映画「ドラゴンクエストユアストーリー」の結末は、なぜ受け入れられたのか?問題 [この人気漫画が面白くない]
CG映画「ドラゴンクエストユアストーリー」(以下ユアスト)の酷評が吹き荒れている。
ユアストは国民的人気ゲーム「ドラゴンクエスト」の第5弾、「天空の花嫁」の映画化だとしてプロモーションされていた。
「天空の花嫁」はドラゴンクエスト史上、最もドラマチックでスケールの大きい傑作と評価する人も多い。主人公はそれまで定番だった「勇者」ではなく、その主人公が子供の頃からゲームがスタートして成長し、結婚して父親になるという大河ドラマ的な構成になっていた。
特に妻を幼馴染みのビアンカ、令嬢のフローラのどちらにするかという運命の選択は、ゲームが発売されて四半世紀経った現在でも論争になり続けているという凄まじい反響を巻き起こしている。
それが映画公開された途端、映画「デビルマン」以上の駄作という評価がネットニュースで踊った。映画「デビルマン」とは2004年に公開された那須博之監督による実写映画で、今でも駄作映画の象徴として語り継がれている作品。ちょっとネタにされ過ぎているとも思うが、偉大過ぎる原作に遠く及ばないのは間違いない。
ユアストのカタログスペックを見れば、一定のクオリティが保たれるのは間違いない(この件については後述する)。それなのになぜデビルマン以下とまで言われるのか、何かやらかしたのだなとピンとくる部分があったので、普段率先してネタバレまで踏み込まないのだが、今回に限っては記事を深く読んでみた。
(以下ネタバレ)
なんと、いわゆる夢オチだったというのである。
正確にはVR落ち。要するにお客さんが見ていたのはゲームの画面。
最後の戦いでバグにより現実に戻される。
バグはいわゆるゲームをすることを虚しい行為と否定するニュアンスのセリフを吐くらしい。これに対して主人公は「ゲームをすることは素晴らしい」的なセリフを吐き、バグをやっつけて大団円。
…という展開なんだそうだ。
まあ、、、ひどい。
映画も見ずに論評下すのもアレだけれども、幾ら何でもこれは無い。
単に奇をたらったとしか思えない、小学生が考えたようなオチだ。
この構成を面白いと思い、企画をぶち上げてしまう人がいるのはわかるけども、この企画が通ってしまうのはなぜだと強い興味を持った。
カタログスペックを見ると、原作・監修に堀井雄二の名前がある。言わずと知れたドラゴンクエストの生みの親であり、ゲームデザイナーと呼ぶにふさわしい偉人である。
天空の花嫁の2年前に「ファンタシースター3 時の継承者」という、やはり結婚にフォーカスしたRPGがあった。誰と結婚するかでダイナミックに展開が変わっていくのだが、天空の花嫁はぶっちゃけビアンカ&フローラのどちらを選んでも結果は大差ない。それでも天空の花嫁がいまだに語り草にされるのは、細かな部分までユーザーに配慮できる堀井雄二の力量、偉大さに他ならない。
その堀井雄二がこの「ユアスト」の脚本を読み、OKを出しているのである。
もちろんゲームの発売元であるスクウェア・エニックスもOKを出している。
なぜか?
もちろん小学生が書いたシナリオならOKは出ない。
あの山崎貴(やまざきたかし)が書いているからOKが出るのである。
言わずと知れた邦画の第一人者である。
CG表現に強みを持ち、「ALWAYS 三丁目の夕日」「永遠の0」などホームランをかっ飛ばし続けている。映画の面白さは人それぞれだが、その実績のすごさは誰にも否定できない。
それは堀井雄二やスクエニを黙らせるものなんだなあということが今回わかった。
「いや、そのオチは無いですよ」とは言えない。
イエスマンがうじゃうじゃ。
山崎貴に関わっていたいから、である。
山崎貴にCG映画化されるというのは今現在、それほどの名誉なのだ。
体感では山崎貴の責任を問う声はそれほど聞こえてこない。
他に二人いる共同監督が槍玉に挙げられている。
今回山崎貴監督のツイッターをのぞいてみたが、ユアスト絶賛の意見をリツイートしまくりである。奥田民生みたいな飄々とした気の良いにいちゃんというイメージだったが、意外とセコイ。この記事をツイッターで公開する際、コメントを全部絶賛にしたらリツイートしてくれるだろうか。
ソフト化の際にはこのまま行くのかな。
オチだけちゃんと作り直して幻のエンディング収録!とか言って売ってもバチ当たらなさそうだけども。
ちなみに今年の冬は、山崎貴監督のルパン三世のCG映画が公開されるという。
ユアストは国民的人気ゲーム「ドラゴンクエスト」の第5弾、「天空の花嫁」の映画化だとしてプロモーションされていた。
「天空の花嫁」はドラゴンクエスト史上、最もドラマチックでスケールの大きい傑作と評価する人も多い。主人公はそれまで定番だった「勇者」ではなく、その主人公が子供の頃からゲームがスタートして成長し、結婚して父親になるという大河ドラマ的な構成になっていた。
特に妻を幼馴染みのビアンカ、令嬢のフローラのどちらにするかという運命の選択は、ゲームが発売されて四半世紀経った現在でも論争になり続けているという凄まじい反響を巻き起こしている。
それが映画公開された途端、映画「デビルマン」以上の駄作という評価がネットニュースで踊った。映画「デビルマン」とは2004年に公開された那須博之監督による実写映画で、今でも駄作映画の象徴として語り継がれている作品。ちょっとネタにされ過ぎているとも思うが、偉大過ぎる原作に遠く及ばないのは間違いない。
ユアストのカタログスペックを見れば、一定のクオリティが保たれるのは間違いない(この件については後述する)。それなのになぜデビルマン以下とまで言われるのか、何かやらかしたのだなとピンとくる部分があったので、普段率先してネタバレまで踏み込まないのだが、今回に限っては記事を深く読んでみた。
(以下ネタバレ)
なんと、いわゆる夢オチだったというのである。
正確にはVR落ち。要するにお客さんが見ていたのはゲームの画面。
最後の戦いでバグにより現実に戻される。
バグはいわゆるゲームをすることを虚しい行為と否定するニュアンスのセリフを吐くらしい。これに対して主人公は「ゲームをすることは素晴らしい」的なセリフを吐き、バグをやっつけて大団円。
…という展開なんだそうだ。
まあ、、、ひどい。
映画も見ずに論評下すのもアレだけれども、幾ら何でもこれは無い。
単に奇をたらったとしか思えない、小学生が考えたようなオチだ。
この構成を面白いと思い、企画をぶち上げてしまう人がいるのはわかるけども、この企画が通ってしまうのはなぜだと強い興味を持った。
カタログスペックを見ると、原作・監修に堀井雄二の名前がある。言わずと知れたドラゴンクエストの生みの親であり、ゲームデザイナーと呼ぶにふさわしい偉人である。
天空の花嫁の2年前に「ファンタシースター3 時の継承者」という、やはり結婚にフォーカスしたRPGがあった。誰と結婚するかでダイナミックに展開が変わっていくのだが、天空の花嫁はぶっちゃけビアンカ&フローラのどちらを選んでも結果は大差ない。それでも天空の花嫁がいまだに語り草にされるのは、細かな部分までユーザーに配慮できる堀井雄二の力量、偉大さに他ならない。
その堀井雄二がこの「ユアスト」の脚本を読み、OKを出しているのである。
もちろんゲームの発売元であるスクウェア・エニックスもOKを出している。
なぜか?
もちろん小学生が書いたシナリオならOKは出ない。
あの山崎貴(やまざきたかし)が書いているからOKが出るのである。
言わずと知れた邦画の第一人者である。
CG表現に強みを持ち、「ALWAYS 三丁目の夕日」「永遠の0」などホームランをかっ飛ばし続けている。映画の面白さは人それぞれだが、その実績のすごさは誰にも否定できない。
それは堀井雄二やスクエニを黙らせるものなんだなあということが今回わかった。
「いや、そのオチは無いですよ」とは言えない。
イエスマンがうじゃうじゃ。
山崎貴に関わっていたいから、である。
山崎貴にCG映画化されるというのは今現在、それほどの名誉なのだ。
体感では山崎貴の責任を問う声はそれほど聞こえてこない。
他に二人いる共同監督が槍玉に挙げられている。
今回山崎貴監督のツイッターをのぞいてみたが、ユアスト絶賛の意見をリツイートしまくりである。奥田民生みたいな飄々とした気の良いにいちゃんというイメージだったが、意外とセコイ。この記事をツイッターで公開する際、コメントを全部絶賛にしたらリツイートしてくれるだろうか。
ソフト化の際にはこのまま行くのかな。
オチだけちゃんと作り直して幻のエンディング収録!とか言って売ってもバチ当たらなさそうだけども。
ちなみに今年の冬は、山崎貴監督のルパン三世のCG映画が公開されるという。
大 人 に な れ よ #C96コスプレ pic.twitter.com/kyAPBH1wuT
— アストロ@コミケ4日目社〓? (@astroswitches) August 12, 2019
ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 映画ノベライズ (ダッシュエックス文庫)
- 作者: 山崎 貴
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2019/08/02
- メディア: 文庫
第二話から次原節全開!少年の心の機微を大胆に表現した次原隆二の「少年リーダム」 [この人気漫画が面白くない]
引き続き「少年リーダム」の話を。
1巻から読んでいて、頭が最高にクラクラしたのは第2話の「社会科見学の巻」。
小学生たちが大挙して出版社に見学にやってくるのだが、一人生意気な小学生がいて、お土産として渡した少年ジャンプ(劇中では少年リーダム)を「キン消しの方がよかった」と破り捨ててしまう。
それに対してガチ切れする西村繁男(がモデルの)編集長。小学生はガン泣き。
周囲が必死に止めて、小学生たちは退散する。
数日後、編集長が手紙を読みながら涙している光景を主人公が目にする。
手紙を置いて退社する編集長。
主人公が手紙の内容を読むと、あの生意気な小学生からの手紙だった。
ーーーーーーーーーーー
へんしゅう長さんへ
僕はこの前少年リーダムへんしゅう部を見学にいった安田光太郎です。
その時もらった少年リーダムをやぶってしまって本当にごめんなさい
ぼくは家に帰ってもらった少年リーダムを全部読みました
とてもおもしろかったです!
そして気がつきました
あの時へんしゅう長さんがおこったのは
へんしゅう部のおじさんたちがいっしょうけんめいに作った
そんな少年リーダムをボクが大事にしなかったからだと
おこったへんしゅう長さんはとてもコワかった
…でも少しだけうれしかった…
だってあの時おじさんは…
本気だった!!
決して子供あつかいしなかった!!
それがうれしかったんです
そんなへんしゅう長さんたちが
作った本だからおもしろいんだと思いました
これからももっともっとおもしろい少年リーダムを作ってください おわり
ーーーーーーーーーーー
手紙には写真が同封されており、
その写真には満面の笑みの小学生と、破れをテープで補修した少年ジャンプが!
なんという感動の展開だろうか。
全米が泣いた。
普通、これぐらいの年頃の少年は思っていることを素直に表現できないものだ。
さらにその思いを文章化するなど困難を極める。
おそらくこの少年はたまたま文才があったのだろう。
「のちの直木賞作家である」などの注釈があればなお良かった。
普通の漫画家ならリアリティを失うのが怖くてこんな展開にはできない。
親御さんまたは教員から謝罪の手紙が送られたことにするだろう。
それが無くとも、最後の写真一枚で十分に伝わる。
おそらく作者は読者のレベルを考慮したのだろう。
説明過多になることを恐れない英断だ。
…
……
………、
…ところで、この本気で怒ってくれて嬉しかったパターンって、最初にやった人って誰なんですかね。少年リーダムは2009年。その10年以上前の1997年に満田拓也が「MAJOR」14巻でもやっている。
考え方の違う人を空想の中で謝らせ、宗旨替えさせ、さらに嬉しかったとまで言わせる。その独白はロジックがしっかりしていて、淀みなく吐露することが出来る。
これで面白いものにするのはかなり難度が高い気がするんですけども。。。
1巻から読んでいて、頭が最高にクラクラしたのは第2話の「社会科見学の巻」。
小学生たちが大挙して出版社に見学にやってくるのだが、一人生意気な小学生がいて、お土産として渡した少年ジャンプ(劇中では少年リーダム)を「キン消しの方がよかった」と破り捨ててしまう。
それに対してガチ切れする西村繁男(がモデルの)編集長。小学生はガン泣き。
周囲が必死に止めて、小学生たちは退散する。
数日後、編集長が手紙を読みながら涙している光景を主人公が目にする。
手紙を置いて退社する編集長。
主人公が手紙の内容を読むと、あの生意気な小学生からの手紙だった。
ーーーーーーーーーーー
へんしゅう長さんへ
僕はこの前少年リーダムへんしゅう部を見学にいった安田光太郎です。
その時もらった少年リーダムをやぶってしまって本当にごめんなさい
ぼくは家に帰ってもらった少年リーダムを全部読みました
とてもおもしろかったです!
そして気がつきました
あの時へんしゅう長さんがおこったのは
へんしゅう部のおじさんたちがいっしょうけんめいに作った
そんな少年リーダムをボクが大事にしなかったからだと
おこったへんしゅう長さんはとてもコワかった
…でも少しだけうれしかった…
だってあの時おじさんは…
本気だった!!
決して子供あつかいしなかった!!
それがうれしかったんです
そんなへんしゅう長さんたちが
作った本だからおもしろいんだと思いました
これからももっともっとおもしろい少年リーダムを作ってください おわり
ーーーーーーーーーーー
手紙には写真が同封されており、
その写真には満面の笑みの小学生と、破れをテープで補修した少年ジャンプが!
なんという感動の展開だろうか。
全米が泣いた。
普通、これぐらいの年頃の少年は思っていることを素直に表現できないものだ。
さらにその思いを文章化するなど困難を極める。
おそらくこの少年はたまたま文才があったのだろう。
「のちの直木賞作家である」などの注釈があればなお良かった。
普通の漫画家ならリアリティを失うのが怖くてこんな展開にはできない。
親御さんまたは教員から謝罪の手紙が送られたことにするだろう。
それが無くとも、最後の写真一枚で十分に伝わる。
おそらく作者は読者のレベルを考慮したのだろう。
説明過多になることを恐れない英断だ。
…
……
………、
…ところで、この本気で怒ってくれて嬉しかったパターンって、最初にやった人って誰なんですかね。少年リーダムは2009年。その10年以上前の1997年に満田拓也が「MAJOR」14巻でもやっている。
考え方の違う人を空想の中で謝らせ、宗旨替えさせ、さらに嬉しかったとまで言わせる。その独白はロジックがしっかりしていて、淀みなく吐露することが出来る。
これで面白いものにするのはかなり難度が高い気がするんですけども。。。
少年リーダム~友情・努力・勝利の詩 1 (BUNCH COMICS)
- 作者: 次原 隆二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/08/08
- メディア: コミック
職人的作画と安易な話作りの落差にクラクラする!次原隆二「少年リーダム」 [この人気漫画が面白くない]
「少年リーダム」はなんか惜しい漫画だ。
読みながら、なんでこんな風になっちゃうんだろうとモヤモヤする。
作画の次原隆二の丁寧な職人気質は伝わってくる。
伝わってくるのだが、どうにもセンスが感じられないのだ。
主人公は集英社をモデルにした出版社に就職し、本屋での研修を経て、どこの部署に入るのかというところから話は始まる。主人公は希望する部署「月刊プレイライフ」に配属されることを信じて疑わない。先にプレイライフに配属が決まった同期を見て、こんなダサい奴が同僚になるのかと舌打ちする。主人公の配属は、漫画の流れとして当然ジャンプをモデルにした「少年リーダム」になる。主人公は大慌てになり、読者の笑いを誘うというプロットだ。
まあコテコテである。
一連の流れを、主人公の変顔で補強している。
冒頭から、読者の誰にでもオチが予想できる。
今から笑ってくださいねぐらいの構成だ。
笑いとはなんなのかと語り出すとまた長くなってしまうのでやめときますけども、次原隆二のこの一連の笑いの取り方はかなりダメな部類だと思う。質は関係なく、笑いカウントひとつとれたからOKという態度だ。地方CMで見られる、つまんないダジャレを言いますから失笑してくださいねーという手法の次にイージーだ。
この少年リーダムは、そういったカウントひとつとれたからOKという表現が多すぎる。
ヒロインというか、マドンナ的なキャラクターの造形も安易だ。
主人公が研修先で出会う黒髪ロングなお姉さん。
「私、少年リーダム好きなんだよね。何か男の子たちの友達…みたいなカンジでさァ…」
読書家っぽいデティールはあるのだが、そんな女性が当時の少年ジャンプを読むかなあ。。。という疑問。感想も非常にボンヤリだ。ここで「私、男一匹ガキ大将を愛読しているの!」とか言わせたら、かなりキャラが立つと思うんだけども。ただただ、訳もなく少年リーダムは素晴らしい漫画雑誌なんですよと言わせるだけの装置にしかなってない。
そんな出版社に就職が決まった主人公にを羨ましがるマドンナに、主人公が放つセリフも酷い。
「もしかして…ここって給料安いんスか?」
大手出版社の社員はかなり高給取りだ。
町の書店員と比べられるはずもなかろうと思う。
わざわざこんなセリフを使うあたり、作者がかなり浮世離れしてると思わざるを得ない。
おそらく漫画の中では同じくらいの給料ということになっている。
そうでなければこんなセリフは絶対に採用できない。
ちょうど当時の集英社の編集者の給料を語った漫画がある。
本宮ひろ志の超傑作「やぶれかぶれ」だ。
約700万。
1982年頃の話。
今から37年前だ。
超高給取りだ。
一方、書店員の平均年収を検索してみたが現在で260〜340万円ほどだそうである。
そして最後にいきなりオチを語ってしまうが、主人公は最終回で突然交通事故で死ぬ。
その死はもちろん漫画のテーマとなんの関係もない。
単に感動を誘うためのよくある装置である。
読者をバカにしてんのかと思う。
次原隆二といえば「よろしくメカドック」の作者である。
アニメ化もされ、氣志團が決め台詞にしたぐらいの現在でもそれなりに名前が残った傑作を描いた人だ。元アシスタントにはにわのまこと、小畑健、和月伸宏などがいる。
メカドック終了後は打ち切りの連続。
バイク漫画「ロードランナー」は好きだったが、「隼人18番勝負」は佐々木小次郎の末裔が宮本武蔵の末裔にゴルフでリベンジするという当時でもかなり時代錯誤な漫画で、ああこの人ダメだわと子供ながらに思った記憶がある。盛り上がるところで、主人公が服を綺麗に畳むという几帳面さで笑いを誘っていたギャグセンスは当時と変わらないと思う。
バンチで連載していた車漫画はずっと巻末での掲載だったという。
基本的に趣味の車漫画を描いていれば幸せな人なのかなーと思う。
作画技術の素晴らしさは「少年リーダム」を読むひとつの価値だとは思う。
悪い人ではないと思うのだが、車漫画以外は読む気がしないというのが正直な感想だ。
読みながら、なんでこんな風になっちゃうんだろうとモヤモヤする。
作画の次原隆二の丁寧な職人気質は伝わってくる。
伝わってくるのだが、どうにもセンスが感じられないのだ。
主人公は集英社をモデルにした出版社に就職し、本屋での研修を経て、どこの部署に入るのかというところから話は始まる。主人公は希望する部署「月刊プレイライフ」に配属されることを信じて疑わない。先にプレイライフに配属が決まった同期を見て、こんなダサい奴が同僚になるのかと舌打ちする。主人公の配属は、漫画の流れとして当然ジャンプをモデルにした「少年リーダム」になる。主人公は大慌てになり、読者の笑いを誘うというプロットだ。
まあコテコテである。
一連の流れを、主人公の変顔で補強している。
冒頭から、読者の誰にでもオチが予想できる。
今から笑ってくださいねぐらいの構成だ。
笑いとはなんなのかと語り出すとまた長くなってしまうのでやめときますけども、次原隆二のこの一連の笑いの取り方はかなりダメな部類だと思う。質は関係なく、笑いカウントひとつとれたからOKという態度だ。地方CMで見られる、つまんないダジャレを言いますから失笑してくださいねーという手法の次にイージーだ。
この少年リーダムは、そういったカウントひとつとれたからOKという表現が多すぎる。
ヒロインというか、マドンナ的なキャラクターの造形も安易だ。
主人公が研修先で出会う黒髪ロングなお姉さん。
「私、少年リーダム好きなんだよね。何か男の子たちの友達…みたいなカンジでさァ…」
読書家っぽいデティールはあるのだが、そんな女性が当時の少年ジャンプを読むかなあ。。。という疑問。感想も非常にボンヤリだ。ここで「私、男一匹ガキ大将を愛読しているの!」とか言わせたら、かなりキャラが立つと思うんだけども。ただただ、訳もなく少年リーダムは素晴らしい漫画雑誌なんですよと言わせるだけの装置にしかなってない。
そんな出版社に就職が決まった主人公にを羨ましがるマドンナに、主人公が放つセリフも酷い。
「もしかして…ここって給料安いんスか?」
大手出版社の社員はかなり高給取りだ。
町の書店員と比べられるはずもなかろうと思う。
わざわざこんなセリフを使うあたり、作者がかなり浮世離れしてると思わざるを得ない。
おそらく漫画の中では同じくらいの給料ということになっている。
そうでなければこんなセリフは絶対に採用できない。
ちょうど当時の集英社の編集者の給料を語った漫画がある。
本宮ひろ志の超傑作「やぶれかぶれ」だ。
約700万。
1982年頃の話。
今から37年前だ。
超高給取りだ。
一方、書店員の平均年収を検索してみたが現在で260〜340万円ほどだそうである。
そして最後にいきなりオチを語ってしまうが、主人公は最終回で突然交通事故で死ぬ。
その死はもちろん漫画のテーマとなんの関係もない。
単に感動を誘うためのよくある装置である。
読者をバカにしてんのかと思う。
次原隆二といえば「よろしくメカドック」の作者である。
アニメ化もされ、氣志團が決め台詞にしたぐらいの現在でもそれなりに名前が残った傑作を描いた人だ。元アシスタントにはにわのまこと、小畑健、和月伸宏などがいる。
メカドック終了後は打ち切りの連続。
バイク漫画「ロードランナー」は好きだったが、「隼人18番勝負」は佐々木小次郎の末裔が宮本武蔵の末裔にゴルフでリベンジするという当時でもかなり時代錯誤な漫画で、ああこの人ダメだわと子供ながらに思った記憶がある。盛り上がるところで、主人公が服を綺麗に畳むという几帳面さで笑いを誘っていたギャグセンスは当時と変わらないと思う。
バンチで連載していた車漫画はずっと巻末での掲載だったという。
基本的に趣味の車漫画を描いていれば幸せな人なのかなーと思う。
作画技術の素晴らしさは「少年リーダム」を読むひとつの価値だとは思う。
悪い人ではないと思うのだが、車漫画以外は読む気がしないというのが正直な感想だ。
少年リーダム~友情・努力・勝利の詩 1 (BUNCH COMICS)
- 作者: 次原 隆二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/08/08
- メディア: コミック
実名を出せない少年ジャンプ黄金時代回顧漫画、次原隆二の「少年リーダム」 [この人気漫画が面白くない]
「少年リーダム」全4巻を電子化完了。
少年ジャンプ黄金時代の立役者、西村繁男編集長の自伝「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」のコミカライズだ。
なのに登場する雑誌や作品、人物は全て現実にあったものを、もじったようなタイトルになっている。
これは掲載誌が集英社の漫画誌ではなく、新潮社の「週刊コミックバンチ」だったことが大きいと思う。バンチは2001年に創刊。元ジャンプスタッフたちが大きく関わり、創刊前からアンチ・ジャンプの姿勢が大きく喧伝されたように記憶している。
「今のジャンプには「こち亀」以外読むものがない」と発言したのは編集長の堀江氏だったのかどうなのか、あまり記憶が定かでない。が、ジョジョ好きの私としてはそれも読まずに100巻超えたこち亀を褒めるような編集者は老害としか思えなかった。
そんなんだから集英社側にも大きく反発を抱かせたのは間違いないと思う。
「少年リーダム」では少年ジャンプの黄金期を描く漫画であるにも関わらず、絵もタイトルもオリジナルのものが使われておらず、徹底的に改変されている。
読んでいて相当うざい。
相当手間暇かけてレタリングから細かいとこまで修正している。
「アオイホノオ」や「ハイスコアガール」のように実名使いまくりの攻めた漫画があるにも関わらず、こういう風に仮名で済ます漫画は大いに白ける。ちなみにアオイホノオの1年後発の漫画である。
百歩譲って、こういう漫画は自身と親しい作家の作品だけ実名になったりするものなのだが、原哲夫や北条司がバンチ側であるにも関わらず、名前と作品名すら「少年リーダム」では使わせてもらえないという有様になっている。
北斗の拳は「北斗神拳」、キャッツアイは「レディキャッツ」に改題。シティーハンターは「アーバンハンター」に改題されて作品に登場する。ちなみに原哲夫は原島哲、北条司は西条努に改名されている。ちなみに絵はこの二人のみ、オリジナルのものを使っている。この辺がよく分からないところだ。ちなみに一箇所だけ、少年ジャンプとシティーハンターの名前が出てくるところがある。これはうっかりミスなのか。
ちなみに原作者の西村繁男(しげお)は村西繁(しげる)に改名。
バンチの編集長である堀江信彦に至っては小出勇太という、全くもじってもいない改名がなされていて、深読みが尽きない。
そもそも少年リーダムってなんだって話である。
フリーダムなのかと思ったが、リーダー(読者)&キングダムを合成したものなのだそうだ。
ネーミングセンスが悪い。
全くジャンプをイメージ出来ないし。
こんな編集方針だからなのか。
バンチは俺の肌には合わなかった。
2001年に創刊した週刊バンチはジャンプ的ムーブメントを起こすことなく2010年に休刊。
俺が初めてバンチの単行本を買ったのは2018年の去年。
この「少年リーダム」と、「コンシェルジュ」の8巻のみである。
続く。
少年ジャンプ黄金時代の立役者、西村繁男編集長の自伝「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」のコミカライズだ。
なのに登場する雑誌や作品、人物は全て現実にあったものを、もじったようなタイトルになっている。
これは掲載誌が集英社の漫画誌ではなく、新潮社の「週刊コミックバンチ」だったことが大きいと思う。バンチは2001年に創刊。元ジャンプスタッフたちが大きく関わり、創刊前からアンチ・ジャンプの姿勢が大きく喧伝されたように記憶している。
「今のジャンプには「こち亀」以外読むものがない」と発言したのは編集長の堀江氏だったのかどうなのか、あまり記憶が定かでない。が、ジョジョ好きの私としてはそれも読まずに100巻超えたこち亀を褒めるような編集者は老害としか思えなかった。
そんなんだから集英社側にも大きく反発を抱かせたのは間違いないと思う。
「少年リーダム」では少年ジャンプの黄金期を描く漫画であるにも関わらず、絵もタイトルもオリジナルのものが使われておらず、徹底的に改変されている。
読んでいて相当うざい。
相当手間暇かけてレタリングから細かいとこまで修正している。
「アオイホノオ」や「ハイスコアガール」のように実名使いまくりの攻めた漫画があるにも関わらず、こういう風に仮名で済ます漫画は大いに白ける。ちなみにアオイホノオの1年後発の漫画である。
百歩譲って、こういう漫画は自身と親しい作家の作品だけ実名になったりするものなのだが、原哲夫や北条司がバンチ側であるにも関わらず、名前と作品名すら「少年リーダム」では使わせてもらえないという有様になっている。
北斗の拳は「北斗神拳」、キャッツアイは「レディキャッツ」に改題。シティーハンターは「アーバンハンター」に改題されて作品に登場する。ちなみに原哲夫は原島哲、北条司は西条努に改名されている。ちなみに絵はこの二人のみ、オリジナルのものを使っている。この辺がよく分からないところだ。ちなみに一箇所だけ、少年ジャンプとシティーハンターの名前が出てくるところがある。これはうっかりミスなのか。
ちなみに原作者の西村繁男(しげお)は村西繁(しげる)に改名。
バンチの編集長である堀江信彦に至っては小出勇太という、全くもじってもいない改名がなされていて、深読みが尽きない。
そもそも少年リーダムってなんだって話である。
フリーダムなのかと思ったが、リーダー(読者)&キングダムを合成したものなのだそうだ。
ネーミングセンスが悪い。
全くジャンプをイメージ出来ないし。
こんな編集方針だからなのか。
バンチは俺の肌には合わなかった。
2001年に創刊した週刊バンチはジャンプ的ムーブメントを起こすことなく2010年に休刊。
俺が初めてバンチの単行本を買ったのは2018年の去年。
この「少年リーダム」と、「コンシェルジュ」の8巻のみである。
続く。
少年リーダム~友情・努力・勝利の詩~ コミック 全4巻 完結セット
- 作者:
- 出版社/メーカー:
- メディア: コミック
少年リーダム~友情・努力・勝利の詩 1 (BUNCH COMICS)
- 作者: 次原 隆二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/08/08
- メディア: コミック
独りアメトーク!どうしたゴブリンスレイヤー芸人 [この人気漫画が面白くない]
ゴブリンスレイヤーの漫画の新刊が一挙3冊も出た。
去年の暮れ、世間的にも俺的にも大ヒットを巻き起こした作品だ。
さっそく電子化して(エラーチェックで二度読むのは面倒なので)3冊読んでみたのだが、これがまた首をひねるような内容だったのである。
正伝1巻、外伝2巻が今回の新刊のラインナップ。
正伝から読み始めたのだが、間違えて外伝から読み始めてしまったのかと思った。
絵の密度が薄い。
正伝から読み始めたのだが、間違えて外伝を手に取ってしまったのかと思った。
作画担当が変わったのかと思ってクレジットを確認してしまった。
話の密度も薄い。
ほとんど1巻通してラブコメ。
ゴブリン退治も無し。
最後にちょっとだけ戦い。
「風魔の小次郎」の影羽が出てきた。。。
かねてから危惧してきたゴブスレラブコメ化問題。
なんか作者がやりたがってるのは薄々感じてきた。
なんども言うようだが作風に合ってないのではないかと俺は思う。
そもそもゴブリンスレイヤーは、いかにもなテンプレアニメ顔のRPG勇者一行が、ちょいとリアルに考証した世界観だったらこんな悲惨な目にあうぞという逆転の発想の作品である。男は嬲り殺され、女は犯される。戦場カメラマンが海外で体験したことのように。
(山田玲司「絶望に効く薬」5巻)
しかし女性描写は全然リアルじゃない。
童貞の妄想の域を出ない。
まあそう言う世代が好む作品だからそれでいいと言うのはわかる。
幼馴染のヒロインが巨乳をひけらかして生活していても、過酷な描写の箸休めとしてなら許されると思う。
ところが今回の7巻ときたら、ほぼ全編デートする話なのである。
午前に巨乳の幼馴染と。
午後に仕事先の受付嬢と、相手から懇願されてと言うあり得ないモテっぷりである。
おめかしして出てきた幼馴染の女の子の服がダサすぎて引く。
なんか見たことあると思ったら、ドラクエ3の女魔法使いみたいなカッコして出てくるのである。
あとで気がついたが、7巻の表紙になっている。
受付嬢の女の子も階段を登りながら、後に続く主人公に「ふふ。スカートの方が良かったです?」と言う謎のセリフを吐くのである。下着が見えなくてガッカリでしょう?ということだろうと思うのだが、こんな女はまずいねえ。よくあるラブコメのパンツ見せれば喜ぶでしょう的なオープンなキャラ設定が唐突に出てきた。つうか相手が朴念仁だと言うことはわかってるはず。
主人公のゴブリンスレイヤーって旧本郷ライダーっぽい風格を感じていたのだが、だんだんとエロゲー主人公にありがちな、前髪垂らして目が見えないキャラに見えてきたよ。。。
まあ旧1号が桜島1号になり、新1号になったように、怪奇性のあるコンテンツがヒットしてマイルドになっていくのは宿命かもしれない。連載が長期化して世界観が広がり、ファイヤーエンブレムみたいなキャラクターが増えても目を瞑るべきなのだろうと思う。だからこそ、ゴブリン退治にこだわる設定は捨てないでいただきたい。
作者はなかなかのやり手だと思う。
言い方は悪いが外伝を乱発して仕事しまくり、稼ぎまくりである。
今度は映画だそうだ。
折り返しの著者コメントを読んでも、正伝&外伝2冊それぞれの作画担当者に賛辞を送るというそつのなさで、却って鼻につくぐらいである。
これだけ稼いでいると、周囲からも接待されまくりで、お水のお姉ちゃん達からも狙われまくりなのではなかろうか。そういう売れっ子作家を捕食する専門の部隊もいると聞いたことがある。だから今、恋愛を描きたくなるのかなーと危惧している。
正直、今回刊行された3冊読んで、もうゴブスレ買うのやめようかなとふと思った。
特に外伝はいいかな。。。
あとね、主人公ってかなり臭いはずなんだよ。
獣の血を体に塗りたくって仕事してるから。
仕事着のままデートとかあり得ない。。。
だからラブコメやろうとすればするほど作品が崩壊するんだよ。。。
以上、チラ裏っす!
ゴブリンスレイヤー 7巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2019/06/25
- メディア: Kindle版
ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン 4巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2019/06/25
- メディア: Kindle版
ゴブリンスレイヤー:ブランニュー・デイ 2巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2019/06/25
- メディア: Kindle版
去年の暮れ、世間的にも俺的にも大ヒットを巻き起こした作品だ。
さっそく電子化して(エラーチェックで二度読むのは面倒なので)3冊読んでみたのだが、これがまた首をひねるような内容だったのである。
正伝1巻、外伝2巻が今回の新刊のラインナップ。
正伝から読み始めたのだが、間違えて外伝から読み始めてしまったのかと思った。
絵の密度が薄い。
正伝から読み始めたのだが、間違えて外伝を手に取ってしまったのかと思った。
作画担当が変わったのかと思ってクレジットを確認してしまった。
話の密度も薄い。
ほとんど1巻通してラブコメ。
ゴブリン退治も無し。
最後にちょっとだけ戦い。
「風魔の小次郎」の影羽が出てきた。。。
かねてから危惧してきたゴブスレラブコメ化問題。
なんか作者がやりたがってるのは薄々感じてきた。
なんども言うようだが作風に合ってないのではないかと俺は思う。
そもそもゴブリンスレイヤーは、いかにもなテンプレアニメ顔のRPG勇者一行が、ちょいとリアルに考証した世界観だったらこんな悲惨な目にあうぞという逆転の発想の作品である。男は嬲り殺され、女は犯される。戦場カメラマンが海外で体験したことのように。
(山田玲司「絶望に効く薬」5巻)
しかし女性描写は全然リアルじゃない。
童貞の妄想の域を出ない。
まあそう言う世代が好む作品だからそれでいいと言うのはわかる。
幼馴染のヒロインが巨乳をひけらかして生活していても、過酷な描写の箸休めとしてなら許されると思う。
ところが今回の7巻ときたら、ほぼ全編デートする話なのである。
午前に巨乳の幼馴染と。
午後に仕事先の受付嬢と、相手から懇願されてと言うあり得ないモテっぷりである。
おめかしして出てきた幼馴染の女の子の服がダサすぎて引く。
なんか見たことあると思ったら、ドラクエ3の女魔法使いみたいなカッコして出てくるのである。
あとで気がついたが、7巻の表紙になっている。
受付嬢の女の子も階段を登りながら、後に続く主人公に「ふふ。スカートの方が良かったです?」と言う謎のセリフを吐くのである。下着が見えなくてガッカリでしょう?ということだろうと思うのだが、こんな女はまずいねえ。よくあるラブコメのパンツ見せれば喜ぶでしょう的なオープンなキャラ設定が唐突に出てきた。つうか相手が朴念仁だと言うことはわかってるはず。
主人公のゴブリンスレイヤーって旧本郷ライダーっぽい風格を感じていたのだが、だんだんとエロゲー主人公にありがちな、前髪垂らして目が見えないキャラに見えてきたよ。。。
まあ旧1号が桜島1号になり、新1号になったように、怪奇性のあるコンテンツがヒットしてマイルドになっていくのは宿命かもしれない。連載が長期化して世界観が広がり、ファイヤーエンブレムみたいなキャラクターが増えても目を瞑るべきなのだろうと思う。だからこそ、ゴブリン退治にこだわる設定は捨てないでいただきたい。
作者はなかなかのやり手だと思う。
言い方は悪いが外伝を乱発して仕事しまくり、稼ぎまくりである。
今度は映画だそうだ。
折り返しの著者コメントを読んでも、正伝&外伝2冊それぞれの作画担当者に賛辞を送るというそつのなさで、却って鼻につくぐらいである。
これだけ稼いでいると、周囲からも接待されまくりで、お水のお姉ちゃん達からも狙われまくりなのではなかろうか。そういう売れっ子作家を捕食する専門の部隊もいると聞いたことがある。だから今、恋愛を描きたくなるのかなーと危惧している。
正直、今回刊行された3冊読んで、もうゴブスレ買うのやめようかなとふと思った。
特に外伝はいいかな。。。
あとね、主人公ってかなり臭いはずなんだよ。
獣の血を体に塗りたくって仕事してるから。
仕事着のままデートとかあり得ない。。。
だからラブコメやろうとすればするほど作品が崩壊するんだよ。。。
以上、チラ裏っす!
タグ:ゴブリンスレイヤー
40万部突破の山田近鉄「あせとせっけん」が面白いのに、俺が買わないでいるワケ [この人気漫画が面白くない]
本屋で近年よく見かけるようになったお試し用の小冊子。
視覚的に見えやすい、売る側の努力である。
しかし、シュリンクは永久に不滅です!という決意表明にもみえる。
そのかぼそい導線を手に取ってみた中に、強く興味を惹かれる一冊があった。
「あせとせっけん」。
やり手のイケメン香料デザイナーが、内気で巨乳なメガネ処女の体臭を嗅ぎまくるという漫画。小冊子の最後では、痴漢に襲われているところを助け、そのままホテルに連れ込んでやってしまうという結末だった。
女の子のいい匂いというのがある。なんであんないい匂いがするのか。最近、これを研究して解明したとかいうニュースもあった。あれを嗅ぎまくれたら楽しいだろうなというのを気づかされたというのが、この漫画に惹かれた理由の一つ。
もう一つの理由は絵がいい。
すごくいい。
安心する絵だ。
現在発売されている単行本は二冊。
買えばいいじゃないかと思うだろう。
しかし俺はさんざん迷って断念した。
なぜか?
この内容でどれだけ続けられるのかというのが疑問だった。
1巻で終わっていたら即購入していたのかもしれない。
今気がついたのだが、買うからには完結まで付き合いたい。
そう確信できない漫画は家に置いておきたくないし、途中で買わなくなった漫画も家に置いておきたくないのである。
「あせとせっけん」はラブコメで、羞恥プレイが1巻における漫画の核だ。
連載が長期化すると、それだけで保たせられるかどうが疑問だ。
世界観、特に香料デザイナーのデティールに粗も出てきそうな気がする。
そもそも俺はあまりラブコメが好きではないのかもしれない。
どんなラブコメを所有してるのか振り返ってみる。
「電車男(原秀則版)」は後半はイチャラブばかりで内容があまり無いし、「八神くんの家庭の事情」は少女の頃から老けない実母という強力なコンセプトだが通して読むと出オチ感が半端ない。「富士山さんは思春期」は日常系のラブコメでフェチ感に溢れていて素晴らしいのだが、読み返したことがない。
「あせとせっけん」から連想する作品といえば、北崎拓の「さくらんぼシンドローム」がある。
同じく化粧品メーカーに勤める男女が主人公。ラブコメというよりストーリー漫画で、男女の機微をリアルに描いている(ような気がする)のがウリだ。素人の俺が満足するぐらいには業界のリアリティのレベルがある。結構俺の人格形成に影響を与えた漫画でもある。
結局のところ、お試し用小冊子1冊では判別がつかない漫画もあるということなのだ。
丸ごと読ませろ!立ち読みさせろ!ということで、前回のシュリンク撤廃希望の話につながってくる。まあ全部読んだところで買わないかもしれないんだけど。漫画喫茶に行け?置いてあるかなー。。。
話は変わるが、
いつも本屋で手に取ったものの、内容がわからないので「あとで検索しよう」と思って棚に戻してそのまま忘れてしまう漫画がある。今回は記事にしようと思ってたので、なんとなく覚えていたタイトルを検索して調べてみた。
「甲冑武闘」
実際に甲冑をつけて戦う格闘技イベントがあると聞いたことがある。そんな漫画かなと思ったが、鎧騎士の戦いについて考証した漫画っぽい。なんとなくそうかなと思っていたが、以前もお試しを何冊か読んで結局買わなかった作家の作品だった。イラストレーター的な作画なので表紙には強い吸引力があるが、ちょっと本編の画風が重い。今回も見送り。
「児玉まりあ文学集成」
「響」で少し文学に興味を持った。文学の要素を端的に表現したと思われるサンプル4ページぐらいを読んで、すぐ購入を決めた。
経営学者のドラッカーは「顧客は自分が何を欲しがっているのか自分ではわかっていない」とかなんとか言っていた。俺もひょいひょい無作為に漫画を買っているようで、面白いと思いつつも購入を迷い続けている漫画もある。その辺に意識的になったことがあまりなかったので、今回赤裸々に考えてみた。
まあ死んでもビニールは剥がさん!という業界の態度もそれはそれでいいとも思う。
この件についてはあともう1回考えてみたい。
タグ:立ち読み
そのタイトルに二の足踏む!大人気のカルロ・ゼン「幼女戦記」はなぜ「ようじょ」なのか? [この人気漫画が面白くない]
カルロ・ゼンの「テロール教授の怪しい授業」を読んだ。テロとは何かを語った漫画で、その辺はすでに「ゴーマニズム宣言」で学んでいたので、それ以上のものは無かった。というか、ここからだろう!というところで終わってしまっているので惜しい漫画だと思う。ゴーマニズムはテロを肯定するとこまでいっちゃってるからな。
モヤモヤしたので、原作者のカルロ・ゼンについて調べてみる。なんか大作家感が名前からして鼻につく。そしたら「幼女戦記」の作者だということがわかった。このタイトルについては「なんだそりゃ?」「なんかヤバそうなタイトル!」と思って敬遠していたのだ。だって幼女だぜ?
アマゾンプライムにアニメがあったので見てみたが、その内容にぶっ飛んだ。
1:計算高い嫌われ者のサラリーマンが神様に殺される
2:異世界転生して幼女に
3:そこは第二次大戦のヨーロッパみたいな世界
4:魔法を駆使して空中戦を行う
なんという欲張りな内容だと思った。
アクションシーンが特によく出来ており(アイアンマン意識してるのかなー?)、かなり原作がリスペクトされていることが感じられる。俺はなんか消化不良気味で、これの1〜4のうち、どれか一つ削るのが収まりがイイんでないかと思ってしまうが。
まず「幼女」は外せないのだろう。
わざわざタイトルで使うぐらいだし。
繰り返しになるが、「幼女て」と思う。
「喧嘩に強くなりたい」とか「素敵な恋愛がしたい」だとか、漫画などのメディアは願望を擬似的に叶えるための装置という一つの捉え方ができる。それがあまり声高に言えないような種類のものだったり、ニッチすぎると批判が起こったりしてしまう。「幼女戦記」は「幼女に生まれ変わって無双がしたい」層のニーズに応えたもの?そんなニーズがあるの?と混乱してしまう。
子供になってしまう漫画は昔から色々読んだ。いま一番有名なものは名探偵コナンだろう。これも高校生の名探偵漫画じゃダメで、子供にならなくては成立しないと作者は思ったわけだ。子供が大人相手に無双する理由づけとして、若返った天才高校生が元の体に戻るための戦い、というストーリーになっている。
女になりたいという漫画も昔からあった。俺は幼女もダメだが性転換願望もダメなので、ちょっと苦手なネタだ。Kー1の石井館長が女子高生になるみたいに、時々オッサンが若い女になるようなギャップを利用したギャグとして使われる場合も多い。
女になりたい男の人、というのはわからんでもないのだが、幼女になりたいという作品がこれまであっただろうか。ただ、アニメ版を見た限りでは幼女は単なる記号である。神様から与えられたピンチの中の最たるものなのだが、心はオッサンのまま。体力は軍隊に入って銃をぶっ放したり、新兵をしごいたりできるぐらいで、幼女的リアリティも何もない。登場する軍人達も、幼女をほぼ大人扱いである。
こないだ実家に戻って身内三人で集まってみれば、他の二人とも「幼女戦記」を見ていて好ましいと言っていたのでお口あんぐりである。片方の子持ちの腐女子は小説版で読めば色々わかると言っていたので、まあ保証はないけど読まなければわからない部分はあるのだろうなとは思う。もう片方の男の方は別に幼女好きでも、幼女になりたそうでもない。かなり純消費者に近い思考の人で、それほど作品に対する思い入れもない。タダだから見て楽しんで、忘れてしまうという感じだ。
みんなKー1の石井館長が女子高生になる〜みたいに、ギャップとして楽しんでいるのかもしれない。自分は宮崎事件で、もともと興味ない「幼女」というワードに危害を加えられたトラウマがあるので警戒心が半端ないので、どうにも視聴に抵抗が加わる。そもそも幼女になりたいニーズは本当にあるのか。それがそもそも偏見かもしれない。繰り返しになるが、幼女戦記における幼女は記号である。子供に軍服を着せたら可愛いよねーぐらいの意味なのかもしれない。
「幼女戦記見れるなら大西巷一の乙女戦争読めよ!長篠の戦いinヨーロッパだぞ!」
「嫌だよ!あれ戦場レイプとかあるじゃん!」
そんな会話をしましたが、確かに内容は乙女戦争の方がヤバい。これが幼女戦争だったら買えなかっただろう。カルロ・ゼンはなぜ乙女戦記ではなく、幼女戦記にしてしまったのか。乙女戦記だったら、こんな違和感をタラタラと書くこともなかったのかもしれない。
こういうタイトルをつけられ、広く受け入れられるのも、事件の記憶が薄れてきたというのがあるのかもしれない。それがいいことなのか悪いことなのか。人気作品になれば今後犯罪者の部屋から出てきて結び付けられる可能性も高い。その時に作者は、出版社は、ファンは、外野はどう対応するのか。何も起きないことを祈るばかりである。
モヤモヤしたので、原作者のカルロ・ゼンについて調べてみる。なんか大作家感が名前からして鼻につく。そしたら「幼女戦記」の作者だということがわかった。このタイトルについては「なんだそりゃ?」「なんかヤバそうなタイトル!」と思って敬遠していたのだ。だって幼女だぜ?
アマゾンプライムにアニメがあったので見てみたが、その内容にぶっ飛んだ。
1:計算高い嫌われ者のサラリーマンが神様に殺される
2:異世界転生して幼女に
3:そこは第二次大戦のヨーロッパみたいな世界
4:魔法を駆使して空中戦を行う
なんという欲張りな内容だと思った。
アクションシーンが特によく出来ており(アイアンマン意識してるのかなー?)、かなり原作がリスペクトされていることが感じられる。俺はなんか消化不良気味で、これの1〜4のうち、どれか一つ削るのが収まりがイイんでないかと思ってしまうが。
まず「幼女」は外せないのだろう。
わざわざタイトルで使うぐらいだし。
繰り返しになるが、「幼女て」と思う。
「喧嘩に強くなりたい」とか「素敵な恋愛がしたい」だとか、漫画などのメディアは願望を擬似的に叶えるための装置という一つの捉え方ができる。それがあまり声高に言えないような種類のものだったり、ニッチすぎると批判が起こったりしてしまう。「幼女戦記」は「幼女に生まれ変わって無双がしたい」層のニーズに応えたもの?そんなニーズがあるの?と混乱してしまう。
子供になってしまう漫画は昔から色々読んだ。いま一番有名なものは名探偵コナンだろう。これも高校生の名探偵漫画じゃダメで、子供にならなくては成立しないと作者は思ったわけだ。子供が大人相手に無双する理由づけとして、若返った天才高校生が元の体に戻るための戦い、というストーリーになっている。
女になりたいという漫画も昔からあった。俺は幼女もダメだが性転換願望もダメなので、ちょっと苦手なネタだ。Kー1の石井館長が女子高生になるみたいに、時々オッサンが若い女になるようなギャップを利用したギャグとして使われる場合も多い。
女になりたい男の人、というのはわからんでもないのだが、幼女になりたいという作品がこれまであっただろうか。ただ、アニメ版を見た限りでは幼女は単なる記号である。神様から与えられたピンチの中の最たるものなのだが、心はオッサンのまま。体力は軍隊に入って銃をぶっ放したり、新兵をしごいたりできるぐらいで、幼女的リアリティも何もない。登場する軍人達も、幼女をほぼ大人扱いである。
こないだ実家に戻って身内三人で集まってみれば、他の二人とも「幼女戦記」を見ていて好ましいと言っていたのでお口あんぐりである。片方の子持ちの腐女子は小説版で読めば色々わかると言っていたので、まあ保証はないけど読まなければわからない部分はあるのだろうなとは思う。もう片方の男の方は別に幼女好きでも、幼女になりたそうでもない。かなり純消費者に近い思考の人で、それほど作品に対する思い入れもない。タダだから見て楽しんで、忘れてしまうという感じだ。
みんなKー1の石井館長が女子高生になる〜みたいに、ギャップとして楽しんでいるのかもしれない。自分は宮崎事件で、もともと興味ない「幼女」というワードに危害を加えられたトラウマがあるので警戒心が半端ないので、どうにも視聴に抵抗が加わる。そもそも幼女になりたいニーズは本当にあるのか。それがそもそも偏見かもしれない。繰り返しになるが、幼女戦記における幼女は記号である。子供に軍服を着せたら可愛いよねーぐらいの意味なのかもしれない。
「幼女戦記見れるなら大西巷一の乙女戦争読めよ!長篠の戦いinヨーロッパだぞ!」
「嫌だよ!あれ戦場レイプとかあるじゃん!」
そんな会話をしましたが、確かに内容は乙女戦争の方がヤバい。これが幼女戦争だったら買えなかっただろう。カルロ・ゼンはなぜ乙女戦記ではなく、幼女戦記にしてしまったのか。乙女戦記だったら、こんな違和感をタラタラと書くこともなかったのかもしれない。
こういうタイトルをつけられ、広く受け入れられるのも、事件の記憶が薄れてきたというのがあるのかもしれない。それがいいことなのか悪いことなのか。人気作品になれば今後犯罪者の部屋から出てきて結び付けられる可能性も高い。その時に作者は、出版社は、ファンは、外野はどう対応するのか。何も起きないことを祈るばかりである。
タグ:ラノベ
【追記あり】面白い。アニメも大ヒット中。次世代ジャンプ漫画、「約束のネバーランド」を自分が買わない理由。 [この人気漫画が面白くない]
実家に帰ると、「約束のネバーランド」が全巻あった。
アマゾンプライムでアニメを見て、家族が購入したらしい。
自分もプライムでアニメを見ていた。
オープニングの作画が原作そっくりで、本編も素晴らしいのだろうと想像して、そこで視聴をやめた。そもそも原作が素晴らしいので、別にアニメになってまで見たいとは俺個人は思わない。漫画を読まない人も多いので、アニメにする意義はある。
原作は素晴らしい、と思うのだが自分は単行本を買おうと思わない。
というか、「好きだ」とは思うのだが、限りなく温度は「普通」に近い。
それがなぜなのか。
感覚は人それぞれだし、加齢で保守的になるという理屈もわかるが、流行ってる漫画を受け付けられないということに悔しさも感じるので、もうちょっとこの作品について考えてみたい。
「約束のネバーランド」は少年ジャンプ連載のストーリー漫画だ。「漫道コバヤシ」で年間大賞を受賞して、その存在を知った。舞台はあたたかな孤児院。里親が見つかると少年少女たちが一人、また一人と施設を出て行く。しかしこの孤児院の実態は、人喰いの化け物の食卓へ孤児を出荷するための、養育施設だった。その事実に気づいた少年少女たちは知恵を振り絞り、「ママ」の監視をかいくぐり、孤児院からの脱出に挑むという話。
少年ジャンプらしからぬストーリー。
「バクマン。」で、大場つぐみがいうところの「邪道漫画」である。ちなみに主人公は女の子。敵役である「ママ」から連想して、そういう発想が必然になったのだと推測する。漫道コバヤシで、作画担当がフルフェイスヘルメットで登場したが、原作者は頑なに露出を拒んでいたので「ははーん、大場つぐみが書いてるんだな」と思ったが、それは違ったようだ。
「人喰いの化け物」というのは、近年のヒット作「進撃の巨人」にも通じる。
今の子ってよっぽど人喰いが怖いんだなと思ってしまう。まあ怖いんだろうけどさ。自分世代でも「寄生獣」があった。自分が「約束の〜」を今ひとつ受け入れられない理由にそこがあるかもしれない。頭脳戦であることも寄生獣と共通している。
自分が小学生の頃に読んで、トラウマになるほど怖かった人喰い漫画がある。確かコロコロコミックか何かで、誰か書いていたかも覚えてない短編。ある日、何か眩しい光が街に降り注ぐと、街の人がみんなおかしくなり、虫とかトカゲとか食べ始めるような内容だった。たまたま光の照射を逃れ、正気を保っていた主人公も、最後にはおかしくなってしまうことで危機を脱するが、父母に食べられてしまうというオチだったと記憶している。満田拓也の「メジャー」に、すごい似てると感じるシーンがあるのだけれど。
【追記】久間まさあき「滅びの魔光伝説」(1986年)でした!
人喰い要素通過済みという以外にも、「約束の〜」が受け入れられない理由がないか考えてみる。
そもそもこの漫画、アメリカ映画でありそう。TVドラマかな。で、これがアメリカ映画だったら、多分あまり自分は興味を示さないだろうなと思う。アメリカ映画だからどうだということではなく、自分にとっての萌え要素がそこにないという、性癖の問題なのかもしれない。
それでも「約束の〜」で主人公たちが施設を脱出するまで、外の世界がどうなっているのかということはものすごい想像力を掻き立てられたが、実際わかってみれば「ふーん。。。」という感じである。ぶっちゃけ脱出後はパラパラとしか読んでいない。オチがどうなるのか、そこだけ読みたい。
それまで擬似親子の対立を頭脳戦でやっていたから大人vs子供が成立していたのに、脱出後は単なる大人と子供の肉弾戦に変化してしまい、新しい敵キャラが小物に見えてしょうがないという不満もある。
この作品、深読みすれば家畜とは何かということを考えさせられるのかもしれない。
食べるために飼っている牛や豚が反乱を起こしたら。
それは馬鹿馬鹿しい妄想ではあるのだれど、菜食主義者が精肉店やレストランを襲撃するという事件が海外では実際に起きている。
食べてはいけない動物はあるのだろうか。
クジラはよく話題にされる。イルカも近年話題になった。アジアの国は犬を食う。どれも自分は食いたいとは思わないけども、文化としてあるのなら他がとやかく言うことではないと思う。それは偽善の中でもかなり悪質な干渉だと思う。
ネタバレだが「約束の〜」では、実は主人公の知らないところで人類と人喰いの化け物が共存している。主人公たちは世界平和のための生贄なのである。この世界観は面白いし、深いと思う。ここを掘り下げてくれたら、単行本を買うかもしれない。もっとも、偏屈な読者を一人増やさなくても、「約束のネバーランド」はメガヒットしてるし、次世代の漫画読者の常識の一冊になっているのだろうけども。
【追記】沙村広明の「ブラッドハーレーの馬車」を忘れていたよ。一見楽園に見える孤児院が実は。。。という構成が同じ。これ読むと食われる方がマシと思う。沙村広明作品だから所有してるけど、あまり面白い漫画とは思わなかったので、記憶から消してたよ。。。
アマゾンプライムでアニメを見て、家族が購入したらしい。
自分もプライムでアニメを見ていた。
オープニングの作画が原作そっくりで、本編も素晴らしいのだろうと想像して、そこで視聴をやめた。そもそも原作が素晴らしいので、別にアニメになってまで見たいとは俺個人は思わない。漫画を読まない人も多いので、アニメにする意義はある。
原作は素晴らしい、と思うのだが自分は単行本を買おうと思わない。
というか、「好きだ」とは思うのだが、限りなく温度は「普通」に近い。
それがなぜなのか。
感覚は人それぞれだし、加齢で保守的になるという理屈もわかるが、流行ってる漫画を受け付けられないということに悔しさも感じるので、もうちょっとこの作品について考えてみたい。
「約束のネバーランド」は少年ジャンプ連載のストーリー漫画だ。「漫道コバヤシ」で年間大賞を受賞して、その存在を知った。舞台はあたたかな孤児院。里親が見つかると少年少女たちが一人、また一人と施設を出て行く。しかしこの孤児院の実態は、人喰いの化け物の食卓へ孤児を出荷するための、養育施設だった。その事実に気づいた少年少女たちは知恵を振り絞り、「ママ」の監視をかいくぐり、孤児院からの脱出に挑むという話。
少年ジャンプらしからぬストーリー。
「バクマン。」で、大場つぐみがいうところの「邪道漫画」である。ちなみに主人公は女の子。敵役である「ママ」から連想して、そういう発想が必然になったのだと推測する。漫道コバヤシで、作画担当がフルフェイスヘルメットで登場したが、原作者は頑なに露出を拒んでいたので「ははーん、大場つぐみが書いてるんだな」と思ったが、それは違ったようだ。
「人喰いの化け物」というのは、近年のヒット作「進撃の巨人」にも通じる。
今の子ってよっぽど人喰いが怖いんだなと思ってしまう。まあ怖いんだろうけどさ。自分世代でも「寄生獣」があった。自分が「約束の〜」を今ひとつ受け入れられない理由にそこがあるかもしれない。頭脳戦であることも寄生獣と共通している。
自分が小学生の頃に読んで、トラウマになるほど怖かった人喰い漫画がある。確かコロコロコミックか何かで、誰か書いていたかも覚えてない短編。ある日、何か眩しい光が街に降り注ぐと、街の人がみんなおかしくなり、虫とかトカゲとか食べ始めるような内容だった。たまたま光の照射を逃れ、正気を保っていた主人公も、最後にはおかしくなってしまうことで危機を脱するが、父母に食べられてしまうというオチだったと記憶している。満田拓也の「メジャー」に、すごい似てると感じるシーンがあるのだけれど。
【追記】久間まさあき「滅びの魔光伝説」(1986年)でした!
人喰い要素通過済みという以外にも、「約束の〜」が受け入れられない理由がないか考えてみる。
そもそもこの漫画、アメリカ映画でありそう。TVドラマかな。で、これがアメリカ映画だったら、多分あまり自分は興味を示さないだろうなと思う。アメリカ映画だからどうだということではなく、自分にとっての萌え要素がそこにないという、性癖の問題なのかもしれない。
それでも「約束の〜」で主人公たちが施設を脱出するまで、外の世界がどうなっているのかということはものすごい想像力を掻き立てられたが、実際わかってみれば「ふーん。。。」という感じである。ぶっちゃけ脱出後はパラパラとしか読んでいない。オチがどうなるのか、そこだけ読みたい。
それまで擬似親子の対立を頭脳戦でやっていたから大人vs子供が成立していたのに、脱出後は単なる大人と子供の肉弾戦に変化してしまい、新しい敵キャラが小物に見えてしょうがないという不満もある。
この作品、深読みすれば家畜とは何かということを考えさせられるのかもしれない。
食べるために飼っている牛や豚が反乱を起こしたら。
それは馬鹿馬鹿しい妄想ではあるのだれど、菜食主義者が精肉店やレストランを襲撃するという事件が海外では実際に起きている。
食べてはいけない動物はあるのだろうか。
クジラはよく話題にされる。イルカも近年話題になった。アジアの国は犬を食う。どれも自分は食いたいとは思わないけども、文化としてあるのなら他がとやかく言うことではないと思う。それは偽善の中でもかなり悪質な干渉だと思う。
ネタバレだが「約束の〜」では、実は主人公の知らないところで人類と人喰いの化け物が共存している。主人公たちは世界平和のための生贄なのである。この世界観は面白いし、深いと思う。ここを掘り下げてくれたら、単行本を買うかもしれない。もっとも、偏屈な読者を一人増やさなくても、「約束のネバーランド」はメガヒットしてるし、次世代の漫画読者の常識の一冊になっているのだろうけども。
【追記】沙村広明の「ブラッドハーレーの馬車」を忘れていたよ。一見楽園に見える孤児院が実は。。。という構成が同じ。これ読むと食われる方がマシと思う。沙村広明作品だから所有してるけど、あまり面白い漫画とは思わなかったので、記憶から消してたよ。。。
東田の誤植で車田正美のペンネームが生まれた!…というガセネタは本人の自伝から!車田正美「藍の時代」 [この人気漫画が面白くない]
車田正美「藍の時代-一期一会-」を電子化した。
あの聖闘士星矢、リングにかけろの作家の自伝である。
2000〜2009年に連載された「リングにかけろ2」で、漫画家としてすでに死んでいることが発覚した車田正美だが、2015年のこの作品はだいぶ持ち直しているなという印象。それでも全盛期に比べれば、介護の人がついて日常生活をおくれるぐらいのリハビリ度だ。というか、よく見るとアシスタントが背景頑張ってんなという感想を強く持った一冊だった。
(ちょっと鍋のデカさが気になるけど。。。)
自伝ではあるが、かなりリアリティーが薄い。
ヤクザになった友人が刺されて死にかけながらポストに投函しようとしたアンケートハガキが風に吹かれて作者の元まで届いただとか、デビュー前の本宮ひろ志の原稿を拾って読んでいただとか。打ち切りになった平松伸二の「そして僕は外道マンになる」もドキュメンタリー漫画適正の無さを端々に感じたが、「藍の時代」はそれの比ではない。
何しろ車田正美がジャンプではなく、チャンピオンに持ち込んでヒットを飛ばすというストーリーになっているのである。現在の主要取引先に配慮したとか、雑誌名をもじったとかそういうレベルの話ではない。秋田書店の伝説的編集者である壁村耐三と二人三脚で「リングにかけろ」を作ったとかいう話になっているのである。
(リング階段は一応出てくる)
車田正美的にはエンタメに徹したのだとインタビューで語っているが、ファンとしてはまあ興ざめである。出版社も諌める人がいないのではないか。諦めてこの作品を「自伝ではなく超自伝」なのだとして売り出している。宮下あきらぐらいの馬鹿話にできるのなら「超自伝」でもいいのだが、「藍の時代」に関しては滑り倒した上に秋田書店デビューという脚色でトドメを刺したような結果に終わっているように感じる。
そもそも車田正美は何度も自分を主人公にした漫画を描いており、それらは「実録!神輪会」として単行本にまとめられている。読み返してみたが、いずれもクオリティが高い。ギャグがキレッキレだ。初期の「リングにかけろ」における高嶺菊のネームも勢いが素晴らしく笑えるので、全盛期にはギャグ漫画適正あったのだろうと思う。
神輪会の自画像はいずれも作者の特徴である唇を強調して描かれており、記号的なキャラクター造形を脱したリアリティある表現になっていると思う。藍の時代はそもそも作画が見てられないレベルな上に、唇を強調することを忘れてしまったのか貧相な記号に堕してしまった。
「藍の時代」について検索したら、ダヴィンチニュースの車田正美インタビューがあった。まずダヴィンチがインタビューするほどの作品なんだ?ということに驚きだ。編集者が車田正美ファンなので会いたかったのか、何かしら秋田書店に借りがあったのか、売り込みに断りきれなかったのかとしか思えない。インタビュアーはべた褒めしてるけれど。まあ俺以外はみんな「藍の時代」を面白いと思っているという可能性も無くは無い。
メイキングインタビューを読んでいると、何それ面白そう。それを描けよ!と思ってしまうことが多かった。
--------------------
─このエピソードでは、やはり「健さん」がメインだと思いますが、この人は実在の人物ですか?
「そうだね。やっぱり高倉健さんは『男』の象徴なんだけど、それとダブらせた本物のヤクザ者の『健さん』。この人のモデルはひとりじゃなくて、何人ものエピソードを入れてるんだよ。当時の下町にはあんな人たちがたくさんいて、行儀のこととか注意されたりしてたな」
─宇津木刑事との交流も描かれていました。
「もちろんああいう人もいたよ。ちょうどウチの前に警察署があって、子供の頃なんてしょっちゅう出入りしてたな。2階に道場があったから、そこで柔道も教えてもらってたよ。でも警察署に出入り自由って、今では考えられないよな(笑)」
─持ち込みをしている時に、中村さんという人に出会いますが、この人は……
「そうそう、その人もいるわけだよ、実際の人物が。アシスタントをやってる時にも、いろいろな人が井上さんのところに出入りしていた。それでお金を借りに来るんだよね、3歳くらいの子供を連れてさ。それで井上さんも貸しちゃうのよ(笑)。それを見て、漫画家ってのはホントにキツイ仕事なんだなって。デビューしたからどうにかなるもんでもないなって思ったよ」
─第5話は、親友のジュンとのエピソードが中心ですね。
「うん、彼も実在の人物。もちろんあんなに美少年じゃなかったし、絵が好きなやつでもなかったけど。昔は病気を持ってる人って結構いたんだよね。草野球やってたら突然倒れて、こっちは『何ふざけてんだ』とか思ってさ」
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劇中では主人公の姓「東田」の誤植により「車田」のペンネームが生まれたとなっており、面白いと思ったのだが。。。
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─自伝ではデビュー作の掲載時、「東田正巳」の名前が「車田正美」になっているわけですが、この辺りのお話を聞かせてください。
「これは事実とは逆の発想でね。『ヤングジャンプ賞』に応募した時『今後、期待ができる』みたいなところに名前が載ったんだけど、『東田正美くん』って間違えられたんだよ(笑)。だから本編では逆に使ってみたんだ」
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なんと本姓はまんま「車田」で、逆に「東田」と誤植された思い出を逆手に取ったのいうのが真実だったのだ。
まぎらわしすぎるよ!
ちなみに、ジャンプでなくチャンピオンに持ち込んだと脚色した経緯については、
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─『週刊少年ジャンプ』ではなく『週刊少年チャンピオン』に持ち込みますが、この辺は掲載誌を意識してのことでしょうか。
「いや、ひねったんだよ。自伝漫画って、事実の通りに描くとつまらないんだよな。そもそも人ひとりの人生に、そんなに山や谷、嵐があるわけがない。平和な時代に生まれた人間なら、特にね。だからそのままジャンプに行ってデビューしたら、あまりにもひねりがないじゃない。そこを膨らませて、チャンピオンに行ったんだよ」
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先生!
そこひねるとこじゃ無いですから!
膨らんで無いですから!
アメリカでデビューするとかならまだしも!
ちなみに車田先生は続編にも意欲を見せているらしい。
今や島本和彦が「アオイホノオ」で引用するぐらい、俺ら世代の漫画史考える上で再検証が行われなければいけない作家である。もっとちゃんとしたブレーンがついて欲しい。。。
あの聖闘士星矢、リングにかけろの作家の自伝である。
2000〜2009年に連載された「リングにかけろ2」で、漫画家としてすでに死んでいることが発覚した車田正美だが、2015年のこの作品はだいぶ持ち直しているなという印象。それでも全盛期に比べれば、介護の人がついて日常生活をおくれるぐらいのリハビリ度だ。というか、よく見るとアシスタントが背景頑張ってんなという感想を強く持った一冊だった。
(ちょっと鍋のデカさが気になるけど。。。)
自伝ではあるが、かなりリアリティーが薄い。
ヤクザになった友人が刺されて死にかけながらポストに投函しようとしたアンケートハガキが風に吹かれて作者の元まで届いただとか、デビュー前の本宮ひろ志の原稿を拾って読んでいただとか。打ち切りになった平松伸二の「そして僕は外道マンになる」もドキュメンタリー漫画適正の無さを端々に感じたが、「藍の時代」はそれの比ではない。
何しろ車田正美がジャンプではなく、チャンピオンに持ち込んでヒットを飛ばすというストーリーになっているのである。現在の主要取引先に配慮したとか、雑誌名をもじったとかそういうレベルの話ではない。秋田書店の伝説的編集者である壁村耐三と二人三脚で「リングにかけろ」を作ったとかいう話になっているのである。
(リング階段は一応出てくる)
車田正美的にはエンタメに徹したのだとインタビューで語っているが、ファンとしてはまあ興ざめである。出版社も諌める人がいないのではないか。諦めてこの作品を「自伝ではなく超自伝」なのだとして売り出している。宮下あきらぐらいの馬鹿話にできるのなら「超自伝」でもいいのだが、「藍の時代」に関しては滑り倒した上に秋田書店デビューという脚色でトドメを刺したような結果に終わっているように感じる。
そもそも車田正美は何度も自分を主人公にした漫画を描いており、それらは「実録!神輪会」として単行本にまとめられている。読み返してみたが、いずれもクオリティが高い。ギャグがキレッキレだ。初期の「リングにかけろ」における高嶺菊のネームも勢いが素晴らしく笑えるので、全盛期にはギャグ漫画適正あったのだろうと思う。
神輪会の自画像はいずれも作者の特徴である唇を強調して描かれており、記号的なキャラクター造形を脱したリアリティある表現になっていると思う。藍の時代はそもそも作画が見てられないレベルな上に、唇を強調することを忘れてしまったのか貧相な記号に堕してしまった。
「藍の時代」について検索したら、ダヴィンチニュースの車田正美インタビューがあった。まずダヴィンチがインタビューするほどの作品なんだ?ということに驚きだ。編集者が車田正美ファンなので会いたかったのか、何かしら秋田書店に借りがあったのか、売り込みに断りきれなかったのかとしか思えない。インタビュアーはべた褒めしてるけれど。まあ俺以外はみんな「藍の時代」を面白いと思っているという可能性も無くは無い。
メイキングインタビューを読んでいると、何それ面白そう。それを描けよ!と思ってしまうことが多かった。
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─このエピソードでは、やはり「健さん」がメインだと思いますが、この人は実在の人物ですか?
「そうだね。やっぱり高倉健さんは『男』の象徴なんだけど、それとダブらせた本物のヤクザ者の『健さん』。この人のモデルはひとりじゃなくて、何人ものエピソードを入れてるんだよ。当時の下町にはあんな人たちがたくさんいて、行儀のこととか注意されたりしてたな」
─宇津木刑事との交流も描かれていました。
「もちろんああいう人もいたよ。ちょうどウチの前に警察署があって、子供の頃なんてしょっちゅう出入りしてたな。2階に道場があったから、そこで柔道も教えてもらってたよ。でも警察署に出入り自由って、今では考えられないよな(笑)」
─持ち込みをしている時に、中村さんという人に出会いますが、この人は……
「そうそう、その人もいるわけだよ、実際の人物が。アシスタントをやってる時にも、いろいろな人が井上さんのところに出入りしていた。それでお金を借りに来るんだよね、3歳くらいの子供を連れてさ。それで井上さんも貸しちゃうのよ(笑)。それを見て、漫画家ってのはホントにキツイ仕事なんだなって。デビューしたからどうにかなるもんでもないなって思ったよ」
─第5話は、親友のジュンとのエピソードが中心ですね。
「うん、彼も実在の人物。もちろんあんなに美少年じゃなかったし、絵が好きなやつでもなかったけど。昔は病気を持ってる人って結構いたんだよね。草野球やってたら突然倒れて、こっちは『何ふざけてんだ』とか思ってさ」
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劇中では主人公の姓「東田」の誤植により「車田」のペンネームが生まれたとなっており、面白いと思ったのだが。。。
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─自伝ではデビュー作の掲載時、「東田正巳」の名前が「車田正美」になっているわけですが、この辺りのお話を聞かせてください。
「これは事実とは逆の発想でね。『ヤングジャンプ賞』に応募した時『今後、期待ができる』みたいなところに名前が載ったんだけど、『東田正美くん』って間違えられたんだよ(笑)。だから本編では逆に使ってみたんだ」
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なんと本姓はまんま「車田」で、逆に「東田」と誤植された思い出を逆手に取ったのいうのが真実だったのだ。
まぎらわしすぎるよ!
ちなみに、ジャンプでなくチャンピオンに持ち込んだと脚色した経緯については、
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─『週刊少年ジャンプ』ではなく『週刊少年チャンピオン』に持ち込みますが、この辺は掲載誌を意識してのことでしょうか。
「いや、ひねったんだよ。自伝漫画って、事実の通りに描くとつまらないんだよな。そもそも人ひとりの人生に、そんなに山や谷、嵐があるわけがない。平和な時代に生まれた人間なら、特にね。だからそのままジャンプに行ってデビューしたら、あまりにもひねりがないじゃない。そこを膨らませて、チャンピオンに行ったんだよ」
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先生!
そこひねるとこじゃ無いですから!
膨らんで無いですから!
アメリカでデビューするとかならまだしも!
ちなみに車田先生は続編にも意欲を見せているらしい。
今や島本和彦が「アオイホノオ」で引用するぐらい、俺ら世代の漫画史考える上で再検証が行われなければいけない作家である。もっとちゃんとしたブレーンがついて欲しい。。。
タグ:車田正美
整形にポジティブな時代にある意味貴重かも。愛内あいるの「自分の顔が嫌すぎて、整形に行った話」 [この人気漫画が面白くない]
愛内あいるの「自分の顔が嫌すぎて、整形に行った話」を買ったが、これが最近の俺の中ではぶっちぎりのハズレだった。
永田カビっぽい表紙で結構絵も上手そうで期待感があった。
ピクシブで大人気になっての書籍化とのことだったので、事前に読んでおけば良かったと後悔。
「こういうのを期待してたのに」というのが宮本茂流のダメ出しなのだそうだが、それに従って自分にとってダメだった理由を考えてみる。
作者が思ったより普通の人だった、からかもしれない。
ペンネームも正直どうかと思う。
容姿にコンプレックスがあって。
人生これからの19歳で。
整形して彼氏もできたけど定着せず、結局劣等感は消えないまま。
でも前向きに生きていこうね。
と言う内容。
普通だ。
だから文句言うのもためらわれる。
しかし1000円払っちゃったので、俺が独り言呟くぐらいはいいだろうと思うので、引き続き書かせていただく。
整形したのが二重まぶただけというのが最大の拍子抜け部分だ。
そんなもん小林よしのりだって2ページで済ませている内容だ。
大島渚は整形観についてゴーマニズムで批判されているのに、作者に会った時に作者に「愛読してます」と伝えられるんだから偉大だと思う。ボキャブラ天国好きだったなあ。
俺はこの「自分の顔が嫌すぎて〜」という漫画を読んで、もっと男ウケを徹底的に分析してあちこち整形しまくって、それなり効果を上げて本人も満足という内容を期待していた。「この女したたかだなあ〜!女版曹操孟徳みたいだ!」という読後感が持ちたかった。そう考えると、俺が文句を言いたいのは作者にではなく、出版社に対してなのかもしれない。
ミスコンの自作自演で炎上したにも関わらずモデルとして堂々活躍している井口綾子さんぐらいのキャラを期待していたのだ。
井口さんの自伝が出たら是非読んでみたい。タイトルは「赤壁で焼死しかけても堂々生き続ける私は乱世の奸雄」で。
最近の女の子は整形にポジティブだ。
職場のバイトの若い女の子4人の食事会に混ぜてもらった時に色々ヒアリングしたのだけれど、AV女優の顔が憧れだと調子を合わせているのだから時代が違うのだなと愕然とした。だからこそ、「自分の顔が嫌すぎて〜」は普通だなと落胆が大きかったのかもしれない。
さて1000円で買ってしまったこの本をどう楽しめばいいのか。
ピンクを基調としたオールカラーの本なのだが、主人公がハマーン・カーンっぽいことに気づいた。あの人も目が細い方で、ハマーンの若き日の話と思って読めば、結構面白いのかもしれない。
永田カビっぽい表紙で結構絵も上手そうで期待感があった。
ピクシブで大人気になっての書籍化とのことだったので、事前に読んでおけば良かったと後悔。
「こういうのを期待してたのに」というのが宮本茂流のダメ出しなのだそうだが、それに従って自分にとってダメだった理由を考えてみる。
作者が思ったより普通の人だった、からかもしれない。
ペンネームも正直どうかと思う。
容姿にコンプレックスがあって。
人生これからの19歳で。
整形して彼氏もできたけど定着せず、結局劣等感は消えないまま。
でも前向きに生きていこうね。
と言う内容。
普通だ。
だから文句言うのもためらわれる。
しかし1000円払っちゃったので、俺が独り言呟くぐらいはいいだろうと思うので、引き続き書かせていただく。
整形したのが二重まぶただけというのが最大の拍子抜け部分だ。
そんなもん小林よしのりだって2ページで済ませている内容だ。
大島渚は整形観についてゴーマニズムで批判されているのに、作者に会った時に作者に「愛読してます」と伝えられるんだから偉大だと思う。ボキャブラ天国好きだったなあ。
俺はこの「自分の顔が嫌すぎて〜」という漫画を読んで、もっと男ウケを徹底的に分析してあちこち整形しまくって、それなり効果を上げて本人も満足という内容を期待していた。「この女したたかだなあ〜!女版曹操孟徳みたいだ!」という読後感が持ちたかった。そう考えると、俺が文句を言いたいのは作者にではなく、出版社に対してなのかもしれない。
ミスコンの自作自演で炎上したにも関わらずモデルとして堂々活躍している井口綾子さんぐらいのキャラを期待していたのだ。
井口さんの自伝が出たら是非読んでみたい。タイトルは「赤壁で焼死しかけても堂々生き続ける私は乱世の奸雄」で。
最近の女の子は整形にポジティブだ。
職場のバイトの若い女の子4人の食事会に混ぜてもらった時に色々ヒアリングしたのだけれど、AV女優の顔が憧れだと調子を合わせているのだから時代が違うのだなと愕然とした。だからこそ、「自分の顔が嫌すぎて〜」は普通だなと落胆が大きかったのかもしれない。
さて1000円で買ってしまったこの本をどう楽しめばいいのか。
ピンクを基調としたオールカラーの本なのだが、主人公がハマーン・カーンっぽいことに気づいた。あの人も目が細い方で、ハマーンの若き日の話と思って読めば、結構面白いのかもしれない。
タグ:エッセイ