俺的にこの漫画がモテるような気がする賞受賞作、井雲くすの「ぼくは愛を証明しようと思う。」 [モテる漫画]
「波よ聞いてくれ」はなんで「この漫画がすごい!」とか言われてるかよくわからん。
もともと沙村広明はフリートークだけで保たせられる作家なので読めはするけども、作者の意図通りに作品が展開していないように感じるので読んでいて消化不良感がある。しかしうちの家族間では大好評だ。60過ぎの母も読んでいる。まあ、20世紀少年みたいにあまり漫画読むのに熱心じゃない人に有り難がられて、ドラマ化して人気出て、沙村広明の地位が不動のものとなってくれれば嬉しいなとは思う。
そんな月刊アフタヌーンを、「ヴィンランドサガ」読むついでに「波よ聞いてくれ」も立ち読みしていると「ぼくは愛を証明しようと思う。」という漫画を発見した。すでに単行本2巻まで出ていたのですぐ購入した。これが「なかなかこの漫画が俺的にすごい賞」を獲得する内容だった。
「ぼくは愛を証明しようと思う。」は恋愛ハウトゥー本のコミカライズのようだ。かつて自分は恋愛ブログをやっていたこともあり、その手の本はそこそこ読んでいた。この手の理論というのは出尽くしていているので、何と何の情報を組み合わせて的確にコピーライティングするかというので良否が問われる。
この原作者は、
「恋愛工学を知れば知るほど、そして、実際にたくさんの女の行動を目の当たりにすればするほど、世間に広まっている恋愛に関する常識は、すべて根本的に間違っていることを確信した。恋愛ドラマやJ-POPの歌詞、それに女の恋愛コラムニストがご親切にも、こうしたら女の子にモテますよ、と僕たちに教えてくれることの反対をするのが大体において正しかった。」(本文より)
これらのことを非モテコミットと命名し、根本的な意識改革を勧めているのが画期的だと思う。
主人公は大して可愛くもないし誠実でもない女に貢ぎ、そして捨てられている。
女はおもちゃと戯れる子猫みたいなもんだ。子猫の前でおもちゃを動かしてやるとそれを掴もうと夢中になる。しかしおもちゃを置いてやっても動かないものには興味がないんだ。女が脈ありサインを出してきているのはおもちゃを捕まえようとしている子猫と同じなんだ。こっちがスグに応えてしまっては興味をなくしてしまう。
「いい人」がモテなくて、「ちょいワル」がモテる理由を「女はおもちゃと戯れる子猫」として簡単に説明している。つまり真面目で純粋で一途な男というのは、動かないおもちゃと一緒というわけだ。わかりやすい。
ただこういう本はウケが悪いと思う。
日本人の浪花節に反するからだ。
「素朴に頑張り続けているいい人がいずれ報われる」というシナリオで書かないと、漫画もCDも売れない。「引かせないことです」という金言を残した「シェアバディ」はなかなかよいところを言っていたが、3巻で終わってしまった。
非モテのオッサンの所作にだんだん好感持ってしまい、やっぱり自分を偽らずに素で勝負した方がいいんじゃないとか思い始めてしまう。
「電車男」はたくさんの人が応援した。こんないいヤツなら、絶対エルメスも好きになってくれるに違いないと多くの人が思った。しかし実際、自分だったら電車男と付き合えるかと問われたら「NO」が大多数だったと思う。想像でしかないが、そういう構造なのだ。見世物として純愛には惹きつけられるが、それは恋愛とは別の感情なのだということを皆があまり認識できていないのだ。
もともと沙村広明はフリートークだけで保たせられる作家なので読めはするけども、作者の意図通りに作品が展開していないように感じるので読んでいて消化不良感がある。しかしうちの家族間では大好評だ。60過ぎの母も読んでいる。まあ、20世紀少年みたいにあまり漫画読むのに熱心じゃない人に有り難がられて、ドラマ化して人気出て、沙村広明の地位が不動のものとなってくれれば嬉しいなとは思う。
そんな月刊アフタヌーンを、「ヴィンランドサガ」読むついでに「波よ聞いてくれ」も立ち読みしていると「ぼくは愛を証明しようと思う。」という漫画を発見した。すでに単行本2巻まで出ていたのですぐ購入した。これが「なかなかこの漫画が俺的にすごい賞」を獲得する内容だった。
「ぼくは愛を証明しようと思う。」は恋愛ハウトゥー本のコミカライズのようだ。かつて自分は恋愛ブログをやっていたこともあり、その手の本はそこそこ読んでいた。この手の理論というのは出尽くしていているので、何と何の情報を組み合わせて的確にコピーライティングするかというので良否が問われる。
この原作者は、
「恋愛工学を知れば知るほど、そして、実際にたくさんの女の行動を目の当たりにすればするほど、世間に広まっている恋愛に関する常識は、すべて根本的に間違っていることを確信した。恋愛ドラマやJ-POPの歌詞、それに女の恋愛コラムニストがご親切にも、こうしたら女の子にモテますよ、と僕たちに教えてくれることの反対をするのが大体において正しかった。」(本文より)
これらのことを非モテコミットと命名し、根本的な意識改革を勧めているのが画期的だと思う。
主人公は大して可愛くもないし誠実でもない女に貢ぎ、そして捨てられている。
女はおもちゃと戯れる子猫みたいなもんだ。子猫の前でおもちゃを動かしてやるとそれを掴もうと夢中になる。しかしおもちゃを置いてやっても動かないものには興味がないんだ。女が脈ありサインを出してきているのはおもちゃを捕まえようとしている子猫と同じなんだ。こっちがスグに応えてしまっては興味をなくしてしまう。
「いい人」がモテなくて、「ちょいワル」がモテる理由を「女はおもちゃと戯れる子猫」として簡単に説明している。つまり真面目で純粋で一途な男というのは、動かないおもちゃと一緒というわけだ。わかりやすい。
ただこういう本はウケが悪いと思う。
日本人の浪花節に反するからだ。
「素朴に頑張り続けているいい人がいずれ報われる」というシナリオで書かないと、漫画もCDも売れない。「引かせないことです」という金言を残した「シェアバディ」はなかなかよいところを言っていたが、3巻で終わってしまった。
非モテのオッサンの所作にだんだん好感持ってしまい、やっぱり自分を偽らずに素で勝負した方がいいんじゃないとか思い始めてしまう。
「電車男」はたくさんの人が応援した。こんないいヤツなら、絶対エルメスも好きになってくれるに違いないと多くの人が思った。しかし実際、自分だったら電車男と付き合えるかと問われたら「NO」が大多数だったと思う。想像でしかないが、そういう構造なのだ。見世物として純愛には惹きつけられるが、それは恋愛とは別の感情なのだということを皆があまり認識できていないのだ。
ぼくは愛を証明しようと思う。(1) (アフタヌーンコミックス)
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/07/22
- メディア: Kindle版
コメント 0