺は商売が上手かった。そういう上手さが携帯ゲーム事業参入や、後継機では見られなかったが。。。
「しくじり企業」でも取り上げられていて面白い。
PCエンジン版「ボンバーマン」を作った藤原茂樹インタビューが読める「CONTINUE Vol.51」は必読だ! [ゲーム]
復活した雑誌、「コンテニュー」を初めて購入。
アニメのデビルマンやらハル研やら色々ある中で、テラクレスタや「アイカツ!」を作った人、藤原茂樹の話が面白かった。
テラクレスタは有名シューティングゲームだが、やったことはない。ガッチャマンに影響を受けた、実機が合体するシューティングゲームだそうだ。ちなみに「マグマックス」も作ったそう。こちらもやったことはないが、自機が合体してロボットになるシューティングゲームだ。元々は漫画家志望で、虫プロと藤子プロにいたという。好きモノなアイディアはそういうところからきているのだろう。ちなみに「コスモポリスギャリバン」という作品もある。もちろん「宇宙刑事ギャバン」が元ネタで間違いない。
三ヶ月に一本ゲームを作り、社長から「好きなものを作れ」と言われるほど信頼されていたが、在籍していた日本物産の主力ゲームが麻雀になったことから転職を決意。カプコン、タイトー、コナミなどを受けたがハドソンに入社。ここであのPCエンジン版「ボンバーマン」を作ったという。
ボンバーマンはハドソンが発売したパソコンゲーム「爆弾男」のファミコン移植用タイトル。発売後も長い間親しまれていたゲームだったが、続編「ボンバーキング」が滑ったために人々の記憶から消えようとしていた。
藤原氏がPCエンジン版を企画した時、疑問視する声もあったという。藤原氏はオリジナルデザインのボンバーマンを復活。ドラえもんやアンパンマンに共通する、丸を基調とした誰でも描けるデザインという長所を元アニメーターの勘で見抜いていたのだろう。
PCエンジンがファミコンの単なる上位ゲーム機にならなかったのは「マルチタップ」による多人数対戦という遊び方の革命があった。ここにボンバーマンを持ってきたのは誰も思いつきそうで思いつかなかったコロンブスの卵であったと思う。見た目はほぼ同じであるにも関わらず、他機種に移植されたことでゲーム史の存在意味そのものがここまで変わったゲームも他にないと思う。
16年間で1000万本を売り、ここからビーダマンなどの派生商品も大ブームになり、アニメ化もされた。インタビューでは、いかにボンバーマンのシリーズを大事に考えてきたのかが語られていて必読だ。だが、藤原氏の印象だとハドソンの版権管理はあまり良いものではなかったようで、悔やむ部分があるという。
アニメのデビルマンやらハル研やら色々ある中で、テラクレスタや「アイカツ!」を作った人、藤原茂樹の話が面白かった。
テラクレスタは有名シューティングゲームだが、やったことはない。ガッチャマンに影響を受けた、実機が合体するシューティングゲームだそうだ。ちなみに「マグマックス」も作ったそう。こちらもやったことはないが、自機が合体してロボットになるシューティングゲームだ。元々は漫画家志望で、虫プロと藤子プロにいたという。好きモノなアイディアはそういうところからきているのだろう。ちなみに「コスモポリスギャリバン」という作品もある。もちろん「宇宙刑事ギャバン」が元ネタで間違いない。
三ヶ月に一本ゲームを作り、社長から「好きなものを作れ」と言われるほど信頼されていたが、在籍していた日本物産の主力ゲームが麻雀になったことから転職を決意。カプコン、タイトー、コナミなどを受けたがハドソンに入社。ここであのPCエンジン版「ボンバーマン」を作ったという。
ボンバーマンはハドソンが発売したパソコンゲーム「爆弾男」のファミコン移植用タイトル。発売後も長い間親しまれていたゲームだったが、続編「ボンバーキング」が滑ったために人々の記憶から消えようとしていた。
藤原氏がPCエンジン版を企画した時、疑問視する声もあったという。藤原氏はオリジナルデザインのボンバーマンを復活。ドラえもんやアンパンマンに共通する、丸を基調とした誰でも描けるデザインという長所を元アニメーターの勘で見抜いていたのだろう。
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16年間で1000万本を売り、ここからビーダマンなどの派生商品も大ブームになり、アニメ化もされた。インタビューでは、いかにボンバーマンのシリーズを大事に考えてきたのかが語られていて必読だ。だが、藤原氏の印象だとハドソンの版権管理はあまり良いものではなかったようで、悔やむ部分があるという。