書店のか細い導線から購入に至った三島芳治「児玉まりあ文学集成」 [注目作品]
「児玉まりあ文学集成」
巨大書店の新刊コーナーに一冊だけ置いてあった。
出版社はリイド社。
絵がウエダハジメっぽくてちょっと惹かれる。
フリクリのコミカライズがすごく好きだった。
まず文学ということで「響」の影響があって興味があった。
帯と背表紙にあるキャッチコピーは「児玉さんはまるで詩のように改行の多い話し方をするー」。ネームに特徴がある西尾維新の「めだかボックス」を連想した(ちゃんと読んだことはない)。
帯に本文から3コマ抜き出して掲載している。
その中の1コマに「猫はカレーライスのように冷たい」というのがあった。
なるほど、これが文学なのか?と強い興味を惹かれた。
結局この時は買わなかった。
その理由がなんだったのか。
基本は中身が確かめられなかったからだ。
他の2コマがあまりそそられなかったのかもしれない。
中身の三分の一が作者の初期短編だったらどうしようとか考えたのかもしれない。
家に帰れば忘れてしまうかなと思っていたが、覚えていた。
タイトルまで覚えてないので、「文学少女 マンガ」で画像検索したら、少し下の方で見つけた。かぼそい導線だった。アマゾンで注文。思いの外早く届いたので早速読んでみたが、思いの外良かった。冷たいカレーライスを味わうように、しょぼしょぼとページを摘んでいる。
こういう漫画は文学のコーナーに並べた方が売れるんではないか。
売れっ子編集者の佐渡島氏も、サッカー漫画はサッカーのコーナーに並べた方が売れるんでは?みたいなことを言っていた。
そんなめんどくさいことをして本がどれほど売れるのかという話かもしれない。
ヴィレッジバンガードとかはやってるけども。
でも本屋も最近は文房具とか一生懸命売り出しちゃったりして、いずれヴィレバン化するしかないのかもしれない。
一介の書店の店員がなんとかできる問題でもない。
お金持ってるオーナー達がどうするかという話だ。
自分は身を捨ててどうこうしようとかは別にないが、書店が今後どうなっていくのかというのは注視していきたい。
今回のこの記事、書き終えてからヴィレッジバンガードで「児玉まりあ」のコラボ企画やってることを知った。すげえ偶然。
本屋の未来はヴィレバンなのか。
ちなみにこの漫画、ウェブコミックだそうだ。
そんなことも今知った。
興味ある人は読んでいただきたい。
巨大書店の新刊コーナーに一冊だけ置いてあった。
出版社はリイド社。
絵がウエダハジメっぽくてちょっと惹かれる。
フリクリのコミカライズがすごく好きだった。
まず文学ということで「響」の影響があって興味があった。
帯と背表紙にあるキャッチコピーは「児玉さんはまるで詩のように改行の多い話し方をするー」。ネームに特徴がある西尾維新の「めだかボックス」を連想した(ちゃんと読んだことはない)。
帯に本文から3コマ抜き出して掲載している。
その中の1コマに「猫はカレーライスのように冷たい」というのがあった。
なるほど、これが文学なのか?と強い興味を惹かれた。
結局この時は買わなかった。
その理由がなんだったのか。
基本は中身が確かめられなかったからだ。
他の2コマがあまりそそられなかったのかもしれない。
中身の三分の一が作者の初期短編だったらどうしようとか考えたのかもしれない。
家に帰れば忘れてしまうかなと思っていたが、覚えていた。
タイトルまで覚えてないので、「文学少女 マンガ」で画像検索したら、少し下の方で見つけた。かぼそい導線だった。アマゾンで注文。思いの外早く届いたので早速読んでみたが、思いの外良かった。冷たいカレーライスを味わうように、しょぼしょぼとページを摘んでいる。
こういう漫画は文学のコーナーに並べた方が売れるんではないか。
売れっ子編集者の佐渡島氏も、サッカー漫画はサッカーのコーナーに並べた方が売れるんでは?みたいなことを言っていた。
そんなめんどくさいことをして本がどれほど売れるのかという話かもしれない。
ヴィレッジバンガードとかはやってるけども。
でも本屋も最近は文房具とか一生懸命売り出しちゃったりして、いずれヴィレバン化するしかないのかもしれない。
一介の書店の店員がなんとかできる問題でもない。
お金持ってるオーナー達がどうするかという話だ。
自分は身を捨ててどうこうしようとかは別にないが、書店が今後どうなっていくのかというのは注視していきたい。
今回のこの記事、書き終えてからヴィレッジバンガードで「児玉まりあ」のコラボ企画やってることを知った。すげえ偶然。
本屋の未来はヴィレバンなのか。
ちなみにこの漫画、ウェブコミックだそうだ。
そんなことも今知った。
興味ある人は読んでいただきたい。
タグ:児玉まりあ文学集成
活字の本はできるのに漫画はなぜ立ち読みできないのか。それは潜在的な差別心、意識の高さが原因だった [心に残る1コマ]
活字の本は立ち読みできるのに、漫画は出来ない。
なぜなのか?
まず売れないものと売れるものという違いがある。
(土田世紀「編集王」5巻より)
漫画は売れるので、読者層が広い。
立ち読みできると、こぎたない子供や、うすぎたない大きいお兄さんが本を汚すので商品が売り物にならなくなる。
活字の本は売れないから立ち読みする人が少なく、読む人の意識が高いので本が汚れない。
だから立ち読みOK。
…とまあ、究極的に言うと、こういう理論だと思われる。
これが「本が汚れるから立ち読み禁止理論」だ。
ただ、本屋の本は基本借り物であり、売れなくなるほど汚れた本は取次につっかえせばいいだけのはずだ。
コンビニでバイトしたことがあるが、返本のハードルがとてつもなく低くて驚いた。
鈴木みその「オールナイトライブ」によれば、輸送や陳列の際の破損による返品は最初から見込んでいるという。だから本が売り物にならなくなっても、本屋自体にダメージは無いはずだ。
「1冊2冊と細かく戻ってきますから、それをまとめて積んであります。」
「100%売れる本なんてないんですよ。例えば雑誌の場合、本をしばった時に一番上と下の2冊はヒモが食いこんで売りモノにならない。7割くらいがペイラインですから8割売れればばんばんざい」
だから「本が汚れるから立ち読み禁止理論」は間違いだということになる。
返本することで欠品になって機会損失になることを嫌がっているということなのだろうか。返品に手数料をとる契約になっている場合もあるらしい。
続いて「客層が悪くなるから立ち読みを禁止する理論」について考えてみたい。
立ち読みフリーダムなブックオフにいくと、必ず怪しい感じの人に遭遇する。なんかブツブツ言ってたり、体臭がきつかったり。正直、本屋に比べると客層は悪いと思う。
前述したコンビニバイト時代の経験だが、その時に異常に立ち読みを嫌う店員というのも何人か遭遇した。立ち読み禁止は理屈ではなく、性分でやっているという可能性もある。
さらに「そもそも立ち読みをさせたところで売り上げに大差が無い理論」がある。
子供の頃、立ち読みOKを謳う本屋が近所にできた。
しかし街の本屋がなくなっていく過程で、自然と淘汰されてしまった。
立ち読みは書店が生き残るほどの強みにならないのかもしれない。
むしろ、傷んだ本の返本作業が増えて煩わしいだけなのかもしれない。
コンビニは窓側に雑誌を並べて立ち読みさせて客引きの効果を狙っていたというのはよく言われていることだが、近年登場した次世代型と言われる店舗はそれを廃してしまった。この次世代型店舗がどれぐらい成果をあげ、今後これが普及していくのかは分からないが、立ち読み客寄せ効果が疑問視されているのは間違いない。
立ち読みはヘビーユーザーを育てる理論があるが、これも疑問なのかもしれない。ヘビーユーザーは絶対数が少なく、マニアが支持したものは必ず潰れるという理論は「まんが道」の時代からある。ライトユーザーを取り込まなければ商売は成功しないのだ。
立ち読み不可。
それは商売として正しいのかもしれない。
では出版社は、
本屋1件につき、1冊2冊しか入荷しないようなマイナーな単行本をどうやって売るつもりなのか。
マイナーな漫画までシュリンクする意味はあるのだろうか。
売れない漫画は、売れない活字の本とほぼ同義な気がする。
こぎたない子供と、うす汚ない大きいお兄さんが手に取りそうも無い、そもそも誰も興味を持ってないし内容もわからない漫画を、立ち読みなしにどうやって買わせるつもりなのか。
やはりジャケ買いですか。
実際にジャケ買いってどれぐらいの売り上げを見込めるものなんですかね。
冒頭の編集王の一コマからふと思ったことがある。
「ヘアヌード写真集とマンガは、書店の救世主」。
つまり、外野という言い方もできるのだ。
こち亀に「気取った本屋は漫画を置かない」というセリフがあった。
実際、東京に行ってそういう本屋に遭遇したことがある。
今もあるのかわからないが。
書店は活字の本を売る、活字の本の良さを啓蒙するための場所で、漫画はついでに売っているだけなのかもしれない。
レジ近くで併売している文房具とか、ポケモンのトレーディングカードとかと一緒。だから活字の本は立ち読みできて、漫画はできない。客層が悪くなるから禁止理論もこれに当てはまってしまう。
そう思っている書店員は今時少ないだろうけども、
本屋という商売のフォーマットに黎明期からそういう意識が潜在的に組み込まれているのではなかろうかと思う。結構当たってるのではないかなあ。
かつて活字の本を売ってでた利益で、漫画が作られている時代があったそうだ。
編集王13巻には、そういう文脈で蔑まれる描写がある。
それが今は逆である。
だがしかし、書店はいまだにそういう意識でいるのかもしれないということだ。
なぜなのか?
まず売れないものと売れるものという違いがある。
(土田世紀「編集王」5巻より)
漫画は売れるので、読者層が広い。
立ち読みできると、こぎたない子供や、うすぎたない大きいお兄さんが本を汚すので商品が売り物にならなくなる。
活字の本は売れないから立ち読みする人が少なく、読む人の意識が高いので本が汚れない。
だから立ち読みOK。
…とまあ、究極的に言うと、こういう理論だと思われる。
これが「本が汚れるから立ち読み禁止理論」だ。
ただ、本屋の本は基本借り物であり、売れなくなるほど汚れた本は取次につっかえせばいいだけのはずだ。
コンビニでバイトしたことがあるが、返本のハードルがとてつもなく低くて驚いた。
鈴木みその「オールナイトライブ」によれば、輸送や陳列の際の破損による返品は最初から見込んでいるという。だから本が売り物にならなくなっても、本屋自体にダメージは無いはずだ。
「1冊2冊と細かく戻ってきますから、それをまとめて積んであります。」
「100%売れる本なんてないんですよ。例えば雑誌の場合、本をしばった時に一番上と下の2冊はヒモが食いこんで売りモノにならない。7割くらいがペイラインですから8割売れればばんばんざい」
だから「本が汚れるから立ち読み禁止理論」は間違いだということになる。
返本することで欠品になって機会損失になることを嫌がっているということなのだろうか。返品に手数料をとる契約になっている場合もあるらしい。
続いて「客層が悪くなるから立ち読みを禁止する理論」について考えてみたい。
立ち読みフリーダムなブックオフにいくと、必ず怪しい感じの人に遭遇する。なんかブツブツ言ってたり、体臭がきつかったり。正直、本屋に比べると客層は悪いと思う。
前述したコンビニバイト時代の経験だが、その時に異常に立ち読みを嫌う店員というのも何人か遭遇した。立ち読み禁止は理屈ではなく、性分でやっているという可能性もある。
さらに「そもそも立ち読みをさせたところで売り上げに大差が無い理論」がある。
子供の頃、立ち読みOKを謳う本屋が近所にできた。
しかし街の本屋がなくなっていく過程で、自然と淘汰されてしまった。
立ち読みは書店が生き残るほどの強みにならないのかもしれない。
むしろ、傷んだ本の返本作業が増えて煩わしいだけなのかもしれない。
コンビニは窓側に雑誌を並べて立ち読みさせて客引きの効果を狙っていたというのはよく言われていることだが、近年登場した次世代型と言われる店舗はそれを廃してしまった。この次世代型店舗がどれぐらい成果をあげ、今後これが普及していくのかは分からないが、立ち読み客寄せ効果が疑問視されているのは間違いない。
立ち読みはヘビーユーザーを育てる理論があるが、これも疑問なのかもしれない。ヘビーユーザーは絶対数が少なく、マニアが支持したものは必ず潰れるという理論は「まんが道」の時代からある。ライトユーザーを取り込まなければ商売は成功しないのだ。
立ち読み不可。
それは商売として正しいのかもしれない。
では出版社は、
本屋1件につき、1冊2冊しか入荷しないようなマイナーな単行本をどうやって売るつもりなのか。
マイナーな漫画までシュリンクする意味はあるのだろうか。
売れない漫画は、売れない活字の本とほぼ同義な気がする。
こぎたない子供と、うす汚ない大きいお兄さんが手に取りそうも無い、そもそも誰も興味を持ってないし内容もわからない漫画を、立ち読みなしにどうやって買わせるつもりなのか。
やはりジャケ買いですか。
実際にジャケ買いってどれぐらいの売り上げを見込めるものなんですかね。
冒頭の編集王の一コマからふと思ったことがある。
「ヘアヌード写真集とマンガは、書店の救世主」。
つまり、外野という言い方もできるのだ。
こち亀に「気取った本屋は漫画を置かない」というセリフがあった。
実際、東京に行ってそういう本屋に遭遇したことがある。
今もあるのかわからないが。
書店は活字の本を売る、活字の本の良さを啓蒙するための場所で、漫画はついでに売っているだけなのかもしれない。
レジ近くで併売している文房具とか、ポケモンのトレーディングカードとかと一緒。だから活字の本は立ち読みできて、漫画はできない。客層が悪くなるから禁止理論もこれに当てはまってしまう。
そう思っている書店員は今時少ないだろうけども、
本屋という商売のフォーマットに黎明期からそういう意識が潜在的に組み込まれているのではなかろうかと思う。結構当たってるのではないかなあ。
かつて活字の本を売ってでた利益で、漫画が作られている時代があったそうだ。
編集王13巻には、そういう文脈で蔑まれる描写がある。
それが今は逆である。
だがしかし、書店はいまだにそういう意識でいるのかもしれないということだ。
マスターピース・オブ・オールナイトライブ コミック 1-4巻セット (BEAM COMIX)
- 作者: 鈴木 みそ
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2009/03/25
- メディア: コミック
タグ:立ち読み
40万部突破の山田近鉄「あせとせっけん」が面白いのに、俺が買わないでいるワケ [この人気漫画が面白くない]
本屋で近年よく見かけるようになったお試し用の小冊子。
視覚的に見えやすい、売る側の努力である。
しかし、シュリンクは永久に不滅です!という決意表明にもみえる。
そのかぼそい導線を手に取ってみた中に、強く興味を惹かれる一冊があった。
「あせとせっけん」。
やり手のイケメン香料デザイナーが、内気で巨乳なメガネ処女の体臭を嗅ぎまくるという漫画。小冊子の最後では、痴漢に襲われているところを助け、そのままホテルに連れ込んでやってしまうという結末だった。
女の子のいい匂いというのがある。なんであんないい匂いがするのか。最近、これを研究して解明したとかいうニュースもあった。あれを嗅ぎまくれたら楽しいだろうなというのを気づかされたというのが、この漫画に惹かれた理由の一つ。
もう一つの理由は絵がいい。
すごくいい。
安心する絵だ。
現在発売されている単行本は二冊。
買えばいいじゃないかと思うだろう。
しかし俺はさんざん迷って断念した。
なぜか?
この内容でどれだけ続けられるのかというのが疑問だった。
1巻で終わっていたら即購入していたのかもしれない。
今気がついたのだが、買うからには完結まで付き合いたい。
そう確信できない漫画は家に置いておきたくないし、途中で買わなくなった漫画も家に置いておきたくないのである。
「あせとせっけん」はラブコメで、羞恥プレイが1巻における漫画の核だ。
連載が長期化すると、それだけで保たせられるかどうが疑問だ。
世界観、特に香料デザイナーのデティールに粗も出てきそうな気がする。
そもそも俺はあまりラブコメが好きではないのかもしれない。
どんなラブコメを所有してるのか振り返ってみる。
「電車男(原秀則版)」は後半はイチャラブばかりで内容があまり無いし、「八神くんの家庭の事情」は少女の頃から老けない実母という強力なコンセプトだが通して読むと出オチ感が半端ない。「富士山さんは思春期」は日常系のラブコメでフェチ感に溢れていて素晴らしいのだが、読み返したことがない。
「あせとせっけん」から連想する作品といえば、北崎拓の「さくらんぼシンドローム」がある。
同じく化粧品メーカーに勤める男女が主人公。ラブコメというよりストーリー漫画で、男女の機微をリアルに描いている(ような気がする)のがウリだ。素人の俺が満足するぐらいには業界のリアリティのレベルがある。結構俺の人格形成に影響を与えた漫画でもある。
結局のところ、お試し用小冊子1冊では判別がつかない漫画もあるということなのだ。
丸ごと読ませろ!立ち読みさせろ!ということで、前回のシュリンク撤廃希望の話につながってくる。まあ全部読んだところで買わないかもしれないんだけど。漫画喫茶に行け?置いてあるかなー。。。
話は変わるが、
いつも本屋で手に取ったものの、内容がわからないので「あとで検索しよう」と思って棚に戻してそのまま忘れてしまう漫画がある。今回は記事にしようと思ってたので、なんとなく覚えていたタイトルを検索して調べてみた。
「甲冑武闘」
実際に甲冑をつけて戦う格闘技イベントがあると聞いたことがある。そんな漫画かなと思ったが、鎧騎士の戦いについて考証した漫画っぽい。なんとなくそうかなと思っていたが、以前もお試しを何冊か読んで結局買わなかった作家の作品だった。イラストレーター的な作画なので表紙には強い吸引力があるが、ちょっと本編の画風が重い。今回も見送り。
「児玉まりあ文学集成」
「響」で少し文学に興味を持った。文学の要素を端的に表現したと思われるサンプル4ページぐらいを読んで、すぐ購入を決めた。
経営学者のドラッカーは「顧客は自分が何を欲しがっているのか自分ではわかっていない」とかなんとか言っていた。俺もひょいひょい無作為に漫画を買っているようで、面白いと思いつつも購入を迷い続けている漫画もある。その辺に意識的になったことがあまりなかったので、今回赤裸々に考えてみた。
まあ死んでもビニールは剥がさん!という業界の態度もそれはそれでいいとも思う。
この件についてはあともう1回考えてみたい。
タグ:立ち読み
表紙に惹かれて手に取ってみたが、中身がわからないので後で検索しようと思って書棚に戻してそのまま忘れてしまう話 [心に残る1コマ]
本屋は導線がなっとらん!
以前、売れっ子編集者の佐渡島氏が、本屋の導線を見直したいとか語っていたが、もっと単純なことのような気がする。死ぬほど言われてることかもしれないが、とりあえず書く。
こないだ本屋に行って新刊のコーナーを見ていたら、一冊だけカバーのかかってない本があった。手塚プロにいた人が垣間見た、手塚治虫の素のリアクションの数々を描いた「手塚治虫アシスタントの食卓」という漫画。パラパラめくってみたら面白かった。すでに立ち読みされた形跡(注文カード)があったが購入してしまった。
他にも表紙から気になる本は何冊かあったけど、買ったのは中身が読めたこの一冊だけ。立ち読みできて品質を確認できたのが大きな購入動機になった。表紙から興味を惹かれたが購入に至らなかった本は?毎度「後で検索しよう」で、そのまま忘れてしまい、別に後悔もしない。
表紙に惹かれる →購入!…そんなやつは少ないだろ。。。
↓
中身を確かめる →ネットで?面倒。時間がかかる
↓
購入!
こんな単純な導線すら書店はできていないのだ。
一方アマゾンにはサンプルページからそのまま購入画面に行くという導線ができている。というか普通商売を考えたらそうして当たり前だ。
漫画村という違法ダウンロードサイトが流行ったときに、「タダで漫画を読むのは外食して金を払わないのと一緒」とツイートして物議を醸した漫画家がいた。もちろん漫画村を擁護するわけではないが、俺が子供の頃は立ち読みできて当たり前だった。タダだったのだ子供の頃は、時に座り込み読みふけった。何千冊もある漫画が全て蔵書だったようなものだった。最近この話を若い人にしたら驚かれた。それがある時期からシュリンクするのが一般的になった。物議を醸した漫画家も、そういう昔を知らない世代だったのだろう。
(シュリンクが一般的になった1994年ごろの漫画)
そういう死ぬほど漫画を読んだ立ち読み世代が漫画業界の隆盛を支えたような気がする。いつしか漫画は雑誌で立ち読みした(買えよ)情報をもとに単行本を買わせるスタイルとなった。今は雑誌立ち読み禁止のところも多い。先細りになって当然だ。有名な作品はいいが、マイナーな作品はジャケ買いさせるほどの動機を与えられなければ誰も手に取るはずがない。口コミとか宣伝だけが頼りだ。
すでにやってるのかもしれないが、QRコードを掲示して、サンプルページに飛ばすような仕組みぐらい作って当然だと思うのだが。。。そもそも不思議なんだけど、なぜ表紙だけで買わせられると思うのか。せめてカバーに「こんな漫画です」という感じで内容を紹介させるべきというのはQRコード登場以前から、ずっと思っていた。
出版社の数少ない営業努力として見られるものの中に、試し読みの小冊子というやつがある。
現在これですごく購入を迷う出来事があったので次回はそのことについて書く。
文句なのか愚痴なのか、だだ単に俺が優柔不断なのか。
続く。
タグ:立ち読み
総北連覇!決着した弱虫ペダル2年目を総括する [注目作品]
2年目のインターハイ三日目がついに決着。
最後競り合ったのは昨年通り小野田坂道(総北)と真波山岳(箱学)の二人。
またしても小野田坂道が僅差の勝負を制し、弱虫ペダルの2年目が終了した。
弱虫ペダルに詳しい事情通のAさんに聞いてみた。
「意外とアッサリと小野田がきめましたね。巻頭カラーまで引き延ばすかと思っていましたが。」
物言いがついて、箱学の逆転勝利とかはないんでしょうか?
「自分もそれを考えていたんですけど、巻頭カラーで逆転負けって絵にならないでしょう。。。」
それもそうですね。
2年目を総括してどんな感想をお持ちでしょう。
「まあ2年目です。ネットにはマンネリという不満も多いみたいですが、1年目より落ちて当たり前なのに、非常に高いテンションを維持していたと自分は感じました。すごい作者の力量を感じます。」
特にどの辺が?
「キャラを再生させるのが上手いんですね。昨年の3年生を離脱させて作品が成り立つのかっていうぐらい好キャラ揃いでしたけど、最初に立ちふさがる雑魚的存在だった手嶋&青八木を別人かってぐらいにまで強化してドラマを盛り上げました。特に手嶋は凡人っぽさが強調されていて、それでもトップ選手たちとフルに頭脳を活用させて渡り合う姿が非常に良かったですねえ。。。しかも時には後輩から主将としての資質を疑われたりしながら良く走りぬきました(しみじみ)」
2年目は杉元もお気に入りだったとか?
「杉元はスネ夫みたいな知ったかぶりなキャラだったんですけどね。2年目はひたむきな姿を見せて、レギュラー争いに参加していました。惜しくも敗れましたけど。3年目は枠が2つ空きますが、今度こそレギュラー入りできるのかな?あまり絵にならないような気もしますけど(笑)。」
3年目もあるんでしょうか?
「まだ面白そうな1年生もいますし、3年目も期待しています。悪役である御堂筋くんは昨年はもうこれで死ぬんじゃないかぐらいのテンションまで行きましたけど、2年目も健在でした。ちょっと脱落が早かったような気がしますけど、相変わらずの怖さがありました。流石に今年の脱落シーンは結構アッサリ目に感じてしまいました。新たな悪役が必要かなと思います。」
3年目も小野田vs真波でしょうか?
「昨年は真波の最終兵器、坂で重いペダルにしていくという驚愕の展開に脳みそをブチ抜かれました。これぞ漫画って感じです。今年は新ネタがなかったのでちょっと肩透かしではありましたね。というか、ジャージはちゃんと着た方が空気抵抗が少なくなって早くなりそうな気がしますけど。。。そこが僅差の敗因かもしれませんね。」
弱虫ペダル、3年目にも期待だ。
キレてないですよ。間柴世界へ!マロンの策略を粉砕し、勝利確定!! [一歩]
はじめの一歩、間柴vs伊賀。
青木日本王者への道というストーリーのラスボスとして登場した伊賀が、突如間柴との対戦が決定し、動向に注目が集まっていた。伊賀のセコンド、マロン栗田の狙いは間柴の気性の荒さを見越した反則勝ち。ところが今週発売の少年マガジンにて、一時はもう爆発するしかないと思われていた間柴が、まさかの大人の態度を見せる展開となった。
事情通のAさんに話を聞いてみた。
「いやあ…、いいっすねえ。正直ちょっとウルっときてしまいました。」
Aさんは試合前から間柴の反則負けも予測していましたが、やはり伊賀サイドは反則負けを狙っていました。それを跳ね返すハートウォーミングな展開となりました。
「相手の狙いが分かってもブチギレようとする間柴が良かったですね。セコンドが手を尽くしても止めようとしない。それが地獄会の声援で思いとどまるわけですよ。ベタかもしれないですけど、良かったですねえ。。。(しみじみ)まあ格下は格下なんで、きっちり横綱相撲で勝てる相手ですからね。」
間柴は利確と考えてよいのでしょうか?
そうなると青木のチャンピオンロードが。。。
「問題ないでしょうね。伊賀も不気味なところ見せてますから、今回の一戦でB級ラスボスとしての風格を感じさせました。あまりに強すぎる相手に挑戦するのも漫画っぽいですし、伊賀ぐらいなら勝てるかもしれないし、負けるかもしれないと思わされます。却ってリアリティ増すんじゃないでしょうか。マロンの策略も面白かったし、次にどんな作戦を考えてくるのか期待できます。」
伊賀vs青木はどんな試合になるのでしょうか。
「青木もアイディアマンですからね。マロンとの知略対決になるでしょう。前回、青木はタイトル挑戦で『よそ見』を編み出しましたが、アレはイマイチでした。」
イマイチでしたか。
「輪島功一が実際に使った技として有名ですからね。カエルパンチを編み出したのも輪島で、青木もそれを知ってましたけど、『よそ見』は知らずに独自に思いつくという矛盾した構成で、当時結構しらけました。それでやたらと引っ張るし。」
『よそ見』も輪島選手だったんですね。
「TVのバラエティ番組からの知識ですけどね。他にも調印式の後のパーティーで、相手の前で暴飲暴食して減量失敗を誘うなんてこともやってました。まさか伊賀戦で使うことはないと思いますが。。。輪島功一の本を読めば、今後のヒントが見つかるかもしれませんね。ちなみにカエル跳びは車田正美の『リングにかけろ』で知りました。」
墨谷二中再始動!! 40年ぶり「キャプテン2」グランドジャンプ5月号で連載開始! [注目作品]
キャプテン2を読んだ。
言わずと知れた、世代を超えて長年愛される名作野球漫画の続編。
こないだ引退したイチローも愛読していた。
主人公が代替わりしていくとこなどは、のちにジョジョに受け継がれたようにも思える。ジャンプ漫画だし。
うーむ、面白い。
そしてこう来たか。
まさか「プレイボール」のあの人がこっちに来るとは。
ということは、シゴキの今野の再登場もあるかも。(あるかーい)
ところで、現代では意味が通っているが、40年前には一般的でなかった英単語が色々出てくる。
その辺の考証はややこしそうだ。
何しろ、当時はまだコミュニケーションという言葉ですら一般的ではなかったのだ。
画像は過去にこのブログで取り上げた、オリジナルの一コマだが、この辺を意識しているのかと思うと、なんかジワジワくる。
そういえばこの相木さん。
墨谷から早稲田に行ったインテリだということが明らかになった。
近藤の家庭教師になって40年後のトレーニング指導を先取りしたようなアドバイザーみたいな立ち位置で今後活躍しそうな流れだが、この人キレるとめっちゃ怖いんだよなそういえば。
色んな意味でキレ者だ。
40年の時空を超えて最新の知識を身につけて蘇った相木さん。
コンプライアンス的なことは身につけているのだろうか。
今後に期待だ!
そしてサンデーの「メジャー2nd」も連載再開。
満田拓也の病状は思ったより悪かったみたいだが、呼吸器系の故障だったらしい。
今後は体調を見ながら執筆を続けていくという。
はじめの一歩のように休載が増えそうで残念だがしょうがない。
グランドジャンプむちゃ 2019年 5/30 号 [雑誌]: グランドジャンプ 増刊
- 作者:
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2019/04/24
- メディア: 雑誌
キャプテン 文庫版 コミック 全15巻完結セット (集英社文庫―コミック版)
- 作者: ちば あきお
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/02/01
- メディア: 文庫
まるで質量保存の法則だ?無くなった差別はどこに行くのか問題 [心に残る1コマ]
部落差別を知るキッカケになったゴーマニズム宣言差別論スペシャルに印象的なオチがある。
「人の差別心が完全になくなることはないって先生ぴゃん言うよね。」
「うむ、多分な。」
「今の少数者が闘って勝ちに回ったら、だれが差別されるんだろう?」
「うーむ…、ハゲを差別しろ!!」
このあと更に続くのだが、そこは実際に読んでもらうとして、素晴らしいブラックジョークである。己を差別心のある等身大の人間であるとすることによって、語ってきた差別反対の話を単純な理想論にしすぎない効果、読者に自戒させる効果をもたらしている。
しかしこのオチを、取材に協力した人権団体が問題とした。協議の結果、ページを縮小して人権団体の見解も載せるという折衷案に落ち着いたが、作者の小林氏は大いに不満を募らせている。引用した画像が荒いのは、そんな理由による。
ところでこの「差別は無くならない。ひとつの差別がなくなったら、次はどこかに差別が行く。」という問題。最近、そのどこに行くのかというのが掴めた気がする出来事があった。
ツイッターで炎上しているっぽい漫画があって、試しに読んでみた。全4ページ。外国の学校に通う子供の文化トラブルを日本人の母が描いている。母親の心配をよそに、先生が異文化に理解を示していることから良い話で終わるのだが、最後のページで炎上してる謎が解けた。ちょっと左寄りのニュアンスがあったのである。怖いので引用はしない。
以前、「俺は創価学会に入って変わったよ!」のオチの一言で、「なかなか読ませる漫画だけど何の漫画なんだ?」と思っていたのがガラガラと崩れる体験をしたことがあったけれども、それと通じるものがあった。
創価学会の漫画はなかなか素晴らしい叙述トリックだと思ったのだけれども、ツイッターの漫画は問題のページがなくても成立するし、ちょっと勿体無いと思ったので、ちょっとその辺を本人に突っ込んでみた。すると段々と発言が攻撃的になり、その辺のニュアンスはその漫画を描く上で本人にとっては必須だったということがわかった。
俺はその漫画を「世界のみんなが仲良く」っていうオチになると思って読んでいたのだけど、作者が一番伝えたいことはヘイトスピーチ反対ということだった。俺はこの「ヘイトスピーチ」という言葉は都合良く乱用されているので嫌いなのである。大人が醜い罵り合いをする時に使う言葉だというイメージがある。何しろヘイトスピーチ反対と言いながら、それに悪口を付け加えるのだから。
漫画の作者も「ヘイトスピーチをする人は常識がない」と矛盾するオーディエンスに同意のリプライを送っている。「私は差別と黒人が嫌いだ」みたいな話だ。このオーディエンスのリプライは引っ掛けだったのかもしれないが本人は気づいていない。悪人の自白というやつだ。
この人に外国人差別はないかもしれない。
本人も自分は差別心がない人間だと思っているし、世間一般も多分そう捉えるだろう。
しかし差別は無くならないし、差別心のない人間などあり得ないという理論に照らし合わせるとどうなるのか。消えるはずのない差別心はどこに行ったのか?
差別は自分と考え方の違う人へしっかり向けられていることがわかる。やはり差別心は無くならないのだ。この構造に気づいたとき、ちょっと感動した。質量保存の法則みたいだ?
まあ、差別問題と戦う人は激しさがあってもいいかもしらん。
だが、自分の差別心が見えにくくなっているせいで、行き過ぎになることもあるだろう。ママ友の間では浮いてる人になっていてもおかしくない。漫画に出てきた学校の先生が異文化を認めなかったらこの人はどうしていたのだろうという疑問もある。異文化に理解を示したのも、その辺が影響しているという読み方もできてしまう。だから問題の4P目はつくづく蛇足だと思うのだ。
4P目を眺めながら、最小限どこを削れば成立するかなということも考えた。
「外国人は出て行けー」は誰もが差別発言だと思うから良いとして、「移民受け入れ反対(要約)」は削った方がいいと思う。溺れてる人は助けるべきだが、どこで船が沈むかは当然見極めなければならない。必ず議論があるべきだが、これをヘイトスピーチとするのは反対意見を封殺したいだけの典型的な言葉の乱用。自らスローガンの価値を貶めている。
冒頭で引用した、長年愛読しているゴーマニズム宣言だが、スタッフの一人が安倍総理をゲリピーと連呼して大いに失望したことがある。その上、それを非難されると「釣りもわからんのか!」とまんまブーメランになるような言い逃れ。コミュ障っぽい時浦だからしょうがないなとも思うが心底軽蔑した。身近にいる人がこの程度の意識なのかと。その時浦が結婚していたことを最近知って驚いた(話が逸れた)。
何が言いたいのかというと、何かしら批判するならちゃんと理論的にやらないと、批判する側が安くみられて、その批判も容易に聞きれてもらえなくなるということである。サッカーの試合結果や、芸能人の逮捕や改元が政権批判に強引にこじつけられて笑われることがあったが、批判の質を自ら落とすことで、純粋な議論の妨げになる。これが俺は嫌なのである。
人は必ず何かを差別している。
それは本人が差別しても許されると思っているものである。
自分の差別心がどこに設定されているのか省みるのも良いかもしれない。
そのことに意識的になっていないと暴走する。
差別は無くならない。
「人の差別心が完全になくなることはないって先生ぴゃん言うよね。」
「うむ、多分な。」
「今の少数者が闘って勝ちに回ったら、だれが差別されるんだろう?」
「うーむ…、ハゲを差別しろ!!」
このあと更に続くのだが、そこは実際に読んでもらうとして、素晴らしいブラックジョークである。己を差別心のある等身大の人間であるとすることによって、語ってきた差別反対の話を単純な理想論にしすぎない効果、読者に自戒させる効果をもたらしている。
しかしこのオチを、取材に協力した人権団体が問題とした。協議の結果、ページを縮小して人権団体の見解も載せるという折衷案に落ち着いたが、作者の小林氏は大いに不満を募らせている。引用した画像が荒いのは、そんな理由による。
ところでこの「差別は無くならない。ひとつの差別がなくなったら、次はどこかに差別が行く。」という問題。最近、そのどこに行くのかというのが掴めた気がする出来事があった。
ツイッターで炎上しているっぽい漫画があって、試しに読んでみた。全4ページ。外国の学校に通う子供の文化トラブルを日本人の母が描いている。母親の心配をよそに、先生が異文化に理解を示していることから良い話で終わるのだが、最後のページで炎上してる謎が解けた。ちょっと左寄りのニュアンスがあったのである。怖いので引用はしない。
以前、「俺は創価学会に入って変わったよ!」のオチの一言で、「なかなか読ませる漫画だけど何の漫画なんだ?」と思っていたのがガラガラと崩れる体験をしたことがあったけれども、それと通じるものがあった。
創価学会の漫画はなかなか素晴らしい叙述トリックだと思ったのだけれども、ツイッターの漫画は問題のページがなくても成立するし、ちょっと勿体無いと思ったので、ちょっとその辺を本人に突っ込んでみた。すると段々と発言が攻撃的になり、その辺のニュアンスはその漫画を描く上で本人にとっては必須だったということがわかった。
俺はその漫画を「世界のみんなが仲良く」っていうオチになると思って読んでいたのだけど、作者が一番伝えたいことはヘイトスピーチ反対ということだった。俺はこの「ヘイトスピーチ」という言葉は都合良く乱用されているので嫌いなのである。大人が醜い罵り合いをする時に使う言葉だというイメージがある。何しろヘイトスピーチ反対と言いながら、それに悪口を付け加えるのだから。
漫画の作者も「ヘイトスピーチをする人は常識がない」と矛盾するオーディエンスに同意のリプライを送っている。「私は差別と黒人が嫌いだ」みたいな話だ。このオーディエンスのリプライは引っ掛けだったのかもしれないが本人は気づいていない。悪人の自白というやつだ。
この人に外国人差別はないかもしれない。
本人も自分は差別心がない人間だと思っているし、世間一般も多分そう捉えるだろう。
しかし差別は無くならないし、差別心のない人間などあり得ないという理論に照らし合わせるとどうなるのか。消えるはずのない差別心はどこに行ったのか?
差別は自分と考え方の違う人へしっかり向けられていることがわかる。やはり差別心は無くならないのだ。この構造に気づいたとき、ちょっと感動した。質量保存の法則みたいだ?
まあ、差別問題と戦う人は激しさがあってもいいかもしらん。
だが、自分の差別心が見えにくくなっているせいで、行き過ぎになることもあるだろう。ママ友の間では浮いてる人になっていてもおかしくない。漫画に出てきた学校の先生が異文化を認めなかったらこの人はどうしていたのだろうという疑問もある。異文化に理解を示したのも、その辺が影響しているという読み方もできてしまう。だから問題の4P目はつくづく蛇足だと思うのだ。
4P目を眺めながら、最小限どこを削れば成立するかなということも考えた。
「外国人は出て行けー」は誰もが差別発言だと思うから良いとして、「移民受け入れ反対(要約)」は削った方がいいと思う。溺れてる人は助けるべきだが、どこで船が沈むかは当然見極めなければならない。必ず議論があるべきだが、これをヘイトスピーチとするのは反対意見を封殺したいだけの典型的な言葉の乱用。自らスローガンの価値を貶めている。
冒頭で引用した、長年愛読しているゴーマニズム宣言だが、スタッフの一人が安倍総理をゲリピーと連呼して大いに失望したことがある。その上、それを非難されると「釣りもわからんのか!」とまんまブーメランになるような言い逃れ。コミュ障っぽい時浦だからしょうがないなとも思うが心底軽蔑した。身近にいる人がこの程度の意識なのかと。その時浦が結婚していたことを最近知って驚いた(話が逸れた)。
何が言いたいのかというと、何かしら批判するならちゃんと理論的にやらないと、批判する側が安くみられて、その批判も容易に聞きれてもらえなくなるということである。サッカーの試合結果や、芸能人の逮捕や改元が政権批判に強引にこじつけられて笑われることがあったが、批判の質を自ら落とすことで、純粋な議論の妨げになる。これが俺は嫌なのである。
人は必ず何かを差別している。
それは本人が差別しても許されると思っているものである。
自分の差別心がどこに設定されているのか省みるのも良いかもしれない。
そのことに意識的になっていないと暴走する。
差別は無くならない。
ママ友がこわい 子どもが同学年という小さな絶望 (コミックエッセイ)
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / メディアファクトリー
- 発売日: 2015/08/28
- メディア: Kindle版
ATMがお金を飲み込むことはありまぁーす!銀行員が漏らした尊大なATM安全神話 [時事ネタ]
ATMで50万円入金したところ、31万しか計上されず、19万円を機械に飲み込まれてしまったと言うツイートが話題になっているらしい。
※拡散希望
— 留姫ruki (@ruki72740424) 2019年4月20日
先日ATMで50万入金したところ31万しか計算されず、すぐに銀行に連絡して調べてもらったけど
機械にエラーもないので合ってます。
防犯カメラでも手元の紙幣の枚数までは確認できないのでーみたいなかんじで19万返ってこなかった。
↓
これに対して、
>ネットの情報は100%信じないと決めているのであえて書かせて頂きます。 あくまでも一個人の意見ですが、こういう内容を本当に信じて良いものかどうかも一考した方が良いかと思います。 そして、取引履歴と実際のお金を調べればわかる事です。 銀行さんは1円合わないだけでも大問題ですので。
と言う意見があるけども、これね、俺も被害にあったことあったんですよ!
ブログに書こうかなと思ってたんですけども、どう考えても漫画の話に結び付けられないので、まあそのうち日記として書こうかなと思ってたんですけど。ついにきっかけが来たか!って感じです。
でも、今から一年ちょっと前の話なんで、肝心なデティールをちょっと忘れてしまっています。
ある日、銀行に入金にいったときのことです。
棒金(硬貨50枚を棒状にラッピングしたもの)が余っていたので、入金の時に使ったわけです。「入金」→「紙幣と硬貨」と入力しますわな。先に硬貨を投入。そのあと紙幣を投入する流れです。
硬貨を入金した際、見たこともないような画面が出ました。
下から返却されたお金をお取りください、みたいな画面です。
「下?」と下を覗き込むと、釣銭返却口みたいなのがある。
長年銀行を利用していますが、そんなのがあるのはその時に初めて知りました。
硬貨がうまく読み取れないときは投入口が再度開いて返金するはずですから。
下の小窓に入っていたお金はなんか中途半端な枚数。
紙幣も、その小銭もまた投入して入金を終えてみれば数百円合わない!
こんなこともあるんだと思ってましたが、後で訴えて調べてもらえばお金が余分にあることはすぐにわかるので、その場で自分の財布から数百円負担して、入金を終えました。
その後にすぐ受付に話をしました。
電話番号を渡して、余剰金があったら返して欲しいと伝えて帰りました。
その1時間か2時間後でしょうか。
銀行から電話がありましたが、業者に連絡して調べてみてもらったところ、計算は一致しており、余剰金は無いとのことでした。
しかも、俺が見た「下の小窓から返却金を受け取ってください」という画面は、本来入金の使用では出てこない画面だということを伝えられ、愕然としました。
自分の入金しようとした額はきちんと計上されているので、別の画面で操作していたということはあり得ません。別の画面で操作していたとしたら、棒金分が不足になるはずです。
防犯カメラを確認すれば、俺の驚いた顔と、しゃがみこんだ姿が映っているはずです。そこに返却口があることも知りませんでしたので幻覚ではありません。ログを調べれば、どういう処理がなされたのかも、明らかになるはずです。
ただ忙しかったのと、たかが数百円の話です。
ATM内の余剰金がないという報告に絶句してしまい、出てきた言葉が「ああそうですか。なら仕方ないですね。」です。
すると電話口の銀行員のオッサンは安心したのか、余計なことを喋りました。
「いやー、<ATM業者>の奴らもね、いつもうちの機械は正確って言って、絶対に非を認めようとしないんですよー!(笑)」
だいたいどういう業界の構造なのかが感じ取れました。
ATMの安全性は神話ぐらいの域にまでなっているのではないでしょうか。
仕事柄、人から預かったお金をよく何十万も入金しに行くんですけど、その辺は信頼関係で自分で確認する訳ではありません。もし不足があれば責任問題になって、どこで間違いがあったのか調べはするのでしょうけども、もしATMが間違えたら?ということは毎度考えます。
1:お金を計算した人
2:入金にいった人
3:ATM
会社が責任を追及するのは2までなんじゃないでしょうか。
まあ本当なら入金に行く人が行く前に確認しとけって話なんですけど、まだ問題になったことがなく、そこの確認を会社がコストとして捉えていませんので、社内ではおそらく誰もやっている人がいません。ATMをマネーカウンターがわりに使っています。勤め先は結構有名な会社ですが、所詮中小企業のゆるさでしょうか。
話がズレましたが、所詮は機械です。
100%正確などということは有り得ないのに、結構無理くりにATM安全神話が作られ、社会が成り立っているという気もします。
冒頭のツイートの反応には、一度無下にされたが後から出てきたと連絡あったとか、時間はかかるが窓口でやってもらったほうがいいとか、逆に多く出てきたなんていうものもあります。
俺の場合の銀行側の態度を見るに、そんなはずはないという尊大な態度を取られるというのがおそらく銀行の一般的な対応だと思います。余剰金がないと言われればそれまでですが、俺の場合はログとカメラを調べれば、おそらく機械の異常があったことぐらいは認めさせることができたはずです。
19万円も飲み込まれた話が本当に真実なのかというのはツイートからでは残念ながら判断できません。いくらなんでも、余剰金を調べてその結果を誤魔化す可能性は少ないと思う。。。というのは銀行を過信しすぎでしょうか。自分も数百円飲み込まれているのに。
どちらが客観的な証拠を示せるかという話になると、この件については銀行の方に分があると思います。
ただ、ATMがお金を飲み込むことはあります。
ありまぁーす!
収益化剥奪!最強のメラ「【ゆっくり歴史解説】黒歴史上人物「藤村新一(ゴッドハンド)」完結編を心待ちにする日々 [心に残る1コマ]
最強のメラさんというユーチューバーの動画が面白い。
ポルポトやマザーテレサの解説動画が衝撃的だった。
最近あげた【ゆっくり歴史解説】黒歴史上人物「藤村新一(ゴッドハンド)」が特にツボで、現在前編、中編まで公開されているが、早く更新されないかなーと毎日チェックを入れている。
ゴッドハンドと聞くと、多くの人はこの藤村新一が起こした事件を連想するだろう。
…と、思ったのだが検索しても最初の方には表示されない。
事件が発覚したのが今から19年前、2000年のことだ。
風化してきているのかもしれない。
この事件、どんな事件だったかというと、すごい石器をガンガン発掘してその世界のスーパースターとなっていたカリスマの発掘したものが、全て捏造だったという事件だ。
このことは当時、美術贋作漫画のツートップとして競い合っていた(かどうかは知らないが)細野不二彦の「ギャラリーフェイク」、里見圭&愛英史の「ゼロ THE MAN OF THE CREATION」でも取り上げられた。
ゼロはスーパージャンプに1991年から2011年まで連載された。ほぼ1話完結で、単行本は全78巻という凄さである。ゴルゴ13の美術版と捉えると分かりやすいと思う、毎回高額な報酬を受け取り、莫大な費用をかけて偽物ではない本物を再現するというコンセプト。
36巻の233話、「旧石器捏造」という話がある。ドイツの考古学者が、藤村新一の事件が発覚したことで、自分にも追求が及ぶのではと危惧することから話が始まる。
真面目で家族愛が強いかったがために、仕事を失うことのプレッシャーから捏造を行ってしまったという話になっている。
ギャラリーフェイクはスピリッツ1992年から2005年まで連載された作品。その後、復活して単行本は現在34巻。巧妙な贋作を作れる美術商の駆け引きを描いた漫画だ。
23巻の3話、「落人たちの宿」という話がある。贋作被害を受けたヤクザから逃亡した先の温泉宿で、捏造事件を起こした学者と出会ってしまう。学者が自殺を考えていることを見抜いた主人公は捏造なんて死ぬほどのことじゃないからおやめなさいと説得する。
どちらも藤村氏に対して同情的である。
ギャラリーフェイクは加藤唐九郎の事件を持ち出して説得を試みているのが面白い。
加藤唐九郎は「美味しんぼ」の唐山陶人のモデルなんだそうだ。海原雄山の師匠である!
加藤は「永仁の壺事件」という贋作事件を起こしたが、事件の真相については生涯語らなかった。しかし陶芸家としての評価は落ちるどころか高まったという。
ちなみにギャラリーフェイクにある、ミケランジェロも捏造やってたという話は「神のごときミケランジェロさん」で読むことができる。
ギャラリーフェイクとゼロ、2つの漫画の事件に対する態度には当時正直首を傾げた。
で、それに対して最強のメラさんの動画は期待に応えるものであった。
というか、おそらくどちらの漫画家もこの動画を先に見ていたら、あんな風には書かなかったのではないかと思える。
トランペットを欲しがってショーウインドウにへばりつく少年に「店主、その小僧にこのトランペットを」「いいんですかいダンナ」(20年後)「おじさんがあの時の!」みたいなホラ話を自身のサクセスストーリーとしてほうぼうで語っていたという。トランペットを買ってあげた考古学者も「そんなことあったら覚えてると思うけど」と首を傾げ、昔から藤村氏を知る人物も、「あいつが考古学好きだななんて聞いたことねえ」と証言していたという。なんか虚言癖の人のようなのだ。
これを書いている最中にも銭湯絵師とか、東大卒のカリスマ起業家とかの作話師の事件が注目を集めている。こういう手合いに私は吐き気がするのである。
動画は、当時の日本の考古学が非常に遅れていたという見解も示している。動画を見ていると、韓国のウリナラファンタジーをバカにできないなとも思えてくる。
で、藤村氏は現在どうしてるのかと思って調べてみると、現在は年金暮らしだそう。事件のせいで家族はめちゃくちゃになり離婚。精神病を患って入院。病気のせいなのか、指を二本、自ら切断したという。。。
…となると、漫画の態度の方が正しかったのかなあという弱気にもなる。
いやでも捏造はダメでしょう。
罪の意識の芽生えづらい人もいるだろうし。
…動画の後編はまだかなあ。
メラさんも、流行りのスパム判定で収益剥奪の目にあい大変そうである。
ポルポトやマザーテレサの解説動画が衝撃的だった。
最近あげた【ゆっくり歴史解説】黒歴史上人物「藤村新一(ゴッドハンド)」が特にツボで、現在前編、中編まで公開されているが、早く更新されないかなーと毎日チェックを入れている。
ゴッドハンドと聞くと、多くの人はこの藤村新一が起こした事件を連想するだろう。
…と、思ったのだが検索しても最初の方には表示されない。
事件が発覚したのが今から19年前、2000年のことだ。
風化してきているのかもしれない。
この事件、どんな事件だったかというと、すごい石器をガンガン発掘してその世界のスーパースターとなっていたカリスマの発掘したものが、全て捏造だったという事件だ。
このことは当時、美術贋作漫画のツートップとして競い合っていた(かどうかは知らないが)細野不二彦の「ギャラリーフェイク」、里見圭&愛英史の「ゼロ THE MAN OF THE CREATION」でも取り上げられた。
ゼロはスーパージャンプに1991年から2011年まで連載された。ほぼ1話完結で、単行本は全78巻という凄さである。ゴルゴ13の美術版と捉えると分かりやすいと思う、毎回高額な報酬を受け取り、莫大な費用をかけて偽物ではない本物を再現するというコンセプト。
36巻の233話、「旧石器捏造」という話がある。ドイツの考古学者が、藤村新一の事件が発覚したことで、自分にも追求が及ぶのではと危惧することから話が始まる。
真面目で家族愛が強いかったがために、仕事を失うことのプレッシャーから捏造を行ってしまったという話になっている。
ギャラリーフェイクはスピリッツ1992年から2005年まで連載された作品。その後、復活して単行本は現在34巻。巧妙な贋作を作れる美術商の駆け引きを描いた漫画だ。
23巻の3話、「落人たちの宿」という話がある。贋作被害を受けたヤクザから逃亡した先の温泉宿で、捏造事件を起こした学者と出会ってしまう。学者が自殺を考えていることを見抜いた主人公は捏造なんて死ぬほどのことじゃないからおやめなさいと説得する。
どちらも藤村氏に対して同情的である。
ギャラリーフェイクは加藤唐九郎の事件を持ち出して説得を試みているのが面白い。
加藤唐九郎は「美味しんぼ」の唐山陶人のモデルなんだそうだ。海原雄山の師匠である!
加藤は「永仁の壺事件」という贋作事件を起こしたが、事件の真相については生涯語らなかった。しかし陶芸家としての評価は落ちるどころか高まったという。
ちなみにギャラリーフェイクにある、ミケランジェロも捏造やってたという話は「神のごときミケランジェロさん」で読むことができる。
ギャラリーフェイクとゼロ、2つの漫画の事件に対する態度には当時正直首を傾げた。
で、それに対して最強のメラさんの動画は期待に応えるものであった。
というか、おそらくどちらの漫画家もこの動画を先に見ていたら、あんな風には書かなかったのではないかと思える。
トランペットを欲しがってショーウインドウにへばりつく少年に「店主、その小僧にこのトランペットを」「いいんですかいダンナ」(20年後)「おじさんがあの時の!」みたいなホラ話を自身のサクセスストーリーとしてほうぼうで語っていたという。トランペットを買ってあげた考古学者も「そんなことあったら覚えてると思うけど」と首を傾げ、昔から藤村氏を知る人物も、「あいつが考古学好きだななんて聞いたことねえ」と証言していたという。なんか虚言癖の人のようなのだ。
これを書いている最中にも銭湯絵師とか、東大卒のカリスマ起業家とかの作話師の事件が注目を集めている。こういう手合いに私は吐き気がするのである。
動画は、当時の日本の考古学が非常に遅れていたという見解も示している。動画を見ていると、韓国のウリナラファンタジーをバカにできないなとも思えてくる。
で、藤村氏は現在どうしてるのかと思って調べてみると、現在は年金暮らしだそう。事件のせいで家族はめちゃくちゃになり離婚。精神病を患って入院。病気のせいなのか、指を二本、自ら切断したという。。。
…となると、漫画の態度の方が正しかったのかなあという弱気にもなる。
いやでも捏造はダメでしょう。
罪の意識の芽生えづらい人もいるだろうし。
…動画の後編はまだかなあ。
メラさんも、流行りのスパム判定で収益剥奪の目にあい大変そうである。
ゼロ コミック 1-78巻セット (ジャンプコミックスデラックス)
- 作者: 里見 桂
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/12/19
- メディア: コミック
ギャラリーフェイク 全32巻完結(ビッグコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]
- 作者: 細野 不二彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- メディア: コミック