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手塚治虫に絶縁されコーラしか飲めずに孤独死した漫画家の真実!中野晴行「謎のマンガ家・酒井七馬伝」 [あの人は今]


映画「バクマン。」の主題歌、サカナクションの「新宝島」について記事を書いているとき、元ネタになった手塚治虫の「新寶島」に共著者がいることに気がついた。名前は酒井七馬。

そんなことも知らねーのかよと言われそうだが、本当にもうぜんっぜん知らなかった。だって「まんが道」も「チェイサー」も「ブラックジャック創作秘話」も「ボクの手塚治虫」にも、そんな話ぜんっぜん出てこなかったでしょ?こなかったよね?そもそも俺、あまり手塚治虫に興味がねーんだよ。

「まんが道」を読み返してみると、確かに表紙には「酒井七馬」の名前が描かれている。なんか一瞬「ん?」と思ったけど、そのままスルーした瞬間がよくよく思い返せばあったような気がする。
酒井七馬1.png

この酒井七馬について、こういうストーリーがあったらしい。

1:手塚治虫に「新寶島」を描かせ、好きなように改変し、手柄を独り占めにしようとした漫画家。
2:それ以後、手塚と絶縁し、晩年は貧乏でコーラしか飲めず孤独死した。

3:それが近年、ちょっと違うことが判明し、名誉が回復された。

この辺、すごく知りたくなったので、手塚が酒井の死について誤ったことを書き広めたという「ぼくはマンガ家」と、酒井七馬について調べた本、中野晴行の「謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影」を購入してそれぞれ読んでみた。

あくまで俺の読んだところで、完全に理解してるかどうか自信がないが簡潔に説明すると、

・酒井七馬はかなり上手い。
・しかもアニメーターの仕事も経験している。
・しかしあまり商売っ気はなかったようだ。
・編集者に口出しされるのを嫌い、好きなようにコツコツ描いていれば満足な作家という印象を受けた。

酒井七馬4.png
(「謎のマンガ家・酒井七馬伝」に掲載されている作品の例)


手塚の新寶島を改変したのも、クレジットを独占したのも、当時七馬が手塚の師匠的立場だったということが大きく影響しているように思える。新寶島は、当時少年だった後の大作家たちに大きな影響を与えた作品ではあるが、当時の出版社や手塚も尊敬するベテランの人気作家たちからはボロクソにけなされたと手塚本人が「ぼくはマンガ家」で語っている。

「もう少し絵を勉強なさってください」「こりゃひどい。これで、君がデッサンをやってないことがはっきりわかった。」なのだそうだ。七馬がそういう扱いをしたのもスジが通っている。
手塚3.png
(画像は矢口高雄「ボクの手塚治虫」)

ちなみに手塚が七馬の元を離れたことを、手塚の母が手塚治虫を連れて謝罪にきたと七馬が複数の人に話ししているという証言もあると、ウラの取れない話だからか少し遠慮がちに著者は紹介している。まんが道に出てくるあのお母さんが。。。と思った。
酒井七馬2.png
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さらに取材を進めると複数の関係者から、酒井七馬から聞いた話として、手塚と母親が手みやげを持って謝りに来たので酒井は奥付のトラブルはなかったことにした、という証言も出てきた。軍人の娘で、儒教的な教育で育った手塚文子の性格からして、息子が恩師と反目している状態は放置できなかったことは十分に考えられる。(謎の漫画家・酒井七馬伝)
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二人のその後の関係もそんなに悪いものではなく、たまにイベントで会ったり、七馬の葬儀には駆けつけられなかったものの、数日遅れて仏壇の前で手塚は手を合わせたと著者は書いている。

しかしちょっと腑に落ちない部分もある。七馬はそれなりに金を残していたが、医者嫌いで病状を悪化させ、最後はコーラしか喉を通らなかったというのが真実だと「謎のマンガ家〜」の著者は書いているのだが、実際親族の前で手を合わせた手塚がその辺のことを全く聞いていないのかな?と思う。事前に間違った情報を聞いていたので、気まずいのでその辺に触れられなかったというのはあるかもしれないが。
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なんでも、入院費も治療費もなく、バラックの自宅にたったひとり、寝たきりのままコーラだけを飲み、スタンドの灯で暖をとっているのを人が発見した。が、そのときはすでに手遅れだったそうである。生活はよほど困っていたらしいが、仲間に会うときには、きちんと背広を着、胸ポケットからハンカチをのぞかせて出席するだけのプライドをまだ持っていたので、誰一人、氏の体が病魔に蝕まれていることに気づかなかったという。(ボクはマンガ家)
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仮に見てきた事実だったとしても、なかなかこんなことは書けないと思うのだが。親族が読んだらどう思うか。天才・手塚治虫がやらかした、というのは考えられるけども、七馬困窮説が事実でないとしたら、よっぽど根に持ってたのではないかとしか俺は考えられない。

手塚は「新寶島」の復刻を生涯許さず、全面的に描き直した「新宝島」を流通させていたという。

「まんが道」や「ボクの手塚治虫」の「新寶島」が紹介されるコマを確認すると、表紙に酒井七馬の名前はちゃんと確認できる。
酒井七馬3.png
が、その説明は一切ない。まあ説明する必要はないと思うけど、行間なのかもしれないなと思うと味わい深い。そういえば新寶島の表紙を見て、手塚治虫の絵っぽくないなあと思ったこともあった。酒井七馬が描いているそうである。

ちなみに「謎のマンガ家〜」にはみなもと太郎も取材に協力している。何にでも顔出す人だよと笑えた。無名時代、マンガショーなるもののイベントで酒井七馬とご一緒したらしい。
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当時のみなもとたちマンガ青年にとって酒井七馬がどのような位置づけだったのかを知りたくて「みなもとさんたちにとって酒井さんはどういう存在だったんですか」と聞いてみた。

「別に…。指定された駅まで行くと、小柄なおじいちゃんともう一人が待っていて、ボクは『ああ、あれが酒井七馬か』と、それだけ。他のメンバーは酒井七馬と言われてもピンと来なかったでしょう。僕だって酒井さんの名前を知っているけれど、マンガは読んだことはない。名前も手塚さんが書いたものに出てきたので覚えていただけ。その程度です。
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酒井七馬が売名に熱心じゃなかった、自己顕示欲の少ない人だったことは本を読んで理解できた。それにしても、巨匠たちのバイブルとなった漫画に少なくない影響をもたらした漫画家の名前が俺レベル(そこそこ漫画好き)で全く知られてないというのはすごいと思う。次回はこの辺について書きたい。

ちなみに、みなもと太郎は喫茶店でひとりコーラを飲む酒井七馬の姿が強烈に印象に残っているらしい。七馬は身ぎれいでオシャレな人だったが生涯独身。甥には、若い頃に恋人に死なれて独身を貫いていたとカッコつけていたのだそうだ。その手、俺も使おうと思っていた。コーラ好きなところもまるで俺である。

俺の晩年はどうなるのだろうか。。。
まあ悲惨だろうな。

 

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

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  • 作者: 中野 晴行
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/02
  • メディア: 単行本



完全復刻版 新寶島 豪華限定版

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  • 作者: 酒井 七馬
  • 出版社/メーカー: 小学館クリエィティブ
  • 発売日: 2009/02
  • メディア: 単行本



ぼくはマンガ家 (立東舎文庫)

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  • 作者: 手塚 治虫
  • 出版社/メーカー: 立東舎
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  • メディア: 文庫


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